共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 施設・病院と向かい合い地域で生きてきた30数年のまとめ的エピソード集 W

<<   作成日時 : 2013/02/04 08:53   >>

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上の写真はGH・CHテレサ勉強会「開かれた病への模索 精神病って…あなたのイメージは?」 1961年から昨年8月退職まで半世紀にわたり精神科病院で臨床心理の仕事をして来られた赤松晶子さんのお話。
 1933年生まれの79歳。初めて働いた病院の大部屋で後ろから患者さんに「朝鮮人!」と言って叩かれた。当時は自分も白衣を着ていたので白い服を着ている人が多かった朝鮮の人に間違われたのだろう。朝鮮戦争の記憶がまだ鮮明で朝鮮人への露骨な差別が残っていた時代。その人も差別の場面に出会っていたのだろう。その話を語り合えればいいのに、精神医学ではただ「幻聴」とか「妄想」と断じて終わらせてしまう。時々首をあげて上を見る患者さんもいた。B29の空襲の記憶が焼き付いている。
 ある患者さんは兄の創った歌を自分の名前でコンクールに応募し入賞してしまい自分を責め厳格な兄に告白もできず悩みぬいた末、動くことも食べることもせずじっとしている状態になり入院してきた。医師は「統合失調症、寡黙、思考伝播」と書くのみ。別の患者さんは大好きなおばあさんが亡くなった後幻聴が聞こえるようになったが、その幻聴により癒されている面もあった。。「幻聴」とか「妄想」として症状化されてしまう行動の中にこそ本人の生きざまが濃縮されている。だが医療スタッフは患者さんと「幻聴」や「妄想」の話をしたりしないほうがいいと言う。

 赤松さんの働いてきた精神病院は当初の鉄格子の牢獄のイメージから開放的なリハビリの場のイメージに外見的には変化したが、人を症状で視る本質は変わっていないし、脳疾患説の強調と新薬の多用により対象者とされる人々はかえって増えている状況がある。
 今日初参加者の中に20年前入院中に赤松さんが担当した「自分を語る会」に参加したことをうれしそうに話す人がいた。いま市内で独り暮らししている。互いにうれしい再会だった。
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本日は地元の精神科病院・南埼玉病院に職場参加をすすめる会として出店(上の写真)。からあげをあっという間に売り切ってしまった。この病院とはもう40年来のつきあい。わらじの会も職場参加をすすめる会もここで治療を受けている人たちがたくさんいるし、時々はこういう風にイベントに招かれもする。

 この病院はかって全国の医学生がインターン制度廃止をめざして団結して立ち上がり大学病院を拠点として青年医師連合を結成し卒業後も闘いを継続するために共同でアルバイト先を開拓し生活を支える取り組みをしたときに、そのひとつのアルバイト先になったところ。 
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 青年医師たちが働きに行ってみると当時はどこの病院も鉄格子で患者を閉じ込めていたため、全国あちこちの病院で開放化の運動が始まる。その時にここは経営者が経営権を放棄するということになり、青年医師や看護従事者などの労働組合が肩代わりするために、その一人だった現理事長の親が金を出して医療法人を立ち上げたもの。

 そういう病院だから、かっては長期入院の人をどんどん退院させアパート生活への移行に取り組んだこともあるし、病院から離れたマンションの一室をクラブハウス的な場として運営したこともある。しかしアパート生活しても日中行くところが病院しかない状況は変わらず孤立が強まったり、クラブハウス的な場はマンション住民から追い出しにあったりと挫折を重ねてきた。熱心な職員たちが他の地域の活動に参加するため去って行くことも多かった。

 そんな時代を経て、また新たに地域へ打って出る取り組みを探っていると聞く。先ごろは大熊一夫氏を招きイタリア・トリエステの報告を聞く会に多数の参加があったそうだ。見守って行きたい。

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