戦争をあちこちの暮らしからみつめ ごちゃごちゃと生きる―映画セプテンバー11

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珍しく映画。といっても劇場でなく、地元埼玉県立大学の学祭で毎年わらじの会が開いている喫茶が今年は「ショートフィルム喫茶」という趣向だったので、そこで久しぶりの映画鑑賞。以下、20日(土)にfacebookに書いたことから。

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埼玉県立大学清透祭に行きわらじの会が出店しているショートフィルムCafeに立ち寄った。呼び込みやチケット売り場は車イスのメンバーたち、ウェイター、ウェイトレスは知的障害といわれる青年男女が多い。去年はたしか妖怪喫茶だった。今年は店内に二つのテント小屋があり、、それぞれで映画を上映している。連れ合いと二人でホットコーヒーを注文し手前のテント小屋に入る。テーブルとイスが5、6人分。上映されていた映画は「セプテンバー11」。9.11アメリカ同時多発テロをテーマに世界の11人の監督がそれぞれ11分9秒01の短編を作りまとめたオムニバス映画。
 入った時に始まったのはこの写真に映っているイランの女性監督がイランのアフガン難民キャンプの子どもたちを描いた作品。
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 女教師が「世界戦争になりかねない事件が起こりました」と言い子どもたちに何が起こったのかを答えさせようとするが、誰かが殴られて死んだとか神様が…とかの答えしか返って来ず、黙祷を命じても騒がしくおしゃべりするばかり。必死に教えようとする教師は子どもたちを外に連れ出し高い煙突をツインタワーに見立てて再び黙祷にチャレンジする。

 かっての自立に向かってはばたく家準備会の話し合いを思い出してうれしくなってしまった。制度がとか議会がとか言ってもわからない。300円と3000円とのちがいがわからない。でもこちらもわからないわけがわからない。わかるように表現できない。そしてわかっているつもりだった自分のほうもよくわかってないのだとわかる。けっきょく一緒に動きながら考えるしかなかった。


そして、以下は21日(日)のfacebook。

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 朝寝して起き自衛隊ヘリの編隊飛行訓練がひっきりなしに轟音を響かせて上空を行き交うのと、道行く人々が何事もないように見上げもしないこととに驚きつつ、感慨込めて眺めていたら昼になってしまった。けっきょく今日も県立大学清透祭に二人で歩いて向かう。

 大学近くの道の向こうから来た4台すべてがわらじの会の縁者。まず障害者市民ネットワーク事務局のOさん夫妻。つぎが最近わら細工職員になったTUくん。3台目が元1年間ボランティアで現在高齢者施設職員のTAくん一家。美容師のお連れ合いとお子さんに初めて会う。しんがりがべしみ通所者Mさんを送迎してきたご両親。
 
 学祭では昨日観終わらなかった「セプテンバー11」を観るため、写真のわらじショートフィルムCafeへ。カレー、ミネストローネ、コーヒーを食しつつ観る。

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 アメリカ ショーン・ベン監督作品は妻に先立たれた高齢男性がいつの間にか陽がさしこまなくなった部屋の薄闇の中で前と同じように幻の妻と暮らす日々を延々と描く。ある日停電となり水道も止まる。ささやかな暮らしが静かに消えてゆくかに思えた時、窓からいっぱいの陽がさしこんでくる。しおれていた花が鮮やかに開く。歓喜して妻に呼びかける男。しかし薄闇が消えると同時に妻の幻も消え、悲しみが襲う。闇をもたらしていた巨大なビルの影がさらに消え、煙の影が窓に。(世界貿易センタービルの崩壊が影だけで描かれる)
 こうした人々が無数にいてそれぞれの人生を個別に孤独に生きていることにより窓の外の世界が成り立っているにもかかわらず、世界はあたかも太陽とその影としか見えない。それがショーン・ベンにとっての9.11同時多発テロをめぐる状況だった。


 イギリス ケン・ローチ監督作品は、ロンドン在住のチリ人作曲家の語り。1973年の同じ9月11日(火)のチリ・クーデター。アメリカで教育を受けた軍人たちが、国の富を分かち合うことをめざしたアジェンデ政権をアメリカをバックに武力で打ち砕き、無作為に3万人を虐殺した。
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 「荒れ果てた大地  光を奪われ  体は傷ついても 夢は生き続ける 火曜に出かけ あなたは戻らない」とうたう。
 二度にわたる世界大戦こそ終って久しいが、世界の中で戦争状態にある地域はますます増えており、その戦争をバネにして大きな国の経済と政治が成り立っていることは否定しようがない。世界は密接にからまりあいながら、ますます競争し排除しあう関係へ追いやられているともいえる。
 各地からそれぞれの地域に生きる人々の生を発信してゆくことがますます大切だ。

 11の作品はそれぞれに深い感覚を呼び覚まされたが、ボスニア・ヘルツエゴビナ ダニス・タノビク監督作品は個人的に格別。アメリカの空爆で夫を亡くした妻たちが命日である毎月11日に広場で反戦デモを行っているが、ニューヨークの同時多発テロが起こったため今回は自粛しようと申し合わせたが、やはりこういう時だからこそデモをしようと歩き出す。
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 筆者の経験でも若き日、1967年佐藤首相ベトナム訪問を阻止すべく10.8羽田闘争をたたかった直後、マスコミをあげての反暴力キャンペーンに正直みなおののいた。なんのために闘ったのかということ自体わからなくなりかけた。しかしだからこそそのことの意味を伝えてゆくことの大切さをあらためて実感し、やっと11.12佐藤訪米阻止第二次羽田闘争を取り組むことができたことを思い出す。

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