共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 障害者就労支援―本人・企業・職安・支援機関の40年  U.共に働く地域めぐるせめぎあいの歴史

<<   作成日時 : 2016/10/06 08:55   >>

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本日の「べんきょう会」事前に山下さんから示された課題は次のとおり。

○制度や支援が乏しかった時代に障害者たちはどう働いていたか。

日本の企業において、その9割以上を占めるのが中小企業であり、中小企業が工夫しながら障害者を雇用していたのだろう。「人手が欲しい時に職安の口利きを利用することもあるのだから、職安から紹介された者はできるだけ採用している」(事業主の話)、「できる求職者と支障がある求職者を二人セットで紹介し受け入れてもらった」(職安職員の話)などほのぼのとしていた。以前には助成金の制度は乏しかったが、だからといって(色々な意味での)支援が乏しかったとは思えない。事業所は助成金や雇用率をあてにせずに障害者を採用し、ナチュラル・サポート状態で受け入れてくれた。共働き率も現在よりは少なく、母親の支援態勢を期待できた。公的支援が乏しい時代ならでは取り組みがあった。

 注;職安とは公共職業安定所の略で、のちにハローワークと改称された。文脈に応じて、職安またはハローワークという語を使い分ける。

○働く障害者のイメージはどう変わってきたのか


20年くらい前までは、家族の支援が期待できた。実習準備のため自宅で作業練習とか、母も同伴実習して、その後は母も同伴就労という例もあった。特殊学級、養護学校教師らの取り組みも腰が据わっていて熱意も最近よりあったように感じられる。進路指導の教師は多くの場合日焼けしていて浅黒かった。自動車の入れないような路地まで入り事業所開拓するので自転車移動が主だと語った教師もいた。自転車で工場の周りをウロウロするので怪しまれたこともあるという。以前は住み込み就労や職親制度で働く障害者が今より多かったように思う。家族と離れ、生活丸抱えの状態で働いていた知的障害者も多かったのではないか?

○企業サイドの変化はどうか。


印象として、以前は障害者を雇用してくれるのは中小企業が主であったように思う。障害のある従業員の死に水をとった中小企業の社長さん(20年以上前、川口職安主催の事業所会議でお聞きした話)もいた。JALに勤務していた友人によると社内報で「職員の家族である障害者を雇用する」という通知があったとのことで(40年くらい前の話)、同社は障害者採用にあたり公募ではなくコネ採用を主にしていたと窺える。

東京都労働研究所が1990年に行った調査結果と2008年に沖山が行った調査結果を比べると、「雇用を忌避する障害種類」には変化が見られる。つまり、いずれの時点でも雇用困難の御三家は「精神障害」「視覚障害」「知的障害」だったが、精神障害、知的障害、内部障害は雇用困難とする割合が低下した。しかし視覚障害の困難さは変わらず高い。「採用可能な年齢を45歳まで」とする割合は67.0%から34.1%に低下した。企業側の変化の一端と見ることもできる。

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○雇用促進制度、「福祉的就労」と呼ばれる制度の変化の影響は。

雇用促進制度については、法的に採用対象とされる障害種類が拡大し、法定雇用率が高くなり、助成金等の支援制度が目まぐるしく変化しているので、支援者は最新情報を知っておくことが必要だが、ハローワークは使いたがらない傾向がある(たぶん面倒だからか)。手帳もちの障害者の実習に同伴し、採用をお願いする過程で、事業所から「同じような(あるいはもっと支障がある)従業員が既に働いているけど」と明かされ、詳しく聞くと障害者とは思わずに採用していたという場合がある。法定雇用率が高くなり、障害者雇用率未達成とみなされた事業所が、実は「通常スタイル」で障害者を雇用していたことが分かったということも時々ある。

「福祉的就労」は障害者総合支援法により展開する事業所が増え、民間企業の参入も多いといわれる。印象としては、福祉就労に携わる職員のタイプが変わってきているように感じる。

○ハローワークの雰囲気はどのように変わってきたか。

40年を振り返ると、職安にも学校にも福祉就労の場にも言えることだが、職場内が多職種化、非常勤化し現場への密着が少なくなっているという印象。25年くらい前までは、正規職員が中心に仕事をしており、一部に非常勤の相談員もいたが、ほとんどが当事者の父母(育成会や肢体不自由児父母の会など)だった。彼らの事業所開拓パワーは強烈でよく連れ出して頂いた。職員が相談員から事業所情報を得ることもあったようだ。

参考:平成26年度末ハロワ職員数 11,140人 相談員数 16,737人(約6割)

職安の特別援助部門(障害者相談の窓口を指す)職員は事業所のことをよく知っていた、「あの社長ならこういう人を指導できるだろう」などと事業所内部のことも承知していて、求職者を紹介してくれたことが多かった。障害者を雇用しようとする事業所は少ないので、積極的に事業所開拓をしていた。近くに求職者の自宅があると家庭訪問もしていた。三重県で勤務した時には、津職安の統括職員に若いカウンセラーが同伴させてもらい遅くに帰ってきた。聞くと「あそこにも工場がある」と言って次々と飛び込み訪問したという。「凄い!」との感想。プロ魂をそばで感じながらカウンセラーが育っていった時代がある。最近では「センターさんが行くときに同伴させてください」と言われる始末だ。知らない事業所に飛び込み訪問するのは、誰でもいつでも不安だ。だから、「世一緒」の仕事発見ミッションは素晴らしい。

古き良き時代の職安マンは腰が据わっていた。地域に密着し、事業所も求職者も担当職員の異動に伴い追っかけるほど。職安からセンター勤務になった主任は、新聞広告や求人チラシをみて(センターから電話しているにもかかわらず)「職安です、お世話になります」と切り出して訪問の約束をとり、私用車でどこへも駆けつけ実習先や面接先を開拓していた。同伴させてもらい仕事の仕方を見せて頂いた。35年以上前、若き日の私が所長や主任に怒られたことは今でも耳に残っている。「(前からしていたようにしましょうと応じた時に)草創期の業務に取り組んでいるのに、若いあなたが前例踏襲でお茶を濁すとは恥ずかしくないか!」「(仕事の仕方について同僚とかれこれ議論していたら)やらずに物申すな、まずやってみるこった(千葉弁)」

社長がOKと言っても、奥さんがノーと言えば不採用、その逆社長がノーと言っても、奥さんがOKと言えば採用される場合が多い(岐阜県のベテラン職安マンからお聞きした話)、誰がキーパースンかを探るときの視点として大事であると思う。

 20年くらい前までは「就労の意欲と能力」があることが求職者に求められ、「薬を飲んでいるうちは仕事を紹介できない、病気が治ったらまた来てください」という窓口対応が多かったと思う。最近では、病気を治しながら働くという考え方がハローワークでも定着しているように見受ける。   (つづく)

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