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zoom RSS NPO法人生活学舎のんき と つるい養生邑 ―大木博さんとの出会いから

<<   作成日時 : 2015/07/27 23:21   >>

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 盲聾にして下肢マヒの橋本克己画伯と見沼田んぼ福祉農園協議会代表の猪瀬良一さん、そして元1年間ボランティアで現在京都で看護師をしている廣田京子さんとうちの夫婦という珍妙な5人組による北海道3泊4日の旅。なぜ北海道かといえば、半世紀余りの親友で、医師の行木紘一さんの、「お互いいつ死ぬかわからないから早く来い」との招きによる。そして、川上郡弟子屈町でクリニックを開き、お連れ合い・浩子さんは自宅隣でおしゃれなペンションを営んでおり、2泊はその「アリスガーデン」に泊った。

 行木さんとの交友に関しては別に譲ることにして、今回はどんな人たちと出会ったかについて。

 冒頭の写真は、初日、釧路空港から弟子屈に車で向かう途中、めったにみつからない車イス利用可のトイレに立ち寄った時、あたりをぶらぶらしていたら出会った「特定非営利活動法人 生活学舎のんき」の人々。


 ここは鶴居。そういえば、明日、夕食時に鶴居から大木さんという人を招いてあると言っていたので、もしかしたらと思ったら、いたいた。

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 画伯がプレゼントした「克己絵日記U」をのぞきこんでいる、右端の人が代表理事・総施設長の大木博さんだった。もうひとつ、そういえば…だが、旅するテント劇団どくんごの2Bさんと先日会った時、鶴居に毎年公演を受け入れてくれるグループがあるという話になり、「あれは半端じゃなくやばいですよ」と強調していたのを思い出した。そのことを確認すると、大木さんの顔がぐっとほころび、「うちです」と。

下のURLはネットでみつけた14年前の鶴居公演のようす。大木さんのことも出ている。

http://www.dokungo.com/dancing/tsurui.htm

 
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 上の写真は福祉ショップのんき屋、「立ち食いよせ豆腐」などの看板や幟が目立つ。隣に就労継続B型の「のんき工房」があり、豆腐製造、便利屋などをやっている。

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 そこへ釧路行きの路線バスが到着し、画伯を囲んで自己紹介し合っていた若い人達が手を振って乗り込んでゆく。職員らしき人に聞くと、「外泊なんです」。一瞬、旅行のことを外泊と呼ぶのは、自立生活プログラムの一環としての宿泊体験の旅をするのかなと思ってしまった。聞き返しているうちに、ようやくグループホームの入居者が週末親の家に泊りに行くのだとわかった。病院・入所施設等ではたしかに「外泊」という言葉を用いる。しかし、一人暮らししている人が生家へ泊りに行く場合は、「行く」とか「帰省する」などとは言っても、「外泊」とは言わないだろう。短い出会いだが、こののんき屋には病院・入所施設のような管理が先行している雰囲気は感じられなかった。にもかかわらず「外泊」と呼ぶ感覚の中には、利用者も職員も共同体の住人同士という感覚があるのかなと思う。「共同体からの外泊」なのかも。

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 上の写真の赤矢印が工房で、右手前がショップ。


 
 翌日の夕食の時、行木さんの招きで大木さんが星さんという人と二人で見えた。

 行木さんの営む「弟子屈クリニック」は1993年開設当初「てしかが養生邑クリニック」という名で立ち上げられた。鶴居村で1984年から運営されていた「つるい養生邑病院」のネットワークに加わったのだ。大木さんはこの病院の開設時からのメンバーで、最初にどくんごを招いたのは「つるい養生邑病院」でのことであり、大木さんは同病院の看護師長だったらしい(前記のネット情報参照)。

 つるい養生邑病院については、以下のブログが詳しい(場末P科病院の精神科医のblog 「30年前に大きな夢を描いた一人の精神科医」).。
http://blog.livedoor.jp/beziehungswahn/archives/33709658.html

 このブログの冒頭にこう書かれている。

 「今回は、30年前という精神科病院の窓にまだ鉄格子があった時代に、壮大なスケールで精神科医療の夢を描いた1人の精神科医を紹介したい。
 その男の名は宮田国男という。彼は1984(昭和59年)につるい養生邑病院を釧路湿原のそばに開設したのではあったが、病院を開設した1か月後に自殺をしてこの世から去った。」

 行木さんと大木さんから聞いたこと。この宮田さんは大学医学部在学中に、当時の国電新橋駅近くで診療所を開いていた父が急死した後、1967年まで4年間にわたり、そこを「内科画廊(Naiqua Gallery)」と名付けて、赤瀬川原平、中村宏、オノ・ヨーコをはじめとする前衛的、実験的な芸術家らに開放し、100回を超す企画展がそこで開かれたという。

 下記のURLは写真家・羽永光利・作品紹介(前衛美術) のホームページだが、この作品の中に、「1963年7月15日〜27日 ハイレッドセンター『不在の部屋』内科画廊/東京」も収載されている。なお、ハイレッドセンターとは前衛芸術家である高松次郎・赤瀬川原平・中西夏之の頭文字をつなげたもの。宮田さんは、中西氏と幼馴染だったという。

http://www.mitsutoshihanaga.com/portfolio/index_02.html

 その宮田さんが卒業する時代は、行木さんや私とかなり重なっており、医学部ではインターン制度完全廃止の運動から、さらに教授が支配する医局講座制解体、そして人体実験や拘禁的精神医療を問う若手医師や医療スタッフらの運動の波が、厚い岸壁にぶつかって崩れてはまた押し寄せる、そうした時代。

 その波に翻弄された末に、宮田さん自身が「つるい養生邑」に託した構想(前記ブログより)。

 「治療共同体」(マックスウェル・ジョーンズ)は、精神病院という小世界を、深い人間同志の出会いを可能にする場として、そこでの人間関係を通して人々がこころの痛いを癒し、成長していくことができる共同体として組織していこうとする考えです。

 私は、さらに病院という枠をこえて、人々が生活することが治療であり、治療することが生活であるような共同体の創造をめざして「治療・生活共同体」建設という構想にいきついたのであります。私たちは昨年、新しい「治療・生活共同体」建設の地を北海道釧路市郊外の鶴居村に定め、名称も(つるい養生邑・つるいようせいむら) として、建設準備にとりかかりました。

 鶴居村は、釧路市の北西に隣接し、釧路湿原の一角をなす酪農の村です。その名の通り丹頂鶴の生息地として有名で、豊かな自然に恵まれています。私たちはこの村の中心にある、南に小川と牧場をこえて釧路湿原を望み、北にはるか雄阿寒岳を仰ぐ約六万坪の丘陵に、小さな病院と社会福祉施設、それに付属して農園と木工場を、さらに造形、テキスタイル、絵画などの工房と音楽、舞踏、演劇などの小劇場を建設していきたいと考えています。


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 大木さんは神奈川県出身で、やはり「治療共同体」をめざして開設された同県の初声荘病院で働いていたそうだが、宮田さんが「内科画廊」の人脈と北海道の自然を生かして展望する「治療・生活共同体」に惹かれ、仲間に加わった。

 宮田さんはすぐ亡くなってしまったのだが、同じ志を持つ人々が集まって、上記の構想につながる音楽家や舞踏家、画家、演劇家たちを含むさまざまな人々を迎え入れ、故人のめざした「治療・生活共同体」をめざすさまざまな試みに取り組んだ。

 旅するテント劇団どくんごの迎え入れも、そんな風に耕された日常においては、そんなに特別なことではなかったようだ。

 とはいえ、時が流れ、開設当時の顔ぶれがだんだん減ってゆく中で、人の出入りも、日常のありようも徐々に変容しつつ安定してゆく。大木さんにはそうした実感が増して行ったようだ。

 行木さんはすでに18年前に「養生邑」の看板をはずしたが、大木さんはその10年後?に「つるい養生邑」を退職し、やがて2008年にNPO法人生活学舎 のんきを立ち上げる。
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 のんき工房、のんき屋は、豆腐関連の生産・加工・販売がメインの就労継続B型で移動販売車も持っている。

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 上は大木さんの顔写真入りの「味わい3種 豆乳プリン」の新聞記事。

すごくもうかっているらしい(行木さんの息子さんで社会福祉法人手つなぎ職員の衆児さんの話)。

 グループホームの若い住人たちとの出会いは冒頭に述べたが、路線バスで1時間以上、さらにそのバス停から家族が車で送迎…といった土地柄を考えれば、通所施設といえどもグループホームとセットの住み込み型の需要が多いのも不思議ではないのかも。

 フェイスブックページを見ると、下に紹介するような夏休み企画もやっている。
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この会場の平田牧場は、劇団どくんごのテントが立つところらしい。
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 観光パンフにも載っている。
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 なお、今回の旅行で、初めて野にいる丹頂鶴を見た。鶴居ではなく標茶だったが。

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