他者との出会いー私の場合 2020.3.11 すいごごカフェ 関根華子さんトーク

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入学式で介助と出会う

去年の9月から世一緒で働き始めたのでまだ日が浅いが、わらじの会と出会ったのは16、17年前ということで、結構昔。ということで今までどう関わってきたかを。
わらじの会を知ったきっかけはビラ。大学の入学式の時にもらって、何かバイトしたかったので、かがし座に連絡して行って、今県議になっている辻さんにわらじの会の説明を聞いたことを思い出す。なぜ介助の仕事に興味を持ったかというと、それまでの私の家庭環境が関係している。小学6年生から就職して半年まで、祖母と暮らした。その祖母は脳梗塞で倒れて右半身がマヒしていたので、母が介護をしているのを間近で見てきた。私もちょこちょこ手伝って、下の世話もできるようになった。そうやって育ってきて、大学でビラをもらった時、これは私にもできるかもしれないと思って飛び込んだ。障害者についてはよく考えてなかった。

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障害者たちとのつきあい

最初に野島さんや貴美子さんの泊り介助に定期的に入るようになって、由紀恵さんのお風呂介助にも定期的に入るように。長いこと由紀恵さんに入っていたおばさま介助者が自分ちの洗濯物をわざわざ由紀恵さんちで回していたり、料理を食べてしまったりしていて、善意でやっていない人がいるんだと衝撃だった。いろんな人がいるなっていうのはわらじに関わってわかったところ。そこからしばらくして大学2,3年生の時にパタパタのパートに。合宿やキャンプも参加させてもらって知り合いも増えた。仕事より一緒に遊びに行った思い出の方が多い気がする。由利子さんや門間愛ちゃんとか稔さんとかいろんな人に介助に入った。森住由香里ちゃんの職場実習の介助者として県庁に通ったことも。

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祖母と母を一度に喪う

大学を卒業して就職したが、就職して半年くらいで祖母が亡くなった。次いで母が祖母の通夜の夜に倒れて亡くなったので、家のことも考えて仕事を辞めた。うちの母は祖母を介護していた時に、結構親身に頑張ってやっていた。ショートステイは月1はいいんじゃない?と私や父が勧めてやっと預け出すくらい。私が最後まで面倒を見るんだってすごく気負って頑張ってた。だから最終的に祖母が亡くなった時にガクッときちゃったのかなって。持病もなく心不全で亡くなったので。程々にというか自分に負担がかからないようにするのが一番だなと亡くなった後にいろいろ考えた。

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他者たちにいざなわれて

しばらく家事手伝いという形で引きこもっていた時に、吉田久美子さんが心配してくれて、パタパタで出かけるから出てこないかと誘ってくれた。公園で話を聞いてもらって、やっぱり外に出ないとダメだと思い、そこからべしみのパート、もんてんのパートを始めることに。黄色い部屋でテープ起こしなどの仕事ももらった。そこからしばらくして、また、わらじ関係のパートを全部辞めさせてもらって、歯科助手や建築資材を扱う会社の営業事務などをして働いていた。そこから結婚、出産、育児をして、去年から世一緒で働いている。

たぶん私は最初から障害があるないってことをあんまり考えてなくて。ただ、わらじの会で働き始めた時に、いろんな種類があるんだなというのは初めて知った。精神の人のはこういう人が多いとか。知的の人はこういう動きをするんだなとか。でもそこからどうしたらいいかというのは個人個人によると思うので、全部同じじゃないし、全員について知れるわけではないので、自分の周りにいる人について知っていけばいいんじゃないかなと思っている。

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