共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS 怒れ、平和に言及せよ、楽しめと語った河野秀忠さん逝く

<<   作成日時 : 2017/09/09 15:38   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

ゆめ風基金から以下の訃報が届いた。
「かねてより病気療養中であった、副代表の河野秀忠が亡くなりました。本日、9月8日、12時40分でした。ゆめ風基金創設者のひとりであり、14か月に及ぶ闘病生活の中、きっと戻ってくれると信じて待っていたのですが、本当に悲しい結果となってしまいました。生前のご厚誼に御礼申し上げ、謹んでお知らせいたします。
通夜、告別式は下記の通り、執り行います。
通夜:9月9日(土)午後6時〜
告別式:9月11日(月)12:30〜
(日曜日が友引のため月曜になります)
会場:シティホール箕面(ベルコ)大阪府箕面市西小路2-8-26
電話  072-725-4242
喪主 河野秀忠様ご遺族様」

 グループゴリラ、りぼん社、関西青い芝、全障連、「そよ風のように街に出よう」、豊能障害者労働センター、箕面市障害者事業団、ゆめ風基金…河野さんらの張り巡らした地下茎は、いつのまにか地域を耕し、抜かれても、切られても、いまもとんでもない地域までひそかに侵入をくりかえしている。
 一社・埼玉障害者自立生活協会の2004年の定期総会で記念講演をしていただいた折の記録のごく一片を紹介し、弔辞に代える。

画像

「僕がここに呼ばれたのはある意味で宿命といいますか、ある因縁があったような気がします。僕たちが今から40年前に、大阪で初めて障害をもった人たちと一緒にということを決めて一番最初の集会をやった時にですね、この横におります八木下を呼んだんですよ。しゃべってくれと。そうしたら、この人がですね、今はこんなにへろへろですよ、こんなへろへろですが、先ほどの総会でもですね、『八木下やめい』という一言もなく、まだ理事をやっている。こういう厚かましい人間になっちゃったですが、若い時はほんとにぴかぴか輝いていた。初めて大阪に来た時に、ぼくに向かってですよ、なんで俺を呼んだんだよとケンカを売るわけですよ。なんでっていったて、おもしろそうだから。それで呼んだらだめなのと訊くと、それでよし。初めての集会のゲストが八木下浩一でした。それ以降今日まで交友をもってますけれども。まあ40年もたてば人間も変わってくるわけで。なんか去年か、ひっくり返って『障害者になった』と。弱音を吐いておりますが、もとから障害者だったと思うんだけどな。あの、障害者です。八木下浩一が28歳の時に就学運動をやった。その輝かしい歴史といいますか、それはいまだに僕らの胸の中に輝いています。40数年前は制度もありませんでしたし、何もありませんでした。障害を持った市民が手にするお金というのは1銭もなかった。その時代にそれぞれのポケットの小銭をかき集めてですね、毎夜毎夜宴会をしながらですね、どうしたもんだろうなと、どんなことをしたらいいんだろうかといったときに、この八木下浩一が埼玉の地から大阪に向かってすい星のごとく現れて、我々にむちゃくちゃなサジェスチョンをしてくれて。こんなむちゃくちゃでも生きていけるんならなんとかできるんじゃないか、と思って今日まで障害者の人たちと一緒にいろんなことをしています。たまさか、今日ここに呼ばれたのはその続き、最初の始まりからここに来て、社団法人の断末魔の状態を見させていただいて、しかし八木下ならまた新しく立ち上がっていくのではないかなと思っています。もうじき危ないと思います。大事にしたって下さい。これは、これはといっては怒りますが、日本の障害者運動の宝です。ちょっとカビ生えてますけれども宝ですから、こういう宝は大事にしておかないとご先祖様に対して申し訳ないと思います。ま、八木下を持ち上げておいて、後から落とすんですけれども。」
画像

「ほんとに八木下浩一をはじめとして、社団法人の気の良さというか、人の良さというか、人に良く思われたいというこの体質というのには、ちょっと僕もあきれました。そういうふうに我々は地域というものを、単に我々が地域社会に参加していくわけじゃなくて、地域社会を我々に参加させる、そのために広げるだけ広げる。悪名を負ってもいいから。それだってね、悠々とやってるわけちがいますよ。ほんまに息も絶え絶えの状態で広げつつある。でも息も絶え絶えだけれども、そうやって広げていくとですね、夜のビールがうまい。皆さん方はたぶん夜のビールはまずいと思う。こんなつらい話でビールがうまいはずはない。いい酒を飲むために運動し、運動するというのは単に障害者市民が困難だ、困難だ、そのことだけを言っているんじゃないぞと。我々は世界を語ってるんだ。障害者の解放、これは障害者だけが解放されるということではありません。人間が全的に解放される状態を、障害者解放という。そのために我々は頑張ってるんだ、そのために運動するんだ、そのためには金も使いよる、人も使います、悪口も言います、というふうに、皆さん方にぜひ考えてほしい。」
画像

「今日の我々を取り囲んでいる状況というのは、ちょうどイエス・キリストがゴルゴダの丘で処刑される時代とちょっと似ているわけですね。イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられてですね、磔になっているわけですが、その周りにたくさんの信者が集まっている。その信者に向かってキリストが声をかけるわけです。仮にAさんとしましょう。「Aさん」て呼ぶわけです。するとAさんというのは信者の中で相当格下なんです。格下なのに呼ばれるわけね。今まさに息絶えようとするキリストに呼ばれるわけです。これは信者にとって死ぬほどうれしい事なんですね。まさに天に召されるキリストが私の名前を呼んでくれると。「はい、イエス様」と近寄ろうとするわけですね。ご存知の通りイエス・キリストはローマ兵によって処刑されるわけですが、その時に十字架の周りを警戒していたローマ兵がAさんの足をバサッと切って落とすわけです。でもイエス・キリストのもとにたどり着きたいと思ったそのAさんはですね、今度は這っていくわけですね。それを見たローマ兵がですね、手をバッと切って落とすわけです。そうすると体全体を使って、イエスの足元まで必死でたどり着いて「はい、イエス様、なんでしょうか」と言うと、イエス・キリストがですね『Aよ、お前の家が見えるよ』と言ったんです。ここで笑えん人はわからへんと思う。それが今日の我々の状況。こういう風に制度ができたぞ、こうしてそれぞれ生活ができるようになったぞ、いろいろいろいろ出てくるんだけど、たどり着いたら何もない。それが我々の状況なのではないかと思います。そういう状況の中で、全国各地で非常に呻吟しています。その呻吟している中身はですね、都市間格差です。あるいは八木下浩一が全国を駆け回って光を振りまいていた、あの輝きがないことです。このことを我々は真摯に受け止めなきゃならん。」
画像

「支援費の本質は何か。先ほども言いましたように、Aさんが必死の思いでたどり着いたところ、『あ、あんたの家が見えるよ』と十字架の上からキリストに言われた話で、必死で我々が支援費を活用する、あるいはその提供業者になる、あるいはNPOを立ち上げてそういう事業を始める。本来夢を語り合って、その夢を食べて生きていかねばならない我々が、支援費に振り回されている。」
画像

「ところでですね、そのような支援費、あるいはさまざまな制度をめぐって国が障害者市民に対する村八分を本格的に始めた時代、それを我々は深く認識しなければならない。なぜ深く認識しなきゃならないか、それは日本という国が戦争を始めたからです。今まで日本はあの名誉ある自衛隊、鉄砲を持たない軍隊。よく考えればね、あの自衛隊ってじぶんたちを守っとんのやからね。あれは自分を守る隊と書くんですよ。彼らは彼らを守るんです。我々を守ってくれてるわけじゃない。この八木下浩一もそうですし、我々の先輩でもある障害者市民、戦争体験のある人たちの話を聞いとってね、やっぱり深く思うところは、戦争が激しかった頃、日本の障害者は配給制度からも排除されたという事実があります。ここがいやらしいんですが、あまねく日本国籍を有する人は配給制度で食糧とかさまざまを受け取っていたわけです。ところが、障害者だけは、鉄砲をよう撃たん、あるいは物をよう生産せん、お国のためにさっぱり役立たん、こんなやつに大事な食糧分ける必要はない、と言って配給から除外されたんです。配給を除外したのは、たしかに行政の役人であったり、村の偉い人であったりしたかもしれませんけれども、現実的にそのことを陰に陽に推し進めたのは隣近所の人です。何も役人だけがそうしたわけではない。お前んとこの息子はあんな障害をもって、お国のために、天皇陛下のために役に立たん奴は配給なんかいらんやろと言って、くれなかったんですよ。この事実を直視すればですね、日本が戦争を始めたということに我々は深く危機感を持たなきゃいかん。いずれ来るぞと。来なくても我々は敗けている。これを僕は構造的敗北の時代と。何をやっても敗ける、間違いなく。制度ができる。国がわれわれのため、障害者市民のために制度をつくるわけです。だのに、それに飛びつかないと生きていけない。あるいは、何のために運動しているかわからない。運動のために運動する。それで飯を食う。そんなアホな話はないわけです。運動するというのは、何かを獲得するためにやる。我々が今やらねばならんのは、世界平和に言及することです。そして、われわれが今なさねばならんのは、楽しむことです。ひとつも楽しくない。会議をやったらつらいばっかり。答えがみつからない。だってそうでしょ。今日の議案書を見せていただきましたが、書いてある通りじゃないですか。あれをやらねばならん、これを検討しなければならん。わかってたらやんなさい。なぜその前で立ち止まってぐるぐる回ってるんだ。あそこまでは書けてやらないとしたら、それは八木下が悪い。金を出し、口を出し、人を出し、夢を出し合う。これほどシンプルなのに、それをわざわざいっぱいの文字にして。僕は後ろで聴いていて、言い訳してるとしか聞こえなかった。なんとかやらないために、たくさん書いておこうという風に読めました。僕はいろんなことに絶対通用する解決方法を知っています。こんな総会やる前に宴会をしなさい。会議をやって、辛くて悲しくてしおしおと帰るくらいなら、たとえやけくそでも酔っぱらって殴り合いして帰った方が、よっぽど世のため人のためと僕は思います。」
画像

「だのに今日本の障害者市民運動は、いっぱい怒ることを避けてます。いっぱい怒ったら元気になるのに、いっぱい怒らないように怒らないように。僕たちも大阪府行政とか、いろいろ施策の交渉をやりますけれども、最近になってふっと思ったのはですね、向うの方に行政と一緒に某全国市民団体の人たちが並んでいる。その人たちは皆スーツ着てネクタイ締めている。僕はあまりに愕然としたもんですから、諸君らはこっち側に座るんだ、そこは敵が座っているとこなんだ、そこになぜ君らが座るんだ。そうしたら行政が『あの全国何々運動の方々と協議をしながらつくった、これが案です』。文句あるかというような顔をして言う。そういうときの我々のせりふはたったひとつ。『それがどうした』障害者がつくったらすべていいのか。僕にだって好き嫌いの権利はある。嫌いな障害者もいれば好きな障害者もいる。なんで嫌いな奴まで仲間と思わねばならんのか。というようなことを日々やっています。切ない話ですけれども、僕は埼玉の人が好きです。ま、八木下がおるから好きということもあるんですけれども……。横で笑うなよ、お前。力が脱ける。でも我々はまだまだ幸せになっていないことは事実ですから、なさねばならんことはてんこ盛りにあります。そのてんこ盛りにあることをひとつひとつやりながら、あまり沢山理屈を付けずに、やるときはやると言って、尻に鞭を打ちましょう。」(SSTK 通信 NO.104)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
怒れ、平和に言及せよ、楽しめと語った河野秀忠さん逝く 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる