さびしさも道連れに 街で暮らし続ける わらじの会代表、藤崎稔さん(2020.1.8) すいごごカフェゲストトーク

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出発点としてのスウェーデン

「こころがさびしくて」というタイトルにしたのは、今いろいろなことがあってさびしいから。
一人暮らしはいいなと思っていたけど、実際やってみると厳しかったなぁと。
地域の介助者を募り生活して間もなく30年。略歴を話すと、俺は1962年生まれ。

3歳の時に北療育園に入った。1979年に友達に誘われてわらじの会に参加。
1981年頃から山下さんにうるさく言われ、1982年に10日間位スウェーデンに行って、親が亡くなったらどうするか考え始めた。
障害を持っている人達が地域で暮らしているスウェーデンはすごくいいなと思い、そこが出発点になった。

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家を出るまで

家族はお父さんとお母さんと妹と弟。
16歳の時に越谷に戻って家族と暮らすことになった。
弟と一緒の学校に行くと思っていたが、探してもいないから学校は広いんだと思った。
疑問に思いながら卒業した。1982年に、電動車椅子に乗りたくて県立リハビリセンターに入所した。
何カ月かして、これ以上は見込みがないと言われて戻ってきた。

20歳になるにあたってはばたく家、パタパタのメンバーになった。当時夢があって、結婚がしたかった。
一人暮らしも実現したかった。
自立生活の訓練をしている間に、27歳の頃、親と喧嘩して1000円だけ持って家出してオエヴィスに入所することに。
そして38歳の時に念願だった一人暮らしを実現した。

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ぶつかって切り拓いてきた

ふく(介助者) :稔さんは自分でお弁当を買いたくて、街の店に通い続けたことがある。
この人は毎日お昼のお弁当を買いに来てるんじゃないかって1か月後やっと気づいてもらえた。
ドアを開けてくれないから、電動で突進してガラスを割ったことも。その店(中華)には藤崎稔メニューを作ってもらって食べる介助もしてもらったというエピソードがある。


車いすの人が一人で出かけることなんてない時代だった。
生活保護を取る時もカウンターにドーンとぶつかっていったし。
それしか稔君が怒ってるっていう直接的な方法がなかったんだろうなって。

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みんなと住みたいから

菊子というのは昔好きだった人の名前。介助に来ていた、結婚したいと思える優しい人だった。
好きな人はいろいろいたけど、この菊子さんが一番好きだったなと。

あと、みんなといたいから一軒家を探している。1階は映画見たり休んだり話す場所。
2階は誠なんかが一緒に住む場所にしたいな。学生も一緒に住めればいいんだろうなと思っている。
吉田弘一さんにも話してシェアハウスということでやってみようかと、第二の人生をこれから考えていきたいなという話をした。

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