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zoom RSS 現在を生き抜く「老障介護」 ー 少子高齢化社会論への違和

<<   作成日時 : 2013/01/04 15:10   >>

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この写真は毎週金曜夜30数年間続いてきた「橋本宅手話会」の情景。手話会を始めたのは、聾唖・弱視・下肢まひで家に閉じこもって大人になった橋本画伯に重症心身障害児施設から入所決定が下りたが、家族はわらじの会で街に出始めて明るくなった画伯に希望を持ちもう少しやってみようと入所を取り下げた、その代わりに会として「週1回くらい様子見がてら手話会やりにくるくらいはできるよ」と約束したことから。この30数年の間に妹は結婚して家を出て、父は闘病の末亡くなり、いま母一人子一人となる。
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 いわゆる老障介護だが、長年の暮らしで編み出してきた相互のバランスと技にはいつも感心させられる。たとえば、画伯は全盲に近い状態になってきて、我々は画伯の手を持って手話の形を表現するやりかたでいわゆる触手話で画伯に伝えるが、83歳になる母・ミツエさん(上の写真)は普通に小さく手話する。どういうわけかミツエさんの場合だと、ほぼそれだけで画伯に伝わるから不思議。たぶん状況やタイミングを含む総合的な情報伝達だからだろう。
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 以上は橋本宅の場合だが、わらじの会はこうした「老障介護」の例がたくさんある。

 「親亡きあとではなく親が元気なうちに本人の自立を」というよくあるキャッチフレーズとは逆が多い。つい先年知的障害と身体障害を併せもつYさんを一人残して先に逝ったT夫妻もそうだ。Yさんはいろいろな人々の介助を得ながら団地で一人暮らししているが、親が生きているあいだはほとんど介助者を入れなかった。ただ、親と一緒によくわらじの会やあちこちに出かけ、Yさんが無名の有名人になっていたことは確かだ。
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 要するに未来のために現在をでなく、現在のために現在のこの世を一生懸命生きたのだ。

 「少子高齢化社会」が問題化される、そのされ方にいつも違和感を抱いてきた。ひとつは税金や保険料を負担する現役世代とそれを原資とした福祉・医療サービスを主として利用する世代の比率がどんどんアンバランスになってゆくという形での問題の出し方である 。

 視野を狭くして見ていればたしかにその通りだが、では高齢者の役割が地域・家庭の変貌の中で奪われてゆき結果としてそうしたサービスの対象者となって生かされている大状況そのものの問題性をなぜ問わないのか?まさにイタリア映画「人生ここにあり」が描く1970年代のイタリアに通じる状況がいまの日本にもあると感じる。
http://www.youtube.com/watch?v=3AZleEjaiZw

 もう一つは「老障介護」や「老老介護」は双方の人間的自立の権利を侵害するものであり、放置すれば家庭が牢獄となり、子殺し、親殺し、配偶者殺しにも発展しかねないこととしてそれぞれの個としての権利を保障すべきという考えだ。

 たしかにもっともである。しかしながら、青い芝の「母よ 殺すな」の「母よ」は、母を通して「子殺しは情状酌量の余地がある」と減刑を訴えることで自分たちを免責する周りの人々をも含んでいるのだ。「社会が悪い」と社会を外在的に国家として考えてしまうのでなく、社会を構成する一人ひとりの生き方が問われていると受け止めよと求めているのだ。

 母も含め家族や近しい知人が本人と長年にわたって生きてきた経験は、これからの本人や周りにとって、いや社会にとっての無形文化財、歴史遺産だと筆者は考える。

 いかにそこに残酷や悲惨が充ちていようとも、その淵からこそ拓ける世界があるはずだ。モルドールの滅びの山の亀裂の火の中に投げられた指輪のように。下の写真の「つぐみ部屋」のしがらみの闇の中からその編み直しが始まりオエヴィスやもんてん、べしみがつくられていったように。
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 まちがわないでほしい。状況に追い詰められて施設や病院や特別な学校に入れられた本人や迷いと不安の中でそれらに助けを求めた家族にもう未来はないと言いたいのではない。自分自身も、いまは亡き弟を精神病院に強制的に入院させた当事者なのだから。危機を察して早朝の街を逃げる弟をつかまえてタクシーに乗せ…。

 だが、当時としてはもっとも開放的な医療を進めていたといわれる病院であっても、やはり入院したことによる鎮静とひきかえに地域の当たり前の生活には容易に戻れない重い施設病から逃れるすべはなかった。プライバシーのない世界では職員による管理なくしては生きられないが、そうした生き方が身についてしまうと、ちょっとした外出でも周りとのトラブルなしにはすまなくなる。アパート暮らしになってからも、入退院を繰り返しながら試行錯誤した。

 そうやって緊急避難させられ(せ)ざるをえなかった本人や家族は、現実のせめぎあいからいったん離れたぶんだけ、自分たちがそこまで創ってきた共に生きるためのノウハウ、共有財産を今後にどう活かすかという課題を、一緒にいた時以上に意識的に取り組まねばならない。いったん分けられたところで、少しずつ共に生きることを考え試みてゆくのはこれまで以上の気合がいる。自分自身つくづく痛感したことだ。

 下の写真は、入院中の弟の外泊を兼ねてわらじの会の人々などと一緒に旅行したときの情景。右端のやせているのが弟。(病状不安定の時はやせている。神経過敏で反応がよすぎ、幻聴などもあるような時ほど、周りの知らない人にまで話しかけ、人間関係が広がる。が空回りも多くトラブる場合もあり、疲れているが元気という状態。反対に安定していると見えるときは、病院の人間関係からはみ出ることもなく、意欲も減退している感じになる。)
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 今後の病院・施設等からの地域生活への移行のために、またまだ地域で苦闘を続けている人々を支えるために。一緒にいないぶんだけ、記憶を鮮明に甦らせる努力をしながら。どこまで行っても終わりはなく、新たな始まりがある。

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