これからもこの家で暮し続けたい 2020.8.5 すいごごカフェ 村田玲子さんトーク

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就学免除で訪問教育

 私は昭和36年、春日部で生まれた。脳性麻痺による身体障害1級で右半身の麻痺が強い。家族は父、母、妹。幼少期は、就学免除でうちにずっといる生活だった。小さい頃は友達が遊びに来てくれていたけど、みんなが小学校に入ってからは暇だなと思っていた。10才から小学校の教員が家庭訪問してくれて勉強するようになり、散歩とか工場見学にも連れていってもらった。それでなぜか小学校の卒業証書だけはもらえたので不思議。
 小さい頃は母の実家の新潟県の亀田にたまに帰っていたので、田んぼに囲まれているようなところで従姉妹と一緒に遊びまわっていた思い出がある。

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養護学校ができて

 越谷養護学校(現:越谷特別支援学校)には中学部から通った。学校は子供がいっぱいいるところだと思っていたけど、私のクラスは6人だったので、思っていたのと違った。好きな教科は国語と音楽。文章を書くのが得意だったし、歌を歌うのが好きだったから。苦手だったのは算数。計算が苦手だったから。困ったことはトイレ。自由に行かせてもらえず、トイレの時間が決められていた。勉強は好きだったからよかった。修学旅行で行った京都、奈良は思い出深い。京都タワーで買い物をしていたら、バスの添乗員さんが私を見て1人だと思ってびっくりして、連れて行かれちゃった。お母さんが「玲子がいない!」って30分くらい探し回ったそう。

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わらじの会の40年

 わらじの会は友達が入っていたことから、私も月1で通い始め、だんだん活動へ行く日が増えていった。養護学校卒業後は、わらじの会の「自立に向かってはばたく家」で自立生活体験や社会参加活動を体験。今までどこにも行けないと思っていたけど、わらじの会に入ったら、いろんな障害の人がいて、車椅子でもどこへでも行けるんだなと思った。
 成人式は山下さんに行きなさいと言われて強引に行かされることになり、母親が急いで洋服を買いに行ったという思い出が。行かないつもりだったけど、行ってよかったと思う。
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 30代になって「べしみ」ができたので通い始めた。そして、べしみに所属しながらも実習としてケアシステム「わら細工」に事務局員として出向することになり、約10年続けた。
 50代前半になって、2012年より東日本大震災の支援として東北のお菓子や食品の仕入れ販売を始めた。その仕入担当として「玲子屋」と名前をつけた。もともとべしみのみんなでお金を出し合って、売れ残ったものを買い取ってまだ売ろうって言っていたのだけど、他のみんながやらなかったから、結果私だけでやることになって今に至る。火曜は越谷市のウッドデッキでの販売に参加したりしていて、販売活動は好き。

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介助者を入れて暮し続けたい

 今は2世帯住宅で、2階に妹家族が、1階に私と両親が暮らしていて、介助は主にお母さんにしてもらっている。お父さんはアルツハイマーになって障害等級が2級でデイサービスに通っている。お母さんも84才だし、このままだと全ての負担が母にいってしまうんじゃないかと不安。将来のことを考えるのがちょっと遅かったかなと反省している。

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母はもう少ししたらもんてんに入ればいいと言っているけど、でもそれは私の思いとは違っていて、ゆくゆくは家をリフォームして家の中でも車椅子でいられるようにしたいし、家族みんなが暮らしやすい家にしたい。そして家に介助者を入れて実家で暮らしていきたい。だから、うちの近くで介助者を見つけるためにビラを配ったりしないとなぁと思っている。

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