共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 施設・病院と向かい合い地域で生きてきた30数年のまとめ的エピソード集 V

<<   作成日時 : 2013/02/04 08:51   >>

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金曜の夜はもう30年橋本宅手話会(上の写真)。
 聾唖、下肢まひ、弱視で就学免除にされ一室にとじこもって暮らしてきたため、19歳になるまで簡単な身ぶりしかいらなかった画伯は家族にはささいに思えることから大爆発し家を壊し家族を傷つけることもしばしばだった。
 わらじの会で街に出て画伯が変わり始めた30年前、以前から申し込んであった県立嵐山郷の重心棟に入所が決まった時、家族が泣き明かした後にもう少しがんばってみようと決めた。その時にわらじの会は大したことはできないけど週一回本人・家族を含め手話会を開きに来ることくらいはできるよと言った。

 そんなささやかな関わりを細く細く続けてきただけなのにこの30年みんな地域でいろんな人たちとすったもんだしながら生きてこれたんだなあとあらためて思う。手話会の顔ぶれも変遷した。30年の歴史がつまったいまここで、昔と大して変わらずささやかなことをやっている。それだけのことだが不思議いっぱいだ。
 「去年今年貫く棒のようなもの」 地元に縁のある加藤楸邨の句。

 下は1981年12月4日、県立コロニー嵐山郷を私たちが招いたスウェーデンRBUと訪問した時の写真。ここは成人の女子棟。埼玉社会福祉研究会編「ユニーク自立埼玉」(千書房:1984)に次のように書かれている。
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 「12月4日、県立身体障害者療護施設・皆光園(50人収容)と県立嵐山コロニー(300人収容)を訪問した。スウェーデンではほとんど見られないプライバシーのない生活に、RBUの青年たちは強いショックを受けた。30年近くのRBUの歴史は、文字通り隔離施設との闘いだったのだから。特に嵐山コロニーで成人の女子棟に入った時、丸坊主の女性が2、3人いたのには私たちもびっくりした、皮膚病対策と聞き、この人里離れた山の城では何が起こっても不思議はないと感じた。医師である総長の「原因不明の病気が発生しているので重度棟は見学できない」という弁解もわざとらしかった。2日後のシンポでベーントは「たいへんネガティブな印象を受けた」と語っていた。」

 この重度棟に30年前の橋本画伯は入所決定していたのだった。

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