わらじの会専従職員 草分けの証言 2020.6.3 すいごごカフェ 吉原広子さんトーク

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てんかんとの長いつきあい

1960年生まれ。小学校2年のマラソンの時に初めて発作が起きて倒れた。母親がいろんな病院に連れていってくれて、精神病の1つのてんかんだと分かり、薬を飲み始めて、かれこれ50年。障害者手帳は持っていない。起こる回数はだんだん減ってきていて、薬も減ってきたけど、発作の回数はまあまあ変わらない。でも、いい方向に向かっているんだろうなと自分では思っている。発作の時は、何かが抜ける感じで倒れて意識をなくすんだけど、すぐ起きなきゃと思って起き上がる。2,3分以内の話。よく母親に手を握っててもらってたから手を差し出しちゃうんだけど、ただ握っててほしいだけ。この間、泊り介護の時に入れ替わりの時に発作が起きて救急車を呼ばれてしまったんだけど、3分くらいで元には戻る。できればそっとしておいてもらいたい。発作ではないんだけど、時々怒ることも。一時期は人を叩きまくっちゃってしょうがなかった。

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施設職員からはばたく家へ

障害児施設に2年半勤めたが、発作で倒れて辞めることに。そのことを山下さんに言ったら、はばたく家準備会でボランティア講座をやっているから来てみないかと言われたのがきっかけで、1982年~1995年、はばたく家準備会の専従職員として働いた。
わらじの会の中の在宅の重度障害者達が、自分達で自立に向かって何かやろうとしたのがはばたく家準備会。料理や勉強をしたり、武里団地の中央の今はカスミか銀行がある場所にガラス製品を持って行って露店を出したりした。その頃は介助者がいなかったから、帰りにお店に買いに来た人に連れて帰ってくんねーかい?って頼んだ。その主婦の人がパタパタに買いにきてくれてつながりができた。でも、職員になったはいいけど、こういうことでお金をもらっていいのかなって、針の筵に感じていた。

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専従職員、事始め

あの頃は、新坂光子さん、幸子さん達と署名を集めたり、毎日交代で電動に乗ったりしながら越谷市役所まで行って、市長に「市から介助者を派遣してほしいという手紙を持ってきたんでよろしくお願いします。」と渡す、それだけを続けた。それが通った時はすごいことだと思ったし、みんなも喜んでいた。バザーに買いにきてくれる人達など、かつて署名してくれた人達がいるから、それが自分の給料になって食べてこれたんだなと思わされる。
私が思ってる障害者像があったけど、言わないとやらない人もいるし、電車に乗るのが好きな人もいるし嫌いな人もいるし、いろんな人がいるんだと知った。メンバーそれぞれに支えてもらっていたし、いろんなことを考えさせてくれた。
 友野由紀恵さんがわらじの会に参加するきっかけになった「ぽぽんた」という自立体験生活プログラムも、私でいいのかなと思いながらやらせてもらったのを覚えている。なにせ、今もなんて無責任な女なんだと反省する毎日を送っている。

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参加者からひとこと

巽孝子:ふくちゃんがいた頃から、うちの娘、優子もぽぽんたに参加させてもらってる。娘が電車で2回迷子になった時はやめさせようと思ったけど…おもろいのは、ふくちゃんは障害者って見てないんじゃないかな?これだけ対等に関わっている人はわらじの中でもいないと思う。親の立場からしたら恐ろしくて真似できない。それをやらせちゃうっていうのは、障害者の人を信じてるというか認めているんだと思う。

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