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zoom RSS 冴え渡る自立・共生節―野島久美子の限界芸術 12.6すいごごカフェ

<<   作成日時 : 2017/12/08 15:24   >>

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職場参加ビューロー・世一緒で4月以来毎週水曜に行ってきたすいごごカフェ。12月6日のゲストトークは、埼玉障害者市民ネットワーク代表・野島久美子さん。

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 当日の写真撮影は、世一緒サポーターの直井さん。そして、野島さんの語りのメモ(青字部分)は、筆者の秘書介助者を務めてくれている宮川さん。なお、筆者がもっている歴史的画像をいくつかまじえた。
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 野島さんの語りは、毎年、県立大学で新入生を迎えてしばらくしてから行われる「ヒューマンケア論」の講義などで、年々進化している。前にこのブログで言及したことのある「限界芸術」(鶴見俊輔)とは、まさにこれだという感じがする。http://yellow-room.at.webry.info/201502/article_2.html


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生い立ち
1歳の頃、実家のカメラ屋さんのショーケースから転落してしまい、障害を負った。
病院を何件もまわったが、最終的に医者から「この子は将来歩けない」と言われてしまう。
母がなんとしても歩かせようと、リハビリテーションに通わせてもらった。

その後、進路を考える際に施設に入ることを考えたが「施設は身寄りのない人が入るものだ」と言われ始めて親と喧嘩をした。その後、施設に入所した。
18歳で施設に入ったため、喧嘩して出たとはいえやっぱり親は恋しく、泣くこともあったが、お友達もできた。一番若かったので、かわいがってもらえた。(年配のおじさんには特に好かれた。)
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2年間の生活訓練をおえ、1979年21歳の時に八潮市に親が建ててくれた60坪の立派な家に昼間は一人で住んでいた。ほぼ家にいて動物(ハムスター、犬、ジュウシマツ?)の世話をしていた。

ちょうどその時に欽ちゃんの「愛は地球を救う」という番組を見て電動車いすが欲しいと思って八潮市役所に行った。「あなたはまだ若いから、電動にすると筋肉が衰えるから辞めなさい」といわれた。一年たってケースワーカーが変わったときに電動車いすが欲しいと伝え、作ってもらった。それからは電動車いすで色々なところに行った。今までお金を持ったことが無くて、23歳で初めて買い物に行ったがお金が足りなくて払い戻しになった。
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ある日、家のチャイムが鳴ってあまりにもしつこいから雨戸をあけたら宗教。「何か困った事あります?」と言われ「ここから出してください」と言うと、週二回来てくれた。母にばれて「うちは創価学会なのに!」と怒られた。

1982年八潮市福祉作業所に通所した。おもちゃの組み立てを主にやっていた。
その後めだかの会を通じて山下さんと出会う。
カンパをしてみると半日で何万とはいって作業所をやめた。

24歳の時、初めて送迎なしに自分で八潮から草加まで電動車いすで行き、そこから越谷まで電車で行こうとした。駅では勇気を出して「すみません、手伝ってください」と声をかけ段差を越えた。新越谷駅で間違えて降りてしまい、駅員さんに「介助者は?」ときかれ「いない」といったら交番に連れてかれ補導された。
25歳のとき『誰でも使える駅を求める会』として「エレベーターをつくろう!」と歌も作って呼びかけた。
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実家が借金を抱えてしまって今まで住んでいた家がだめになった。そこで施設の話が出た。父が病気で、私が施設に行けば、安心安全でいいよと言われたが
黙って家出をして黄色い部屋に逃げた。

しばらくたって、おかあさんとおじさんが黄色い部屋に来た。その時は違うところに逃げていたのでいなかった。その後1カ月くらいアパートが決まるまで過ごし、制度や生活保護について勉強した。生活保護を受けに行った。

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エレベーターの運動から「就学運動」へ
知的障害者を高校に入れよう!という運動をした。
自身も県立与野高校に通った。4年制の定時制でダブったのもあって5年通った。
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今まで『式』というものにあまり出てこなかった。成人式のときは施設に入っていて出なかった。初めて親が死んだとき、妹が葬式に誘ってくれて行った。呼ばれないと思っていた。

父が亡くなって、今は1年に2〜3回遊びに来てくれる。バザーにも来てくれるし、来年は還暦も一緒に祝ってくれる。

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事例をいくつか

・大学も行きたいかなと思ったけれどお金がないし、県立大の聴講生をやった。段差は用務員さんがスロープ持ってきてくれた。裏返しに置いたので、教えてあげた。

・春日部市役所のトイレの開閉がタッチセンサーで不便だったのを何度もつたえ、ボタンに変えてもらえた。

・春日部市役所の正面玄関、車いすには段差があって入れないと伝えるとスロープを作ってもらえた。

etc…
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日吉:一人でも頻繁に使う人がいれば、街は変わっていくということですね。
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友堅:駅員さんが腰を痛めて、駅長さんから直々にエスカレーターができるまで昇降機に乗ってくれと言われたが…やっぱり怖かった。エスカレーターができてからも、車いす対応にしてから乗るので余計に時間がかかったり…。
昔はよく持ち上げてもらってたが、駅員さんもお客さんも腰を痛めてしまった。今はエレベーターもエスカレーターもできたので、前よりは楽だと思っている。
わたしもわらじの会にきてから電動にのった。

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野島:わらじの会にきてよかったなと思う。あのままだったらこんな活動はできなかった。

大坂:中伊豆に2〜3年前に行ったときに、当時の先生と同じ部屋だった人が降りてきた。最近はその人も一人暮らしをしたそうだが、それまではずっと施設にいたらしい。
おそらくその方は野島さんのような楽しい思いはしていなかったのではないかと思った。


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 上の写真は、すいごごカフェの前半の語りと後半の質疑応答の間に行われる「克己手話タイム」。これももうひとつの「限界芸術」。

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