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zoom RSS 「崖を登る」、「生きるだけ生きる」、「切り捨てない」―9.19東埼玉違憲訴訟のつどいを終えて

<<   作成日時 : 2016/09/20 22:43   >>

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9.19東埼玉違憲訴訟のつどいに、連れ合いと橋本克己画伯を迎えに行き、一緒に参加。去年の今日は、世一緒画廊喫茶を終えて家に帰り、連れ合いと共に国会包囲行動に参加したことを想い起す。

 埼玉障害者市民ネットワーク・野島代表が共同代表となり、同事務局の大坂さんや私ほか数名が原告となっている関係で、地元の東埼玉では後援団体として埼玉障害者市民ネットワークの名を連ねたが、全県的なかたちではまだ話し合えてはいない。埼玉の会事務局の所沢・教育と福祉を問い直す会の沼尾さんから投げかけられてはいるのだが。

1)「分けるな!」テーマ 演じながら自他に問いかける「巡業団」を想う

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 かって社団法人埼玉障害者自立生活協会として、一連のセミナーを行い、その一部をまとめて「子どもたちはいま」という冊子を作った。しかし、自立生活協会、障害者市民ネットワークの少なからぬ障害者たちが読むことができない現実を踏まえ、冊子の中身を劇にしていろいろな場で演じて回ることを通して、読み込みと普及を併せ行ってみようと「山にこもりましょう巡業団」(上の写真)を結成し、いまも活動を続けている。
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 障害のある子とない子が小さいころから一緒に遊んだりけんかしたりする中で、しゃべれるしゃべれないといったことを超えて何かしら通じ合え、試行錯誤できるという経験を踏まえ、子ども時代分け隔てられてきた者同士も含め、壁にぶつかりながら一緒に外へ出て行き、迷い悩みつつ考え合おうというのが「巡業団」だ。上の写真は、教育局交渉に登場した巡業団。
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 津久井やまゆり園の殺傷事件の容疑者は、「意思疎通できない者」を標的にしたという。「意思疎通」を個の生理的メカニズムととらえてしまえば、それを欠く者は人間社会を共に創る仲間からは外れた生体でしかなくなる。競争社会を生き抜くために淘汰さるべき対象となる。だが、生まれたばかりの子ども、いやまだ胎内の子どもとの対話、そして意識を失った人、さらには亡くなった人と、誰もが語り合った経験を有するだろう。それだけで、意志疎通とは個の内部にではなく、関係の中に立ち現れることがわかる。
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 安保法制とは世界のあちこちで自衛隊が戦争に参加するための法律だ。敵と戦うために国の命令に従って行動し、秩序を乱さず、秘密を洩らさない行動が全員に強制される。その際、本土の兵隊が通じない琉球の言葉で話したりすること自体がスパイ容疑とみなされたように、「意思疎通できない」とみなされた者は厄介で危険な存在とされてしまう。
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 出生前診断や脳死臓器移植、さらには終末医療をめぐる「生命の質」、「生活の質」論議は、「役に立つか」、「社会の負担」、「苦労するか」、「尊厳の有無」などによっていのちを選別しようとする方向へ進んでおり、医学・医療の動向が、結果として戦争に対応した社会体制準備につながってきた。

 そんな状況にあるにもかかわらず、というよりそういう状況だからこそ、安保法制を問う運動と埼玉障害者市民ネットワークの障害者たちの運動が、これまで出会う場面もなくここまで来た。

 今日は、野島さんが発言者の一人となった。大坂さんが司会を務めた。避難所一泊体験の実行委員長として、多くの市民団体とつきあいを重ねている障害者・樋上さんも参加した。

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 そして驚いたのは、飯能高校定時制の3年生に通う重度障害の17才・松本さんが母・弟と、毛呂山から参加したこと。ほとんど手から情報を入手した橋本画伯はどんな感想を持ったろうか。

2)9.19東埼玉違憲訴訟のつどいの印象

 前置きの方がずっと長くなってしまったが、つどいの印象をメモしておく。
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石井:安保法制は何の説明もないまま、着々と戦争準備が進んでいる。それに対し、東埼玉では100名が違憲訴訟の原告となった。あらためて交流し、意思統一する場としたい。

佐々木弁護士:安保法制は、これまでの制限を取っ払い、いつでも・どこでも・どんな戦争にも参加できるように変えてしまった。違憲訴訟に大義はあるが、裁判官は権力装置であり、良心的な裁判官は排除されつくしており、薬害やハンセン氏病のように具体的かつ深刻な被害として示しきれない現状で、勝訴の判決をと言われれば「みんなが見ている前で崖をよじ登れと言われたと同じ」。そんな状況の中でどう裁判官の心を揺さぶるか。また、裁判というのはスケジュールをもち展開する運動の土俵であるので、みんなが見ている前でどう突破口を切り開いてゆけるかがカギ。ほんとうにエネルギーを集中できる課題で裁判を有効に使ってゆく知恵と工夫を。
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野島さん:今は平和だけど、戦争が始まったら困るのは私たち障害者。だからみんなで戦争は絶対にやらないように反対しないといけない。
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吉田さん:東京大空襲で一番許せないのは子どもの犠牲者が4割に上ったこと。子どもの人生を断ち切る権利がどこにあるか。自衛隊そのものが違憲。それを認めた判決が出たのに支えきれなかったのは私たちの責任。運動を広げる中で勝っていくことが必要。
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家所さん:越ヶ谷小学校、旧制粕壁中学校、陸軍幼年学校を通じ、軍国少年として育てられた。戦後、民主主義教育に目覚め、高校の教員になり憲法を教える立場になった。憲法は厳しい試練にあいながら71年も輝き続けている。

藤家さん:現在27歳で2児の母。働いている。高校生の時イラク戦争があり、平和について学んだ。これまで最後の最後に武力行使はできないという歯止めがあることに、日本で生きている誇りを持った。昨年の安保法制の国会は出産直後でTVで見ていたが、生まれて2ケ月、やはり子どもを理由に家にいたままではだめだと思い、国会に行った。9条が育んできた「平和ボケ」をこえ、言葉を通してつながることが大切。

石井伊さん:10月1日が来ると94歳。昭和18年から3年間の軍隊経験。中国大陸からフィリピン、マーシャル群島、そしてパラオのペリリュー島。軍隊という特別な社会で入隊から帰還するまで最下位の兵隊として苦しんだ。パラオでは食料がなくなり、蛇やトカゲも食べた。のどが乾いたら小水を飲んでも体には大丈夫と言われたほど。米軍の攻撃で亡くなった人の他餓死した人も、その遺体の処理も話せないほど悲惨だった。

辻越谷市議:日の丸を議場に掲げろという請願が出され、明日審議が行われるので、ぜひ傍聴を。個人の幸福より国家の力が優先した時戦争が起こる。国歌・国旗は単なるうたとはたの問題ではなく、それを強制されることは人より国家が優先されること。あちこちの学校現場で起こっている。

横山さん:29歳。越谷市在住。どうしたら若い人や関心のない人も含めた国民的な運動になるか考えてみた。私たちのように生まれたときからカラーTVがある人は、戦争といっても受け取り方がちがう。たとえば九条の会の代表に、坂本龍一とか宮崎駿のような人が代表になり、十年交代にしたらどうだろうか。
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倉橋さん:実行委員が知らない顔が多く心配した。50名くらい来てくれるかと思ったらこんなにたくさんの方が来てくれた。佐々木弁護士が「みんなが見ている前で崖を登るような」と表現された。アベはアベで大企業をバックに一生懸命だと思う。こちらも犠牲を払って作ってくれた9条と戦争がなかった状況を解体してはならない。アベに対抗して平和を創り出してゆく、平和貯金をするためにこの裁判がある。


3)「生きるだけ生きる」、「切り捨てない」 運動のありかたを考える

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 佐々木弁護士の「みんなが見ている前で崖を登るような」という言葉が、どこかにへばりついている。それは「違憲訴訟」という運動のかたちに関わること。裁判という土俵とは全然違うけれど、あたかも四面楚歌とみなされている状況下で、画伯や野島さんや樋上さんらも参加してデモを敢行したことがあったなあと思い出した。
 1989年2月、昭和天皇の告別式である大喪の礼を5日後に控えた日曜日。自粛ムードでおおわれた浦和の街、右翼の宣伝カーががなりまくる中で、「ええじゃないか」と歌い踊りながら練り歩いた。上は画伯が描いた絵日記。

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 あの時は、知的障害のある生徒を受け入れようと内部からがんばっている定時制高校の生徒たちや教員と一緒だった。デモの前、浦和の教会で集会が開かれた。筆者が毎日つけている「活動日誌」をめくると、その日のページには上のイラストが添えてあった。これは筆者作。
 「天皇なくてもええじゃないか」、「君ヶ代なくてもええじゃないか」と手拍子を打ちながら。野島さんは看板を背負って、画伯はドラを鳴らしながら練り歩いた。途中でパンクのお兄ちゃんが混じってきたりした。

 
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 活動日誌を繰ってゆくと、あの時は前もって「天皇制を問う連続講座」という集まりが何度か開かれていて、そこに高校生10数人と埼玉障害者市民ネットワークのメンバー何人かが参加していたことをうっすら思い出した。上のイラストはやはり筆者作で、第2回の講師・故丸木俊さんの言葉も書き留めてある。
 「お国のためにはこの身をいとわない」というようなものの考えを捨てないといけないですね。どうしたら命をながらえることができるか……日本人の持っている雰囲気の中には、命を粗末にするような考え方があると思います。みなさんと一緒にこのことをよく考えて、子どもにも「死んではだめ。生きるだけ生きるんだよ。親より先に死んだら親不孝だってことあるのよ」と話しましょう。

 そして、第3回の「天皇制を問う連続講座」(1月15日)の時に、八木下浩一さんや樋上さんがそれぞれ障害をもって街で生きてきた自己史を語り、樋上さんが「これから何かやれそうな気がする」と結んだ。その二人の発言に触発されて、共同通信の若い記者が手を挙げた。
 「ぼくは今日ここへ来るのが嫌だった。ほんとはたまの休日、好きな小説読んでいたかった。『ねばならぬ』式の考え以外出しちゃいけない場なのかと思って黙って帰るつもりだったけど、さっきの二人の発言を聞いて、ぼくみたいな者でもしゃべっていいのかなと思った。」
 「先日の(天皇制を問う連絡会の)記者会見の時、マスコミ各紙に対し、なんであんなことを書くんだ、それでいいと思ってるのか、とさんざん糾弾された。やむをえないと思いながら、しかしカチンと来た。記者個々人は書きたい人間は誰もいないはずだ。ぼくらを切り捨てないでほしい。自分たちの側にだけ正義があるかのような言われかたは、天皇制の裏返しに聞こえる。上からの天皇制キャンペーンにかかわらず、大多数の人はあまり関心がなく、自民党のタカ派あたりにとっても今の状況はうまくいってない。みなさんは自民党タカ派と話し合ったりする機会はないだろうが、マスコミというのは、皆さんのような立場からタカ派の立場までをごちゃごちゃにしてしまう機能がある。ぼくは、そういう所に皆さんが少しであっても可能性を見て、僕らを切り捨てないでくれるようお願いしたい。」

 
 この時のことをふりかえりながら、俊さんの「死んではだめ。生きるだけ生きるんだよ。」と、共同通信の若い記者の「ぼくらを切り捨てないでほしい。」はつながっているなと思った。それをつなげたのが、八木下さんや樋上さんの暮らしの言葉だったのだろうと。

 倉橋さんがまとめに述べられた「平和を創りだしてゆく」、「平和貯金」にもつながるかもしれない。

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