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zoom RSS だいじょぶよ ジタバタと共に生きよう―月刊わらじ10月号発行

<<   作成日時 : 2017/10/12 00:05   >>

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月刊わらじ10月号(特集だいじょぶよ)の共同製本作業が、10月11日、くらしセンターべしみで行われ、全国に発送された。
 上は共同製本作業のようす。
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 そして上は、製本作業の後、手づくりの昼食を終えて、参加者のひとことメッセージを仕切る編集長・巽の雄姿。

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 盲ろう下肢マヒの橋本克己画伯も、ひとこと。本日は参加者がやや少なかったが、そのぶん各自のひとことがたっぷりあった。

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特集テーマ「だいじょぶよ」は巽編集長の口癖。

 特集執筆者の一人、狗尾草子さんは、「巽編集長の『だいじょぶよ』はしばしば自分を気遣う他者へ強がりとして『心配ご無用』と発せられることが多いように思う。どう見ても大丈夫じゃないだろうという時も含めてだ。強がりと言ったら失礼かな?それはそれで気遣いであって、彼女の美学なんだろう。巽さんじゃなくても、結構そういう人って多いように思う。」と書き、「私もそういう人であると思うけど、ちょっと今は『だいじょぶよ』とは言えない状況だ。 というのは、昨年の4月に乳がんが再発した。」と続けている。
 狗尾さんの文章の末尾は、
 「お大臣も皇族もお金持ちの有名人だって、若かった彼女や彼だって死ぬんだから自分だけは死なない何%に残るとは到底思えない。これからも標準治療を受けながらジタバタしながら生きていきたいと思う。
いまは、たぶん、まだまだ、だいじょぶよ。」

 この「シタバタしながら」、「いまは、たぶん、まだまだ、だいじょぶよ。」が、他の執筆者の文章でも、底流をなしているように思う。
 
 その中には、巻頭の高橋正治さんの「まだまだあった初体験」のように、生活保護受給者及び生活困窮者の自立支援を行う事業所へ就職したが、何も仕事を与えられず、その理由が「元生活保護受給者だから、委託元の区に知られると委託契約が取り消されるかもしれない」という理由だったという「決して大丈夫ではない状況におちいっている現在」のレポートもある。

 金沢輝美さんは、「大丈夫とは」と題し、「はっきりいって自分には、あまり好きな言葉ではない。何の根拠もなく口にするのは、聞くほうにしてみれば、無責任な言葉である。」と書く。それは、「大丈夫よ」と題して弦間竜司さんが「多様な意味を持つ大丈夫という言葉」について分析している中の、「誰かをいたわり、心配しているときに投げかけられる『大丈夫』」について、投げかけられた側からの反論である。

 筋ジスで電動車いすユーザーの坂西勇輝さんは、「だいじょぶかな?」と題し、「これからいよいよ一人暮らしがはじまります。楽しみですが、それ以上にストレスがくるんだろうなと思ってます。」と書く。そして、そのすぐ後に続けて、「鳥かハリネズミかウーパールーパーなんか飼いたいですね。今後ともおつきあいのほどよろしくお願いします。」と書いている。

 あるいは、新卒で保育士として働いた後、幼稚園教諭になり、結婚を前提に付き合っていた相手との間に新しい生命が芽生え出産を待ちながらの「スーパーアルバイター」として生活を営みつつある「なつき」さんは、「案外『大丈夫』と信じたほうが大丈夫なのかもしれない…と思うのであった。」と書く。

 また、ガテリエ・ローリンさんは、「ある日突然自分の人生の最期にたどり着いたとしても、それまでに友人の心の中、あるいは社会に私の軌跡を少しでも残すことができれば、それは意味のある人生になるから、それで everything is alright!」と書いている。

 狗尾さんの「ジタバタしながら生きていきたい」の「ジタバタ」は、抗い、もがきながら…というほどの意味であろう。その「シタバタ」は、いま挙げた各々の文章を串刺しにしていると、筆者は受け止めた。なお、この「ジタバタ」は、ここに挙げた以外の文章にも地下茎のようにつながっている。以下。

全て大丈夫      エレン・フリコ―
「思ったよりも」    椙目真帆
大丈夫よ        内藤
はじめての夏合宿    萩原秀司

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 上は10月号表紙。写真に付したキャプションは以下。

写真は、社会福祉法人つぐみ共生会職員・Nさんのfacebookより転載。10・15わらじ大バザーに向けて、1日(日)に谷中耳鼻科駐車場で行われたしわけ、値付け、カーラッピング等の共同作業のようす。重度といわれる障害者がいるから、長年の支援者もいれば初めて来た人もいるから、そして子どもたちが遊ぶから、時には誰かがけんかもするから成り立つ壮大な社会実験。

1978年わらじの会が発足した時、障害者福祉施策といえば遠く離れた入所施設か、「お茶菓子代」と称された低額の年金しかなかった。障害者団体もボランティアも、行政や施設主導のものしかなかった。そんな時代に、「障害のある人もない人も共に街に出て生きよう」と、バリアだらけの交通機関を使ってバリアだらけの街に一緒に遊びに出て行ったわらじの会。もちろん何の援助も得られず、このバザーがとても大事な活動財源であり、また家の奥から街に出てゆくきっかけでもあった。

でもこの共同値付け作業が始まったのは1985年からのこと。前の年までは、東武沿線4地区ごとに集め、地区ごとに分かれて値付けして会場に運んだ。しかし、1983年、耳鼻科黄色い部屋と向かいの店・パタパタを拠点に、重度障害者たちの地域活動(はばたく家)が活発化し、越谷市からの補助金も獲得した。だが、障害者達が自分の表現をもつことは、家族や他の人々と時にぶつかることでもあり、自分達の間でもぶつかりあうことを意味する。前進は壁を作り、希望は絶望を生む。そんな状況の中で、障害者、家族、その他の人々、立場を異にするみんなが寄り合って、作業しながら共に生きることを考えてゆこう。そんな思いから、ここで共同値付けが始まった。それから30余年、今年もこの耳鼻科駐車場で、障害の有無、老若男女、入り乱れて続けてこれたことの恵み!

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