共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 記念シンポ「一緒にいるということとは?」 いたるところで問いたいこと

<<   作成日時 : 2014/05/28 00:08   >>

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 5月25日(日)、社団法人埼玉障害者自立生活協会2014年度定期総会の後、記念シンポジウム「一緒にいるということとは?」が開催された。(会場:浦和コミュニティセンター第15集会室)

 総合司会:植田 涼さん(社団法人埼玉障害者自立生活協会事務局長)、そしてコーディネーター:門平 公夫さん(元児童相談所ケースワーカー)の下に、パネルディスカッション形式で行われた。
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 今回のシンポジウムの資料集の巻頭文は「私たちはもっともっと、お互いの体験を出し合い、その中の課題を浮き彫りにしていく必要があります。それが、違う立場や意見の中で、共に生きる社会という地平に一歩ずつ歩みを進めていくことにつながると、改めて思いました。」としめくくられている。

 これは、2013年度埼玉県障害者施策推進協議会の合同ワーキングチームの最後に朝日会長がまとめた言葉の中にあったそうだ。筆者も同感である。
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 ここでシンポジウムの速報をまとめるが、多くの方々の重要な発言をカットさせてただいた。特にコーディネーターの門平さんは、このテーマの真髄を踏まえた問いかけでパネリストの発言を引き出していただいたのだが、パネリストの数回の発言を一つにまとめてしまったので、カットさせていただいた。会場からの質問や意見、討論も同様である。それらは、後日協会機関誌「通信」で掲載されるはずである。

 さて、パネリストの意見まとめ。これもあくまでも筆者のメモを元にした勝手なまとめである。
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山口 詩子さん(社会福祉法人 いーはとーぶ)
施設入所をしないですむようにと地域に場を作って来た。本人たちが車イスで買い物に行くと、駅の階段を駅員たちがかついだ。やがてエスカルに、エスカレーターにと変わっていった。そのうち、近所の不動産屋さんが「いい物件が出たよ」と言いに来るような関係になった。私がへこんでいると、「あんたが障害者も共に地域でと言うからやってきたんじゃないか」と不動産屋さんになぐさめられる。アパートの2Kの部屋を二つくっつけてリフォームしてケアホームに。隣りも上も障害のない人が住んでいて、うるさいと文句を言いに来たりする。傘が置いてあるともったいないと持ってきちゃう人もケアホームにいて、警察に同行させられることもある。一緒に住むということは、お互いに折り合いを見つけてゆくこと。そういう積み重ねで、地域の人が見守ってくれている。


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種村 朋文さん(埼玉県身体障害者福祉協会副会長)
 3才で小児まひになり、療育施設に入れる金がなかったので、近所の小学校に行った。5,6才の頃、ギブスをはめるのが嫌で、はずしてしまい、ぴょこたん、ぴょこたんと歩くようになった。すると親も普通の学校に入れようかということになった。小さな弟の肩に体重をかけ、カバンを友達に持ってもらったり、みんなに迷惑をかけながら学校に通った。60才過ぎてから弟にその頃のことを聞くと、「うんと重かったよ」と言われた。きずなは、同じ時間をいかに共有するか、同じ体験をいかに共有するかによって深まる。私どもの身体障害者福祉協会は、いわゆる障害当事者団体だが、私は「障害者よ、街に出よ」と常に呼びかけている。会には人生の大きな川を渡り切った人が大半だが、そのまま抜けきってしまうのでなく、ちょっと立ち止まってふりかえってみようと。後ろを振り向くと、流されている人、おぼれかけている人もいるし、手を貸している人もいる。そこで、この川に橋を架けたらどうだろうという発想が重要ではないか。特に、障害者のことを、障害者抜きで決めるんじゃないよと訴えてゆきたい。


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熊谷 保江さん(川口市在住)
 初めてダウン症と診断された時、この子は特別な施設で一生を終えるんだと思ってしまった。病院で他の親子と出会い語り合ううちに、普通学級にも行けるんだと知った。小さい頃から共に過ごすことが大事だと考え、近所の学校へ行かせた。地元川口のダウン症の親の会は、ほとんどが支援学校に子どもを通わせている。「お宅の息子さんにはいいかもしれないけど、うちの子には無理」と言われてしまう。うちの子こそ動き回っていて、障害の程度からすれば普通学級など論外といわれそう。でもうちの子にとっては、学校に通うこと自体が勉強だった。中学校も友達と一緒だったので、「ぼくも先輩のようにカッコイイ制服を着て電車で通いたい」、「部活を頑張りたい」と言うようになった。それで県立高校を受験したが、結果は不合格。残念だが、いい体験になった。うちの子は根が前向きなので、すぐ切り替えて都内のサポート校に一人で電車で通っている。わらじの会でいろんな障害のある人と出合ったこともあるのか、福祉の仕事をしたいと言い始めている。


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植松 潤さん(小学校教員・見沼風の学校会員)
 小学校教員。学生のとき見沼風の学校で農園ボランティアを始めたのがきっかけで現在がある。いま、教員、風の学校ボランティア、地域活動支援センター運営委員と三つのわらじを履いている。障害をもっている人は排除されなければならないのか。小学生の時、なかよし学級のある学校だったので、その子どもたちと一緒に組体操をしたりした。特に意識しなかったが。自分自身も持病を持っていて、年に一回病院に通わなくちゃいけない。不安の中で生きていた自分は、農の営みの中にある人と人のつながりによって救われた。農園で一緒に作業していて、障害のある人が鍬を振り上げた時など、他の人が傷つかないようにしないとだめだと激しく怒ったりするので、よそから見たらヘンな人と思われているだろう。一緒に働いている仲間というだけだが。学生時代の児童相談所のバイトの経験からも、苦しみを抱えている人が当事者だけで抱えるのでなく、いかにみんなで生きてゆけるか。思いとしてだけでなく、伴走者が仕事としてやってゆくことを支える仕組みが問われている。


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板倉 真紀さん(アンテナショップかっぽ専従職員)
 アンテナショップかっぽの財政状況が思わしくなく、貯金を切り崩してもあと3年しかもたない。各地の団体から日替わりで来ている店番の手当をカットするという案も出ている中で、自分の給料も減らさなくてはならないと思う状況の中、モチベーションがわかなくなっている。別にアルバイトを始めたことで、本来何をやりたいのか自分でわからなくなっている。自分の生活基盤もない中で、みんなと一緒にやっていくことに疑問を感じているし、そのための方策も見いだせない状況だ。


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さて、ここからは筆者の少々長いコメントである。

 一緒にいることで差別や偏見がなくなるわけではない。つきあうことによって、それらが現実問題として目の前につきつけられる。自分自身とそこにいる誰かの、動き、暮らしぶり、働きかたが、せめぎあう。山口さんや植松さんが述べているように、障害者だからではなく、うるさいから隣が文句を言いに来たり、鍬の持ち方が危ないから怒ったりする。出会いが一時的であれば、ものわかりよくもできようが、明日も明後日も一緒だと思えば本気に怒る人も出てくる。


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 筆者は障害者が働いている事業所を巡回訪問しているが、「何度言ってもできないんだからな。やめてもらうしかないかな。」などと叱っている上司がいる職場は、長続きすると感じる。
 
種村さんも熊谷さんの息子も迷惑をかけ、文句を言われたり怒られたりもしながら通常学級に行ったが、他の障害児の親からは、うちの子より障害が軽いからできるんだと見られていただろう。実は障害の状況の問題ではなく、迷惑をかけなければ生きられない自分をさらけ出したことによって、怒ったり怒られたりも日常会話の一部になり、風通しのいい関係が出来ただけにすぎない。

 熊谷さんはこれを、「学校に通うことが勉強」と表現している。点数主義が徹底し、序列化がさらに極まった公立高校に、「高校に通うことが勉強」の風を吹きわたらせたいものだ。


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 とはいえ、バブル崩壊に続くリストラとともに子どもたちをきめ細かく分けて教育する流れが大きくなり、障害のある子どもたちと一緒に育つことを知らずに大人になる人が大多数になってきた。結果として、地域で障害のある人々と共に働き暮すイメージをもつことができない。

 が、出会ってつきあってしまえば、24時間介助の必要な人の介助を、無資格で専門知識もない主婦が、その人に限ってならベテランのヘルパーや優秀な看護師よりしっかり果たすこともできる。筆者らの地元では、障害者が推薦し介護人として隣人を登録しておけば、その人に介助してもらった時に市から介護人手当が支払われる制度がある。

 ただ、この制度を維持するために、重度障害者達自身が常に駅でビラをまいたり、大学の授業に招いてもらったりして出会いを広げ、介護人を使って街に出ていろんな体験を共にし、育ててゆくという活動は必須だ。

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 地域の暮らしの延長で行われる有償ボランティアは、地域に根ざした活動に支えられなければ生かせない。また、重度障害者の介助は社会の公務的な労働として保障されるべきだという考えもある。

 だが現実には、そうした運動の契機をあっさり呑み込んで、2000年の介護保険に続く2003年の支援費制度以降、障害福祉サービス市場が形成され、介助や支援が民間事業者に雇用された労働として定着し拡がった。

 それによって、山口さんが語っているように、不動産屋さんにとって期待できるお得意さんになりうる状況も生じた。そして他方では、福祉サービス事業者や関係機関のネットワークによって「地域」のイメージが構築されて行き、それに対して、種村さんのように、他の人々とせめぎあいながら育ち、学び、働き、暮している障害者たちの実像を見据えよという声が上がっている。

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 植松さんが「伴走者」と呼ぶのは、制度的裏付けの有無にかかわらず、制度の限界をこえて関わり続ける隣人のことだろう。

 かっぽは、県内各地でそうした志をもちながら制度も利用している諸団体が、あえて県庁の店の運営に参加し、庁舎内を販売に回って職員と出会い、共に働く地域をすすめる県施策への足がかりをめざしている。かっぽ自体はまったく制度の裏付けがなく、ほとんど販売利益によって運営されているため、板倉さんが訴える悩みは構造的であり、むしろこれまでやってこれたことを評価すべきかもしれない。
 植松さんの「当事者だけで抱えるのでなく」という言葉は、ここでもあてはまる。「本来何をやりたいのか」―あらゆるところで問い直したい。

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