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zoom RSS 被災・農・学校 −原点へ遡る 岩手への旅

<<   作成日時 : 2014/10/13 15:37   >>

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連れ合いと二人、岩手の旅。一日目、沿岸部の宮古へ。
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名勝・浄土ヶ浜で6.5mの津波に襲われたレストハウス。
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かって漁港の風景が広がっていた辺りはすべて土地のかさ上げ工事中。仮設住宅もあちこちに。
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 被災地障がい者センターみやこは駅からすぐの角地に位置していた。突然の訪問にもかかわらず、快く受け入れていただき感謝。同センターは、さまざまな障害者が「災害時要援護者」といった受身の立場にとどまらず、他の人々と共に生きる街を一緒に作ってゆけるよう支援している。震災時、福祉施設等の職員が利用者を助けるために地域に向かったが時間がかかり、高齢者・障害者たちは家族やご近所の手を借りて避難した、ごく当然の街づくりをもっと進めなくてはと、代表の黒柳さん。
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そのために沿岸部を2週間かけて車椅子等で縦断し、各自治体交渉も行う「みちのくTRY」(上の写真は同センターブログより)も行ってきた。3年目の今年はキャンプというゆるやかな形式で。
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 悩みは、イベント時だけでなく日常的にスタッフとして一緒に動く障害者がいないこと。来年度は障害福祉サービス事業所を立ち上げ障害者が来やすい状況をと検討しているが、他方では障害のない人々とごちゃごちゃ動いているいまの活動をどう継続できるかという悩みもある。黒柳さんが小学生の頃、いまふりかえると知的障害だったかなと思う子が同じクラスにいて、できない子とかバカとか言いながらも一緒に育ち、中学卒業後もちゃんと仕事があって働いていた、それがいつの間にか分けられちゃったと語る。共感しつつ、分けられてゆく流れに逆らう試みとして、埼玉の全身性障害者介護人派遣事業などを伝える。
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話をしている間に、障害のある若者たちが入れ替わり立ち寄る。会社、施設、学校帰りらしい。

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世一緒の雰囲気に通じる。

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 二日目。小岩井農場へ。宮沢賢治が1922年「小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が いかにも確かに継起するということが どんなに確かな奇跡だろう」とうたった風景は、31年前からの植林事業によるものだと知る。

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1916年建築の木造4階建の四階倉庫!東日本大震災をくぐり抜けた。

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バイオマス発電・堆肥化プラントも見る。人々の暮らし方と働き方が風景の中に貫かれる。

 そして、盛岡駅から高校会館へ向かう。
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途中、中津川でサケの遡上を初めて見る。

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岩手の旅は原点への旅だと思う。

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 午後3時から、そもそもの目的だった岩手高教組障害児学校部の学習会にて話す。

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演題「共に生きるとはせめぎあうこと〜インクルーシブな社会とはエクスクルージョンとの拮抗の中に〜」。
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 終わって懇親会へ。教員の皆さんひとりひとりから、感想や意見を聴けてうれしかった。小さいときからどんどん分けながら、社会に出て共に生きましょうということが、大きな軋轢を生じていることが、それぞれから伝わってきた。悩むことが出発点との言葉も聞けた。やっぱり原点に回帰する旅。

後日談:
 facebookの友達、竹内さんより宮沢賢治が技師として働いたことのある、一関の東北砕石工場もいいですよとご紹介をいただいた。

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 酸性土壌の改良の為に石灰石の「肥料化の研究を、技師として賢治が担った。上の写真の後列右から4人目のネクタイ姿が賢治。1978年に操業を停止し、いまは「石と賢治のミュージアム」になっているという。


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そこにあるという賢治の歌碑。「あらたなる よきみちを得しといふことは ただあらたなる なやみの道を得しといふのみ」
まったく同感。それが人間だ。

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