「なにもしたくなかった」の地平から  2020.5.27 すいごごカフェ 遠藤未祐さんトーク

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15才の母から生を享ける

 私の話の前に母の話を。1977年生まれの母は、生きていれば今年43才。中学時代に交通事故に遭って不登校になった時に父に出会ったそう。1992年、母15才。中学を卒業した後の7月に私を生んだ。その翌年に定時制高校に入学。私が3才の時に父母が離婚。1997年、母は短大生の頃、小学校の特別支援学級で働いていた。
 私は、1992年に大田区で生まれた。3才で両親が離婚するまでは、祖父母の家で両親と暮らしていた。当時の母は小学校の先生だったから、私の学校行事には全然来られなかったけど、私は母との折り合いもあまり良くなく、大のおばあちゃん子だったのもあって、寂しいと思った記憶は全然ない。実の父は写真もないのでどんな人なのかはわからない。


かけぬけて生きて逝った母

 今の(戸籍上の)父とは定時制高校で知り合ったそうで、正式に再婚する前は、祖父母の家に泊まりに来ていて、ママの彼氏みたいな感じで仲良くしていた。そのうち家から10分くらいのところに今の(戸籍上の)父と母と犬で引っ越していった。私は学校が遠くなる為ついて行かずに、そのまま祖父母と暮らし、週末に父母の家に行ったりしていた。
 2003年、私が11才のとき、母は今の(戸籍上の)父と正式に再婚し、それを機に家族で埼玉に引越した。その時には母は私の弟を妊娠していた。その後、母は2005年にうつ病になってしまって入退院をずっと繰り返していたが、2011年の34才の時に心不全(だと思います、ということだった)で亡くなった。それから、私と弟と父の3人で暮らしている。

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主婦役つとめ続けてきた青春

 私は、中学2年生からは相談室登校だったがなんとか卒業し、2008年に都内の女子高に入って幼児教育保育コースで幼児教育を学んだ。2011年には私立の大学に入り、動物看護コースを学んだ。大学1年の時に遊園地で初めてのアルバイトも経験したが、1年くらいで辞めてしまった。父が営業なので土日に休める仕事じゃなく、弟のことも見ていないといけなかったし。その先はアルバイトをせずに家事・弟の世話と実習などをしていた。何もしたくなかったので、結局就職はせずに大学を卒業してしまった。1年くらいは家事手伝い。2015年にやっと重い腰をあげて動物病院でアルバイト。でも、腰痛がひどくなってしまったのと、処置室に冷房が入らず、暑い状況に耐えられずに半年ほどで辞めてしまった。その後3年くらいは何もせずに家事手伝いを。

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わらじの会と出会う やっぱり運命だった

 2018年12月にわらじの会と運命的な出会いをした。就職のため、会社の説明会に向かう途中だったが、会社のことを確認していたら、お金を振り込まなきゃいけないという怪しい情報を目にして、その会社には行かずに引き返した。でも、せっかくスーツも着てるしなぁと、春日部のハローワークに行ってみた。そこから武里駅の方まで歩いて帰る途中、たまたまぶあくに目がいった。そしたら窓ガラスのところに「会計募集」と書いてあって。この働きたいと思ったタイミングならきっとできる、運命だと思った。目の前で電話して、よくわかってないながらに説明を受けた。年明けに面接?に行き、毎週水曜日に会計の仕事をするということで決まった。それから1年半くらい経つ。こんなに続くことはなかったので、あの時出会ったのはやっぱり運命だったんだなと。相変わらず何もしたくはないけど、とりあえず頑張ってやっている。

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