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zoom RSS 「腹をくくれないが 今ここで生きるしかない」−原発の街を追われて

<<   作成日時 : 2015/07/07 11:44   >>

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 以下は、もう3ケ月前の記録で、それも尻切れトンボ。書き加えるためにアップしないでいたのだが、「腹をくくれないが 今ここで生きるしかない」 原発被害者の状況とダブルので、このままでアップすることにした。



4月4日、花冷えの土曜午後に、辻こうじ事務所で開催したイベント。

 わらじの会・市民福祉講座 再開第1回

映画と制作者トーク 「原発の町を追われてー避難民・双葉町の記録」
    トーク・堀切さとみさん

 まず、「原発の町を追われて」そして同続編を連続上映。


 休憩後、監督の堀切さんが語る。おそれていた原発事故がついに起こってしまったのかと、本当に怖かった。さいたま市に住む自分でさえそうなんだから、地元の人はどれほどだろうか。自分自身も逃げないでいいのだろうかと、おろおろしていた。1週間たって、さいたまアリーナに浜通りの人達が大勢避難してきた。それで、埼玉でも安全かどうかわからないが、とりあえず避難して来れる所なんだなと思った。そして、私もその大勢の人達と出会った。そこが起点となって、いまの自分のポジションがあるのだと。

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 もうひとつ堀切さんが指摘したのは、いつも私たちが口にする、差別も排除もある地域にあえて居座って、腹をくくって共に生きていくというようなことが、放射能汚染地域ではできないのだということ。少なくとも、それまでずっと生きてきた地元で、その歴史を引き継いで生きることができない。新しい地域で生き直さなくてはならない。それはたいへんなことだと。

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 こうした状況の中から、「被災者」、「被害者」としてただ与えられて生きているのではなく、人と人のつながりをもちながら生きてゆく人も増えていると、堀切さん。

 冒頭の言葉の通り、福島の人達がここに来てくれたからこそ、出会うことができ、とりあえずはここで生きようと考えを固めることが、堀切さん自身可能になった。だが、そのようにインパクトを受けた他者たちを知ることで、福島の人々も根なし草では終わらない実感を得られるかもしれない。

 そんな当事者の一人として、堀切さんは南相馬市から岩槻に避難している横田さんを紹介する。
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 横田さんは、3.11から4年経って、マスコミをはじめ風化が進んでいると痛感している。にもかかわらず、今日おおぜいが集まってくれたことに感激していると述べる。

 
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 横田さんは、1ヶ月に1回、小高地区にある自宅に帰る。その時は勇んで帰るが、2、3日いて、岩槻の借り上げ住宅に戻る時の気分は重い。そんなくりかえしを4年間。映画の中で、「埴生の宿」が流れた時は、思わずうるっとした。いつも心の隅にあるので、それがストレスの原因のひとつ。

 南相馬市は2016年春避難指示解除を出す予定だが、除染して20ミリシーベルト以下になったから安全だなどと横田さんは信じていない。だから、子や孫に帰ってほしいとは思わない。しかし、自分達夫婦は、先祖から代々受け継いできた家に戻らなくてはいけないだろうと感じつつ、揺れている。

 地元福島では、県も市も「安全」をアピールし、地域住民の間では放射能汚染について語ること自体、タブーとなっている。地元に残った人々は、汚染を語ることは、自分達の生活や生き方の否定につながると感じてしまう。別々に分け隔てられたことが、互いの対立につながる。 

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