娘と一緒に街を拓くー障害のある娘と音楽と地域 山崎泰子さん(NPO法人障害者の職場参加をすすめる会代表理事)10.30すいごごカフェ

DSCN8393.JPG
前回のすいごごカフェで話したことはかおるが生まれる前のことだった。今日はかおるが生まれてから31,2年間の中で一緒に生きてきた、暮らしてきた中の出会いを話そうと思う。

いつかは追いついて育つと思っていた母だった
かおるは1987年2月に生まれた。3300gもあって、元気な女の子と言われた。ミルクを飲まなくて体重が増えなかったが、あやせば笑ったし喃語も出ていた。

 当時の私は、新星日本交響楽団というオーケストラのバイオリン弾き。自主公演の時には保育室も設けていた。車いすの人も入れるように席を用意したり割引料金などもやっていて、35年前だったけど画期的だった。かおるが生まれるまでは続けていた。

 でも、3カ月頃に呼吸が荒くなった。軽い肺炎で入院したが、点滴治療を受けて治ったはずなのに呼吸状態が改善されなかったので検査をした。なぜその症状が出るのかはわからなかった。吸引機を家で使わないとだめだということで、帰って来た。

 東京の城北の病院に1歳半過ぎてリハビリに通うことになったが、泣いて全然ダメ。あとで考えればいつかは歩いたんだろうなと思うけど親としては必死だった。療育という言葉は知らず、いつかは追いついて育つと思っていた。

 あけぼの幼稚園(越谷)を紹介されて、2歳で入った。かおるは新しい場面に全然慣れないから、1つの部屋から出ただけで大騒ぎするので1年半泣き通し。
 5歳でたどたどしく歩くようになり、みのり学園に行った。ボランティアが見つからず結局私がついていた。

 あけぼの学園は肢体不自由で歩けない人が通う。みのり学園は知的障害が通う施設。今は一緒になっている。

 昭和54年の養護学校義務化までは障害の重い子供たちは学校行かなくていいですよという時代だった。みのり学園には18歳までの障害児がいた。みのり学園はコンクリートの上に絨毯が敷いてあるだけで寒かった。粗相はするので、床が掃除しやすいようにコンクリートにしてあったようだ。

 当時越谷養護学校、春日部養護学校ができ、その先が必要ということでしらこばと職業センターができた。
DSCN8391.JPG

あたりまえに暮らす家族・本人と出会い、カルチャーショック

 あけぼの学園では、越谷ふれあいの日という市内の障害者施設・団体が参加するイベントが6月の第一日曜にあるが、それに保護者が出なくてはいけなかった。
 視覚障害や聴覚障害の団体とか、特別支援学校とか市役所の障害福祉課とかが参加していた。かおるが3歳の時初めて私も参加したが、カルチャーショックを受けた。

 みんなあたりまえに子育てしている。今みたいにバリアフリーじゃないから、この段差をどうするかとかいろいろ話し合いがあった。

 障害者が生きていくのにこんなにバリアがあるのかと。私が知らないことがあまりにも多いなという印象だった。

 みんなで助け合って催し物をやることになった。当時は車いすであちこち行かない時代だったから、ほとんど当事者はあまりいない「ふれあい」だった。

 反省会をしたときに頭にきたのは、児童福祉課のケースワーカーが「ふれあいと言いながら市民があまり参加しなかった」と言ったこと。

 わらじの会の障害者・新井豊さんが怒って、誰とふれ合うの?これじゃいつまでたっても健常者のふれあいの日だって。その翌々年から毎年出た。障害を前面に出すぞと思った。

DSCN8402.JPG
音楽をツールにいろんな障害者、家族他と出会って来た

 私自身はバイオリンをずっとやってきた。新しく作られた中央市民会館1階の市障害福祉センターこばと館は障害者がいっぱい集まるところにしたいというので、音楽活動も目玉ということだったが、講師料も高いから山崎さんやってよと言われ、1992年の終わりくらいに始めた。

 障害のある人と音楽活動をするのは手探りだったが、2週間に1回でも行き場所があるというのは嬉しいという人がいっぱいいた。

耳をふさいで窓ガラスにへばりついてる子もいたが、私がバイオリンを弾かないといつのまにか弾いてくれと意思表示をするようになった。

 音楽をツールにしていろんな人と出会った。

 普通の家族として暮らしていきたいなと思う。今までもどこに行くにも連れて歩いていた。周りの人とも今みたいな付き合いがおもしろいなと思っている。親として苦労も多かったけど、地域の中で生きてきて、これが私の暮らしかな。
DSCN8394.JPG 「職場参加」、わらじの会と出会うべくして出会う 

 なぜ職場参加の活動と出会ったかというと、当時、中央市民会館で不定期に夜に開かれていた「共にまちを拓くべんきょう会」に参加したのがきっかけ。

 べんきょう会に通っているうちに就労支援センターを作るということで、運営委員会を作るので入ってくれないかと山下さんに言われ、新しい経験を出来るならいいかと、よくわからないままに参加した。

 そこから真剣に「働くってなんだろう」と考えてきた。

 今日話しながらふりかえって、わらじの会の活動の歴史と並行しながら、私もいろいろやっていたんだなと思った。

 私もせんげん台に住んでいたらわらじの会の中にいたんだなと思ったりする。

DSCN8392.JPG

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント