オエヴィス日誌そして 2021.4.21 すいごごカフェ 本田勲さん(障害者生活支援センター えん)【前編】

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生活ホーム「オエヴィス」に一番最初に入居した5人

 生活ホームというのは、通過点。地域に出ていくための拠点として、集団生活をする場。今日話したいのは、1990年、越谷市恩間新田に生活ホーム「オエヴィス」が出来た頃のこと。そこにどんな人が住んで、どんなことをやって暮らしてきたかを話したい。
 オエヴィスは5部屋あって、そこに住むことになったのは新坂光子(てるこ)さんと、同じ障害を持った妹の幸子さんの姉妹。もう1人が今隣にいる藤崎稔さん。それから新井豊さんと吉田昌弘さんの5人。とにかく建物ができたばっかりで、介助者をどうするってのが整ってなかったんだけど、とりあえず住んじゃえという感じだった。私は世話人として、谷崎さんとコンビを組んで、4月からみんなと一緒に生活をするようになった。

四苦八苦しながらの初めての自立生活
~新坂光子さん・幸子さん姉妹~


 新坂幸子さんと光子さん姉妹は、脊髄小脳変性症という同じ障害を持ってた。田んぼの真ん中にある古い農家から移り住んできたんだけど、それまでは学校に来なくていい、おうちにいなさいと言われて、ずっと表に出ないで閉じこもってた。当時お姉さんの方は体を横にして寝たきりの状態。妹さんの方はテーブルとかに体を支えてもらって。

 県で2番目くらいにできた生活ホームなので、新聞にも取り上げられて。食事や洗濯のボランティアを募集してますというのを記事に書いてくれてかなりの反響があった。それもあって介助者が増えてはきたんだけど、基本的にはトイレなど困ったことがあると電話で介助者を呼ぶというシステムだった。常連の奥さん達に断られてからが本当の勝負で、電話帳に載ってる知り合いには全部電話するわけ。でも夕ご飯の時間だったりすると断られるようになってくる。そうなるともう大変。次から次へと電話をしないといけない。

 新坂姉妹の場合は、電話をかけるのは妹さんしかできない。だからいつも頼まれる妹は、「あのよー、てる子がおしっこしたいって言ってんだけどよぉ、来てもらえっかな」と電話するんだけど、だんだん「うるせぇなぁ、お前さっきしたばっかじゃねぇえか、少しは我慢しろよ。」なんてことを言うようになった。実家に住んでいた頃は姉がいろいろ命令をして妹が従っていたんだけど、オエヴィスで暮らすうちに姉と妹の関係性が逆転してしまったというのが記憶に新しい。

 新坂光子さんは1990年9月、オエヴィスに入った年に亡くなった。幸子さんはもう少し頑張って…谷崎さんがいればよくわかるんだけど。

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言いたい事は体を張って根性で伝える ~藤崎稔さん~

 藤崎君は越谷養護の高等部1年生の時から入ってる。越谷養護の第1期生で、オエヴィスに入る前からお付き合いしていた。お昼になるとスタッフで協力しておにぎりとか作ってみんなで食べるんだけど、ある日、山下さんが藤崎君に「大盛屋にお弁当買っておいで」って言った。でもお店の人は藤崎君が何しに来たかわからない。買えないで戻ると、次の日のお昼に「藤崎君買いに行ったら。」って言われてまた行く。また来てる、とお店の人の間でもいろいろ話題になっていた。それを繰り返しても弁当をゲットできない。しばらくして、「あなたもしかしてお弁当ほしいの?」って聞かれた。「おぉー!」と答える。「どの弁当?」って聞くと、睨むの。指でさして「これ?これ?」って聞いていくと、「おぉー!」という。1か月くらい経ってからやっと買えた。通わせた山下さんも山下さんだけど、通った藤崎君も根性。それでお店の奥さんも気づいたっていうことで、地域の出会いが1つ生まれた。

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【後編へ続く↓】
https://yellow-room.at.webry.info/202109/article_4.html

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