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zoom RSS 障害者就労支援―本人・企業・職安・支援機関の40年   T.その「枠組み」と向き合い続けて

<<   作成日時 : 2016/10/05 23:22   >>

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第52回 共に働くまちを拓くべんきょう会
障害者の就労支援―何が変わり、何が変わらないか

話し手:沖山稚子さん(当会運営委員、市障害者就労支援センター元所長)

 沖山さんは、学生時代に在日の人々の就労差別問題身体障害者雇用促進法の下で、障害者就労支援に関り、高齢・障害・求職者雇用支援機構を退職されるまで、ずっと携わってきた。

 そして、縁あって越谷市障害者就労支援センターの所長を務められ、現在も都内で、高校中退者の支援の仕事に関っておられる。今回は、この四〇年のキャリアならではのお話をいただいた。

 このべんきょう会に向けて、沖山さんは詳細なレジュメを作成し、それに沿ってお話しいただいた。以下にレジュメを掲載する。


「障害者の就労支援-----何が変わり、何が変わらないか」           
                                                    沖山 稚子


T.障害者就労支援という枠組みと向き合って

○イントロ 日本の障害者就労支援は古くから実績がある

 障害種別の特定職業(古典落語の世界では障害者や田舎者をからかうようなネタも多数あり)
 視覚障害者 三味線弾き(ゴゼさん) 琵琶法師 あんま
 聴覚障害者 理髪 印刷植字工
 知的障害者 住み込みの下働き 与太郎(たぶん軽知的障害、横丁のご隠居や親戚のおじさんが作業指導?)
 
1917年 鉄道業務従業員の受障者のため、「鉄道青年会東京授産所」わが国最古の障害者教育訓練施設

1935年内務省の調査報告によると、全国217施設のうち7施設が障害者対象

1923年 関東大震災の被災者対策

  
1924年5月 同潤社啓成社の設立(内務省は国内外から寄せられた義損金の中から1,000万円を支出)

その後1931年満州事変以降は傷痍軍人の職業訓練モデルとなった

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1.大学在学中に没頭したこと

19〜21歳

 1970年に高校卒業後は2年間英語学校に学び、近畿日本ツーリストに就職(旅行が好きという単純な職場選択で就職)〜わずか1.5ヶ月で退社〜魂の彷徨?七生福祉園(知的障害者の施設)を訪問したり、「人と土の大学(富山県山奥の農村)」の活動に参加したり、「自分はどう生きてゆくのか」考えたりした。教会生活と受洗。

22〜25歳
 1973年大学入学(社会学部社会学科) 韓国ソウル清渓(チョンゲ)川(チョン)の活貧教会支援〜日本国内の問題、在日朝鮮人への就職差別に関心、朝鮮語の勉強開始、被差別部落出身者への就職差別〜川崎桜本地区の教会、民族差別の戦う連絡協議会の活動に参加〜兵庫県の就職差別闘争(作文や心理テストにより応募者の生活や出身等を巧妙に暴く仕掛け)に関心、尼崎工業高校を訪ねインタビュー〜尼工文化祭(在日高校生が本名を名乗るまでの葛藤を演じた劇)〜その頃に日立の朴君就職差別〜韓国における日立不買運動

2.(独立行政法人)高齢障害求職者雇用支援機構での35年間


26〜60歳
 1977年4月労働省の外郭団体である雇用促進事業団に就職(7ヶ月間はアルバイト〜77年11月千葉障害者職業センター開設に伴い職員として採用) 千葉、埼玉、本部、東京、三重、埼玉、埼玉(所沢の職リハセンター)、北海道(旭川)、山梨、埼玉(所沢の職リハセンター)、本部(幕張の研究部門)35年間のうち15年間は埼玉県での勤務となった。

就職後に感じた大きな違和感;

@ この法律5条に記されている「企業の社会的責務」に驚いた。営利を追う企業がなぜ障害者を雇わねばならないのか?企業の本音はどうなのか?「すべて事業主は・・・社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、云々」

A 就職差別の面で問題であると学んだ心理テストを当たり前のように使用する「職業評価」の現場、特にYG性格検査、内田クレペリンテスト、文章完成法(SCT)など

なぜ長期に勤続できたのか;

 消極的な理由としては、「辞めたら次の就職は難しいだろう」「2度目の就職もすぐ辞めるのは格好悪いな」「コネ就職だったので紹介者に申し訳ない」「少しは勤めて様子をみよう」

 一方では「就職とか職業に関連する仕事だったので興味をもてた」「来所者の就職意欲に圧倒された」「就職後の変化を見るのが嬉しかった」「草創期の業務だったので、お客のニーズに合わせてサービスを模索し作ることができた」ので、20年くらい経過した頃には、この仕事に魅力を感じるようになっていた。

たぶん、その頃(埼玉障害者職業センター2度目の勤務、40歳前半)に新座市のよろずや木村さんや越谷市のわらじの会山下さんらと出会う。普通の考え方や通常のルートではできないような就労(・・)をいくつも経験させてもらった。(だから、いつまでもこの世界から足が洗えずにいるのかもしれない)  (つづく)

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