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zoom RSS 暮らしの歴史・文化を保存しつつ街をひらく―交通アクセスinぎょうだ&バリアフリーウォッチング2016

<<   作成日時 : 2016/09/29 15:55   >>

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1991年から続けられてきた交通アクセス埼玉行動、第26回の今年は、9月24日(土)、行田市障がい者ネットワーク「ハッピーぎょうだ」が主催する「バリアフリーウォッチング2016」と共催で行った。
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 筆者たちは東武で羽生まで行き、秩父鉄道に乗り換え、行田市駅で降りた。同駅は橋上駅になっているが、駅員の誘導の下、ホームの端からスロープで降り、廃止された線路を渡る「車いす用通路」から外に出た。
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駅員の話ではけっこう利用者がいるとのことだったが、地元団体の口ぶりではいちいち階段の上にいる駅員を誰かに頼んで呼んでこなければならないため不便だと。
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 本日は開会式及び報告会を、商工センターという絨毯敷きの大きなホールで行う。ホールは2階だが、スロープで直接行ける。

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いつもの交通アクセスでは駅前で受付け、コース分けというパターン。「バリアフリーウォッチング2016」との共催だからこそ。

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市長の代理の部長さんからの挨拶まで。
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参加者もたくさん。
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開会式では、市広報広聴課が作成した「坂のないまち 」という観光PRビデオが公開に先立って上映された。
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行田市障がい者ネットワーク「ハッピーぎょうだ」副会長で、CILひこうせんの自立促進部長・木村さんが監督を務めたという。詳しくは、上の読売新聞の記事を参照。
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 開会式を終え、全員が3つのバリアフリーウォッチングコースに分かれて出発する。
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 筆者は隣市熊谷の自立生活センター遊TOピアの飯田夫妻と介助者グループと連れだって、「忍町アートギャラリーをめぐるコース」を行く。
 
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 他の2コースは観光ボランティアさんが、たくさん付いて説明をしてくれたようだ。が、このコースは、街中の大小さまざまな店などに飾られた作品を三々五々見て回るので、基本的に少人数に分かれて自由行動。私たちのグループには、市の職員さんが3人同行した。
 
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 小さな写真屋さんには、クラシックカメラのコレクションが展示されていた。
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 アートギャラリーのひとつに深町フライ店(上の写真)があり、熊谷グループの勧めに乗って、早めの昼食とする。B級グルメとして名高いフライだが、その実体を知らず、今日初めて食べ、薄いお好み焼きのような感じ。ソース味を注文したが、なかなかうまい。「中」350円だが、けっこうボリュームあり。「ミックス」というのは、焼きそば付きということ。
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 遊TOピア事務局員のIさんは、行田市で生まれ育ち、現在も住んでいると言い、自分の家では日曜の昼などによくフライを食べたりするそうだ。市内にはフライ屋さんが50軒以上あるというから、現在もそれだけの需要があるわけだ。現に、私たちの後に店に来た客には、「40分くらいかかるけどいいですか」と、店のおばちゃんが言っていた。注文しておいて取りに来る客が多いらしい。行列ができる店もあるとか。

 ちなみに、ゼリーフライという食べ物を、遊TOピアの人にいただいて食したが、こちらはおからとジャガイモを混ぜて揚げたコロッケのようなものにソースがしみていておやつ向きの感じ。

 
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 上の写真は、深町フライ店の隣のNPO法人忠次郎蔵が国の登録有形文化財である忠次郎蔵を維持、保存するために同蔵を活用して開いている蕎麦屋。先にふれたゼリーフライは、ここから配達してくれた。

 「平成20年当時、NPO法人忠次郎蔵の母体である行田足袋蔵ネットワークは、忠次郎蔵だけでなく、足袋とくらしの博物館運営やまちづくりミュージアムの開設等、活動範囲が年々大きく広げていました。
一方、忠次郎蔵は蕎麦教室卒業生を中心に、独自のネットワークの形成と活動を行うようになりました。そこで、足袋蔵ネットワークの負担軽減と、忠次郎蔵の独自の活動促進を目的に、平成20年10月1日にNPO法人忠次郎蔵として独立しました。」(HPより)

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 上の写真は、その忠次郎蔵の庭先。ゴム手袋が洗って干されていた。

 「私たちは『建物は使われてこそ価値があり、保全維持が可能』と考えています。利用されずにある建物では、皆さんに親しみをもってもらうこともできません。このために忠次郎蔵は蕎麦屋として再生され、蕎麦教室やミニコンサートも開催し、多くの人に親しまれる存在になるよう活動をしています。」(HPより)
 
 
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 その後、NPO法人ぎょうだ足袋蔵ネットワークが運営する足袋とくらしの博物館に回ったのだが、足袋工場と足袋蔵をそのまま活用した博物館は、出入り口が階段になっていて飯田夫妻の電動車いすとリクライニング車椅子では入れず、あきらめた。その代わりに、同じNPO法人がやはり足袋蔵を借りて於2009年にオープンした、スロープのあるまちづくりニュージアムに入り、話を聞いた。
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 NPO法人は、建築家の人々が中心になって設立されたという。

行田の名産品である「足袋」を保管しておくために建てられた蔵が足袋蔵」。足袋蔵は江戸後期〜昭和32年までの間に建てられたものが多く、現在は市の中心部に70棟余りの蔵が裏通りに面して点在している。

「行田がもっとも行田らしかった頃の近代化遺産を再評価しネットワークを形成することにより"点在すること"を楽しめるいきいきしたまちづくり」を目指し、2004年にNPO法人が設立された。観光案内所「まちづくりミュージアム」は、そのNPO法人の事務所を兼ねる。
 
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 しだいに行田の足袋の歴史を知りたい気持ちがふくらみ、グループを離れて、さきほどの「足袋とくらしの博物館」に入ってみた。上の写真は、博物館の裏手。牧野本店という老舗の足袋商店が大正時代後半に建設した工場を整備・改装したものだという。牧野本店は明治7年(1894年)創業。廃業は平成17年(2005年)。
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博物館1階には、昔足袋を縫ったミシンがずらっと並んでいた。実演や体験ができるらしいが、ちょうど担当者が席をはずしていたようだ。
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以下は、博物館の展示の説明等から。
 これは戦後の風景のようだ。1955年前後を境にナイロン靴下の普及と洋装化の急激な進行で、足袋の生産量は減少を続け、廃業もしくは被服生産などに転換する足袋商店があいついだというから、その前の写真だろうか。

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 アジア・太平洋戦争中の写真。戦争が始まると男性職工が軍需工場に徴用され、足袋工場は開店休業の状態になった。企業統合が行われ、防寒外套、軍服、航空服などの軍需被服の製造が命じられ、勤労挺身隊なども受け入れて生産したという。

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 これは最盛期の1930年代の写真だろうか。1938年には、約200社の足袋商店が操業し、年間8500万足、全国生産の8割を行田が占めた。
行田足袋は、西南戦争(1877)で軍需品生産への足がかりをつかみ、日清戦争(1894〜1895年)では軍艦内での刺し足袋40万足を受注した。

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 上の写真は足袋屋の従業員たち。全員男性。

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 日露戦争(1904〜1905年)では軍需用のわらじ懸け足袋を大量受注し、これをきっかけに行田では足袋工場建設ブームが起こった(上の写真)。
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 上の写真は、大正時代初期(1912年〜)の足袋屋から足袋産業へ成長してゆく当時の足袋製造風景。女性従業員の姿が見える。ミシンの改良と電力の供給により、生産はさらに向上し、女子労働力はさらに増えてゆく。ただし、行田の特徴は、大阪・堺の福助足袋株式会社のような大企業は現れず、個人経営の域を超えるものはごくわずかな小さな町工場が最大200社も活動した。(だからこそ、出来上がった足袋を保存しておく足袋蔵も各所に建てられ、ずっと使われてきたといえる。)
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 ここに、綿布工場、染色工場、ネル張、箱屋、糸商、ミシン商、鉄工場など関連産業が数多く生まれ、行田は足袋産業のまちへと発展した。
 上の地図で、濃褐色が足袋被服業者で、淡褐色がその搬送業者だという。街中いたるところにある。

 そして、第一次世界大戦の1918年シベリア出兵などでも、行田の足袋業界は好景気に沸いた。このように、行田足袋の生産量の飛躍的増加の背景には、常に戦争があった。

 なお、「新編埼玉県史」資料編23 近代現代5 社会労働1 に「忍町本山足袋工場の争議 昭和2年12月」という項がある。「東京朝日新聞」埼玉版 昭和2年12月6日の記事。
 
男女工300余名結束して 賃金2割直上その他要求
            −本山タビ工場争議拡大か
忍町たび工場の労働争議はその後相次ぐ検束騒ぎにも気勢衰へず鈴木工場の職工200余名は4日の第一日曜日を機会に盛んに40余の工場をおとづれ策動の結果5日午後1時一丸足袋製造本山工場男女300余名が突然
 1.歩合制度を日給に改むること
 1.月末には必ず賃銀を支払ふこと
 1.会社の都合で休業した際は日給を支払ふこと
 1.賃銀2割を直上すること
等の待遇改善に関する要求書を提出すると共に大挙退場し同町観音山に集合工場主の切崩しその他と(の)対策協議中忍署員に追ひ散らされ清水外6名は検束されたが尚町内各所に集合策動してゐるので他工場にも飛火するらしいので忍署では警官全部に炊きだして厳戒中である

     正義団結団
忍町たび工場の労働争議問題が頻発するを憂慮し協調に尽力すべく佐間区町田時次氏主唱の下にこの程忍正義団を組織し団員の加盟者を勧誘中であったが30余名に達し平塚佐太郎氏宅に結団式を上げた


昭和の初期、行田足袋が最盛期を迎えた時期のことだ。なお、同書には、行田足袋の争議はあまり載っていない。小さな工場がほとんどで、働く人々が団結しにくかったのだろうか。

 そう考えると、橋本画伯の母・ミツエさんの織子時代の体験と重なってくる。高等小学校を途中で辞め、住み込みで夜まで働き、仕事がない時は工場主の山の畑の作業をさせられた。みな20歳前の娘ばかりだった。工場主の家で婚礼があったときは、そのためにむいた牛蒡の皮を従業員のおかずに回し、みな怒った。山の畑で芋を掘って生でかじったり、深夜こっそり母屋に忍び込んで釜の飯をとってきたりもした。辛くて逃げる者もいた。
 そんな形での抵抗が無数にくりひろげられたのだろう。

 行田のふらいは、そのころの女工たちが夕方の「おやつ」に食べたという。おやつといっても夜の作業に向けたつかの間の休憩時間の食事なのかもしれないと思った。

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 ちなみに、工場を退場したおおぜいの者たちが集まった「観音山」は、おそらく二子山古墳(上の写真)ではないだろうか。かって、東裾に観音寺があったことからそう呼ばれていたという。
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 コースの最後に忍城へ行き、映画「のぼうの城」に題材を得たおもてなし甲冑隊の演武を観た。
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 また、忍城の史跡の博物館では、NPO法人ひこうせんの絵画展が開催されており、力作ぞろい。濃いブルーの海といるかに花や動物を描きこんだ作品は、藍染めの浴衣の柄によさそう。

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 小雨降る中を歩き、商工センターへ帰る。三つのコースすべてから人が帰り、撮ってきた写真をスライドとして眺めながら報告集会。

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 寺社の門の下に敷居があり車いすで通りづらいところもあれば、脇に平坦な通路が設けてあるころもあった。寺社の中の道も、基本は敷石でガタガタして、脇を通ると傾斜があるなど。点字ブロックのところに草が生えて見えにくくなっている箇所もあった。
 車の交通が多い道路でも歩道がなく危険に感じるところもあった。

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 今年も東京から参加していただいたDPI日本会議交通問題担当・今福さん。今日はバスで行田へ着き、ゼリーフライも食べたとのこと。毎日交通機関に乗り、からだでチェック。あちこちで乗車拒否にあい、克明に記録を公表し、交通事業者、国、自治体へモノ申しているが、今日は「差別解消法の相談窓口をみんなもっと利用しようよ」と呼びかけていた。同感だ。

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行田の街を歩き、車いすでは近づけない足袋蔵やスロープが付いた足袋蔵、それに行田市駅の臨時スロープなどを体験し、行田の足袋産業と人々の暮らしにふれて考えた。
 上の写真は越谷市恩間新田の生活ホームオエヴィスだが、ご覧のようにスロープがない。だが、この構造は、いまは亡き新坂姉妹の暮らしに合わせて設計された。農家の奥で、一日中縁先に座ったまま、豆の殻をむいたり、綿繰りをしたり、トマトを磨いたり、お針を習ったりして過ごしていた。車いすを濡れ縁につけて、フラットに家の中に入る。中では這って動く。
 そのように暮らしていた部屋をそのまま拡大コピーして作った分家がこのオエヴィスのスタートだ。

 分家を作っただけでは暮らしていけなかったから、当時使えそうな数少ない施策だった生活ホーム制度と全身性障害者介護人派遣事業、そして生活保護制度の活用を考えた。生活ホームは4人以上でないと成り立たないので、希望する他の障害者を住人として迎えた。姉妹に合わせた住まいは、他の住民にとってはバリアともなりうる。互いのせめぎあい、折り合いを通して使いながら改善してきた。

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 交通アクセス行動として県内各地から小さな旅をして、旅人の目で街を歩くことで発見できることは少なくない。しかし、ずっとその街で暮らしてきて、仕事や生活に沿った道や建物、地区、交通機関を毎日なぞっている人のからだの延長として創られてきた風景としてある歴史・文化の沈黙までは感じ取れない。
 昔1980年に出かけたスウェーデンで、 ニュータウンはすべてバリアフリー仕様だが、旧市街はまったくバリアいっぱいだった。
 その歴史的・文化的な基本となる構造を保存しながら、しかも外とのつながりを拡げ活気ある街として育んでゆく…生活ホームオエヴィスでささやかに試みたことが、いま大きな課題になっているのではないか。
 その点で、高橋儀平さんの上記の研究にも興味がある。
 また、秋山哲男さんらの「観光のユニバーサルデザインー歴史都市と世界遺産のバリアフリー」も読んでみたいと思った。

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