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zoom RSS 「自己責任」のまなざし 生活支援戦略 労働の生物的義務と社会的権利 ―寺久保光良さんを迎えて(下)

<<   作成日時 : 2013/07/14 22:06   >>

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再び寺久保さんの話に戻る。6について。 憲法97条で歴史的遺産として、侵すことのできない権利として位置付けられた社会保障権。それが侵害されようとしている時代にあって、私たちは何をすべきか。

 寺久保さんは、大阪や立川市の母子孤立死事件にふれながら、「単に行政に任せておけばいいという時代ではない」と語る。どちらも生保を受けることなく、亡くなっていた。どちらも生保の存在を知らなかったわけではないだろう。

しかし、どうすれば利用できるのか、あるいは利用しても周りから特別な目で見られないか、さまざまな疑問や迷いがあったのかもしれない。

 受給を妨げる身近な壁は、一人一人の心の中にもある。不正受給と指さされないかという不安。その不安を助長させる生保バッシング。生保の不正受給は、0.5%しかなく、99.5%は適正に行われているのに、その0.5%をとりあげて、全体を攻撃する。

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ことあるごとに「不正受給」キャンペーンがなされるおかしさ。それは非正規労働者を「定職にも就かないで」と見たり、ワーキングプアは「努力が足りないから」と社会状況から切り離して、自己責任を追及するまなざしに重なる。

そんな視線に怯えないためにも、「おかしいと思ったことは、勉強し、声をあげよう!」と寺久保さんは勧める。

 寺久保さんは「受給」という表現もおかしいと言う。「受け給わる」というのは、お上からいただくという発想だと。「利用のほうがいい」と言う。そして、「利用できる制度は遠慮せずどんどん利用しよう。制度は利用するためにある。利用しなければ意味がない。」と強調する。「制度を利用しての自立もよい」と。

 実際、わらじの会関係の重度障害者たちは、生活保護を利用して、家から独立した者が多い。生活保護には住宅扶助や他人介護加算などもある。それらがなかったら、彼らは入所施設や病院で一生を終えることになっただろう。

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 ここからは、生活保護制度の話と、寺久保さんのもう一つのレジュメ「病気になって分かったことと、笑い」とをからませた話になる。

 寺久保さんが語る生い立ち。

 自分自身自己肯定感を持てないまま育ってきた。父親が戦争が終わって家へ戻ってきた。海軍生活で酒と暴力を覚えて戻ってきた。子供達を素っ裸にして、ケツバットをやった。海軍で「精神注入棒」と呼ばれたものだ。そんな家庭で育ったので、自分自身、自分の存在はどこかおかしいんじゃないかといつも思っていた。

 じぶんがこれでいいんだと思ったのは、大学に入ってからだ。自分が小さいころからずっと仲よくしてきた子は障害があった。その幼なじみが高校3年生の夏に亡くなった。その時、彼は何を求めて生きてきたのかと考えた。考えている間に、社会福祉を勉強したいという思いが湧きあがってきた。

 当時代々木にあった社会事業大学を訪ねた。事務の人に、自分は金もなければ、頭もない、そんな自分が学べる大学はどこかにないか教えてほしいと言った。そして、愛知県に日本福祉大学の2部があると教えてもらった。

 日本福祉大学の2部に入ったら、いろんな人に出会った。長崎の離島から来た人もいれば、養護施設を出た人、働いていて30代になってきた人もいた。いろんな人生に出会えて、やっと俺はこれでいいんだと思えるようになった。

 その頃から、悩んでも、怒っても、泣いても、過ごす時間は同じなんだから、どうせなら笑い飛ばしてやろうじゃないかと思った。自分の人生も、関わってきたことも。
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 ただ就いた仕事が生活保護のケースワーカーで、夫の暴力から逃げてきた人とか、現にその夫と対決している人とかで、簡単に笑い飛ばすわけにはいかなかったが。

 5年前に脳出血で倒れた。大学の研究室で入試に取り組み、寝たのが3日で2時間。右の脳出血で左半身不随になった。研究室の中で倒れ、起き上がれない。岩登りと同じで三点確保ができないと、人は起き上がれない。妻に携帯で「自転車で帰れないから、迎えに来てくれ」と言ったら、「それどころじゃないでしょ。救急車呼ぶからじっとしていて。」と言われた。初めて救急車で運ばれた。公的扶助に支えられた。

 ICUに三日間、入院1ケ月で出られた。しびれや痛みは残っている。医者に言うと、「痛いのは痛い。そういうものだ。」と言われた。うつ状態になったときも、「それは自然だ。うつっぽいのが分かればいいんだ。」と言われた。むだな抵抗は止めて、あきらめて受け入れることにした。

いつまでも若くない。体力も気力も続かないが、衰えと思わず変化と思っている。
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 病気になってわかったことは、「俺たちに明日はない」ということ。あるのは過去と現在の連続だ。だからこそ、今を大切にしようと思う。

 私たちはみな望んで生まれてきたわけではない。結果として生命をいただいた以上、生きることを全うすべきだ。肉体を維持しなくてはならない。野生動物が狩りをして生命を永らえるように、人間も自分の生命をつなぐ努力をしなくてはならない。役割を担って働くことは生物としての義務であり、それが社会的には権利なんだと思う。


 生きること、働くことは社会的権利であるとともに、生物としての義務でもあると、寺久保さんは語る。それは明日のためでなく、現在を生き抜くためである。現在という場には、他者との関係がある。他の生物、環境とどう関わり合うか迫られる。その連続があるのみだと、寺久保さんは言いたいのだろう。

 この寺久保さんの生存と労働に関する考え方は、現在行われている生活保護の見直しと就労支援に関して、示唆を含んでいると思う。
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 生活保護を利用している人の中には、保護で生活を支えながら徐々に働く基盤を広げたいと思う人がけっこういるが、現行制度では約8000円以上は収入認定されてしまい、やる気がそがれてしまう。

いっぽう、めいっぱい働いて生活保護基準以上給料が得られた場合、保護費が全額引かれてもそれで生活できるはずだが、引かれるのは2ケ月後なので、その月は収入が少なかったりすると暮らせなくなる。就労支援をいくらしても、働くモチベーションが保ちにくい制度になっている。

 そもそも社会手当など、低所得者を支える制度が乏しい状況の下で、生活保護は恥だと思わされ限界まで働いて身を削ってきた人が、いよいよ追い込まれて保護を申請するケースや、貧困ビジネスや精神病院長期入院という環境の延長で保護を受けたケースが多いから、いったん保護を受けたらそこがゴールになってしまう心理状況は理解するに難くない。
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 低所得者向け制度の基準切り下げに波及することが確実な、生活保護基準切り下げをするのでなく、逆に低所得者向け制度を十分に底上げすることこそ重要だ。

 人間は周りの人たちと役割を分かち合って働いて生きる、要するに環境と物質代謝を行い動的平衡を保つという生物としての「義務」、宿命を背負っている。だからこそ、働くことで生命を削るところに追い込まれてしまう存在でもある。

その落とし穴から脱し、周りも生き、自分も生きられる足場を確保しながら共に働くことを探ってゆける、社会的権利としての労働を支える公的扶助にしたい。
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 貧困ビジネスについて、寺久保さんに聞いてみた。

貧困ビジネスは、昔北九州の炭鉱地帯で発生し、長い時間をかけて、全国に広がった。さいたま市でも条例をつくり、住宅の面積確保や個人との契約など、暴利をむさぼらせないように規制を試みているが、法的な効力は粗い可能性がある。

 食い物にする人間は暴力団がらみもあり、裏の裏を読んでやっていくので、規制は難しい。

サラ金と同様で、窮状から逃れようとして、ますますドツボにはまってゆく。人間の弱さ、隙をついてやっていく。

なかなか解決は難しいだろう。苦しければ苦しいほど、そういう業をやっていく人が出てくるのではないか。
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ということは、貧困が減らない限り、貧困ビジネスも減らないということ。アメリカではトップ企業が、政府をまきこんで、貧困ビジネスでもうけているのだから。貧困がなくならない限り、貧困ビジネスは成長する。

なお、今回の勉強会で主催者から配られた補足資料があった。「国立武蔵病院(精神)隔離入院施設問題を考える会 第14回連続学習会 『切り下げられる生活保護費 本当の自立支援を考える!』 資料より」とある。

 その「我が国の精神科医療の生活保護(医療扶助)への依存」と題する東谷幸政さん(NPOわくわく・コミュニティワーカー )のレジュメにはこう記されてある。以下抜粋。

 生活保護費総支出…約3兆8千億円(2013年度予算額)
 
 生活保護費の中に占める、医療扶助の割合は 約50%(約1兆9千億円)

 医療扶助に占める、入院医療費割合        57.5%(1兆925億円)

 入院のうち、精神科入院の割合           38.7%!(4200億円)

 「欧米の平均的な入院日数は7〜10日。それなのに、我が国では平均でも340日。1週間から10日で退院する人も多い中で、この平均日数は驚異的です。つまり、数年から数10年入院する人が多いからこその、この数字です。」

 「わが国の精神科病院は、長期入院による失業や貧困を生じさせ、、それを生活保護費から徴収することによって、安定的な収入を確保している産業である、と言えないでしょうか。」
 

 精神科病院そのものが、日本では巨大な貧困ビジネスとなっているといえよう。

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