介護者の見つけ方 2020.5.13 すいごごカフェ 野島久美子さんトーク

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家出して一人暮らしへ

 1月29日にもすいごごで私の話をしたんだけど、具合が悪くてただ涙が出て何も話せなくて。だからもう1回やりたいって頼んで今日になった。
 1人暮らしを始めたのが1985年。施設に入らないと殺してやるぞって親に言われて家出をした。八潮から黄色い部屋に逃げ込んで、何もわからなかった私は山下さんにいろいろ教えてもらった。介護者の見つけ方としてビラを作ったり、生活保護の勉強をして、取り方を教えてもらった。それから、4月に借家が決まったんだけど、初めて借家を見に行った時、こんな汚い借家に私が住むの?ってがっかりした。こんな借家だって贅沢よって水谷さんにハッパかけられて、とりあえず住み始めた。

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ご近所に介助を

 一人暮らしをする前は何でもできると言ってたけど、何もできなかった。風呂にも入れない、掃除や細々としたことができない。ある日石油が切れた時やサッシにカエルが張り付いていた時には家が近かった平岩さんに来てもらった。お風呂にも入れてくれた。花瓶の水がこぼれたって言っては民生委員に頼んだり。近所のおばさんには毎朝雨戸を開けてもらってた。この人は、当時耳鼻科の前にあったパタパタでカレンダーを近所で売り歩いていた時に知り合って、そこからの出会いなの。パタパタがあって、カレンダーを売りに行ったから人とのつながりができた。だから私は思い出があってカレンダー売りは32年間続けている。

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介助制度の夜明け前

 そうやって5年間。でも私は後から来た人間だから、先にいた光子さん幸子さんが自立してないのに、なんで後から来たあんたのことを手伝わないといけないのよって周りのおばさんにやいのやいの言われた。今でも覚えている。
なんせ今みたいにわら細工がなかったから、介助というのは本当になかったのね。85年~90年は本当にいなかった。だから、あの手この手で見つけて捕まえて、名前と住所を聞いて…そういう時代があって、それで35年間やってきた。今でも介護者は足りないけど、死ぬまで足りないと思う。

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でも縛りもなかった

 85年頃は大変だったけど、すごい冒険をして楽しい時代でもあった。きみこさんには電車乗ったことないよね?ってけしかけて。きみちゃんは自分で動けないんだけど「行くよ~行くよ~」って。それできみ子さんをつれて、私が車イスを押してくださいって通行人に呼び掛けて押してもらって。そんなこともあった。別に大変だと思わなかった。今は資格がないとだめだって周りも言うし、いろいろと縛りがある。昔は全然それがなかったから。

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大学生たちとのつきあい

 私が高校に入りたいと思ったのは34歳。どうせ受からないと思うからイチかバチかでやっちゃえと思ったら受かって、入学式はセーラー服で出席した。それで、これから帰りが遅くなるので泊りも必要だということで、共栄短期大学の人に泊まりを頼んだ。介護者探しの電話をして、その後勉強を教えてもらったり。その頃は平ちゅう(辻彩子さん)に入ってもらってた。そのうち共栄短期大学がなくなるって話を噂で聞いて、なくなったらどうしようと思ったけど、1999年に県立大ができて、3期生が介助に入ってから今でも入ってくれるようになってる。介助は県立大が多いんだけど、昼間は日工大とか文教大とか、いろんな大学に呼び掛けに行ってる。やっぱり1つの大学にこだわってると、実習の時にみんな行っちゃって困るから。これからもいろんな大学に呼びかけに行きたいなと思っている。

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