わらじの会ホームグラウンド・武里団地に生まれた子供だった私  2019.11.13 すいごごカフェから 小松久美さんの語り

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団地に生まれ育った子どもー団地は世界の中心だ!

 11月13日(水)のすいごごカフェゲスト・小松久美さんは、現在地域活動支援センターパタパタの職員。わらじの会で働くようになってからは、まだ3年だが、実は生まれてからつい最近まで、わらじの会のホームグラウンドといえる武里団地で暮らしてきた。わらじの会と武里団地について、はじめに筆者から簡単な説明を。

 初期のわらじの会は団地の自治会や保育所父母会のメンバーがかなりいたが、小松さんは団地自治会が酪農牛乳の共同購入のセンターとして立ち上げた牛乳センターを遊び場にして育った。ここは北地区集会所に隣接しており、同センターがなくなった現在も、バザー向けの提供品を集めるスポットのひとつになっている。

 また、小松さんが小3の年から中3くらいまでのわらじ大バザー会場は、ずっと武里団地中央商店街広場’(現在カスミストア駐車場)だった。バザーの物集めの最大の拠点は、会発足以来ずっと武里団地だったが、会場はそれまで越谷だった。しかし、1991年から6年間、団地商店街のご厚意で、週末の広場を全面的に使わせていただいた。かって、大繁盛していた同商店街が、周辺のスーパーに客を取られ、週末も閑散としてきたことも背景にあるだろう。

 団地自治会の消費生活運動から生まれた会牛乳センターも、小松さんの子ども時代には、既にかっての盛りを過ぎていた。同センターをステップにして埼玉みどり生協が立ち上げられ、大場にセンターを建てた。同生協はその後、首都圏生協連に加盟し、さらに生活クラブ生協に変わった。

 しかし、子どもたちはすごいなと思う。閑散とした商店街だろうが、高齢化した住人達だろうが、盛りを過ぎた牛乳センターだろうが、子どもたちは遊びの世界に組み込んでしまう。世界のすべてがそこに凝縮されるかのように。

 かっての団地自治会はかって「子どもたちに第2のふるさとを!」と謳ってきたが、自治会の加入者も減ったいまはあまり聞かない。しかし、小松さんの語りは大人たちのイメージとは異なる形であれ、そこがまぎれもなく子どもたちの「ふるさと」になっていることを伝えている。

 ここまでは、筆者のコメント。以下、すいごごカフェ当日の小松さんの語り。
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どこに行っても遊ぶ場所と友達には困らなかった

私は母のお腹にいる時に越してきてからずっと、団地の一街区(団地の入り口)に住んできた。すぐ近くに自治会の牛乳センターがあった。いつまであったのかは覚えてない。漏電で火災になったと噂があったが、いつの間にか更地になり今は駐車場になっている。

 団地の人はよく牛乳センターを利用していた。ストーブの灯油を買ったり、自治会費を集めたり。牛乳だけじゃなくて明治のアイスとか中華まんを取り扱っていた。冬はストーブを囲んで井戸端会議をしているイメージ。

幼稚園も団地内に3つくらいあって、どこがいい?と聞かれて自分で選んだのを覚えている。牛乳センターでさらに幼稚園の親同士のつながりも増えた。団地内の配達を母がやっていたので、手伝いで弟と一緒に1リットルを一生懸命運んだのを覚えている。

今カスミストアがある団地センターには中央商店街があって、駄菓子屋やスーパーがあった。

 どこに行っても遊ぶ場所と友達には困らなかったし、外に出ればどんどん知り合いが増えていった。お肉屋さんで揚げ物買って買い食いしたり、駄菓子屋で10円のゲームをしたり、商店街に入り浸っていた。

 親子連れが多かった。あの頃は弟と喧嘩していたら怒られたり、買ったものを公園で食べてたら怒られたり、近所全体で大人が子供を見ていた時代だった。よくも悪くも、団地の人はおせっかいで押しが強い。

 小学校1年生の時、団地の階段のところに手すりがあるが、壁と手すりの間にはまったことがある。子連れのお母さんが見つけてくれて、知らないおばあちゃんちをピンポンして、出てきたおばあちゃんが油を塗ってくれた(笑) レスキュー隊に助けてもらったが、その時の野次馬の人たちに元気かと今でも聞かれる。あの時の子ねって言われるのが今は恥ずかしい。

 夏はみんな窓が開けっ放しなので、毎日夕飯時には誰かが怒られている声が聞こえる。おじいさん、聞こえてますか⁉って声が夜中の1時頃に聞こえていたのは怖かった。

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どんな子でも『そこにいる』のが当たり前だった


 私が通った小学校には支援学級があった。ダウン症の子は、人に好かれる子。隣にいる時はほっぺにちゅーをされたり。同じ街区の子だったので公園で一緒に遊んでいたりして。その子をなんでかバカにした時に母親に怒られたことはすごく覚えている。反省した。

 小学校の時からわらじのステッカーや完さんは印象的だった。ビラ配りやバザーをしているので武里団地の人は絶対わらじを知っている。

 団地内にはとにかく子供がたくさんいるので、どんな子でも『そこにいる』っていうのが当たり前の状態で。

 2人兄弟の姉なので、面倒見が良かったのか、支援学級の子と接する機会が他の子より多かったように感じる。引きこもりとかいじめの子を迎えに行ったり、率先して関わっていた。

 人見知りをしないので、小さい時に強面のタクシーの運転手にアイス買ってもらったりして誘拐かと疑われたりした。

 当時も今もバザーのもの集めをする北集会所は家のすぐ目の前で、約束をしないでも自然に人が集まる。

 夜中抜け出しても高校生のお兄さんにバイクに乗せてもらったり、中学生の女の人が遊んでくれたり。幼稚園の子を遊んであげて、また今度ねと言えば朝9時にインターホンを鳴らされて。団地の同級生も巻き込んで毎週土日は朝子どもたちと遊んでいた。

 高校は幸手商業に行っていた。バイトも地元でやって、常に3つくらいかけもちをしていた。今は商店街もだんだん閉まってきていて、取り壊した後何ができるのかと思っている。

 昔エレベーターがあった10階建ては取り壊され、現在3街区に1か所だけエレベーターがあるが、高齢化しているから…。入り口だけでもいいから残してほしいと思う。小学校中学校も高校も私の出身校は全部なくなっちゃったから団地までなくなってしまうと悲しい。4年前に引っ越したけど、最寄駅は武里のまま変えていないくらい武里が好き。

 いま自分は団地を離れて暮らしているが、団地の9街区に住む野島さん宅に泊り介助に行くことがある。夢の中だと未だに団地にいるから不思議な感じ。

 野島さんちは野島さん用に流しが低くなってたりするから感心する。

 団地に住んでた時は洗濯機が排水する場所がないのでお風呂場に流すしかなく、上の階からの水漏れがしょっちゅうあった。うちは1階だから下の階に迷惑かけなくてよかったねなんて話をしていた。

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