共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 職場をひらく 地域をひらく ― いま共に働き・共に生きるとは

<<   作成日時 : 2012/11/23 01:02   >>

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 筆者が「共に」という語を用いるとき、そこには「差別がない」という意味はないことを、すでにおわかりの読者も多いだろう。
 筆者はあくまでも「分けずに一緒に」という意味に限定して用いている。差別との関係で言えばとうぜんそこには「差別」がくっきりとある。分けていると見えない差別を、自らのうちにはらむことを「共に」と呼ぶのだ。
 たとえば昨日のfacebookに書いたことから。

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 もう30年前聾唖・弱視・下肢まひの橋本画伯が雨に濡れていたら軽トラに車いすごと乗せて送ってくれたり、道で会うたびに声かけてくれた従業員6人の小さな工場の社長を、就労支援センター沖山所長と訪ねる。

 手慣れた作業を見せてくれた社長はこの機械で手首を深く切った傷跡がある。草野球でノックしてもよく飛ばなくなったそうだ。

 事務所の伝票のファイルのような簡単な仕事をリハビリを兼ねて週1回でもやらせてくれないかと打診した。

 社長は従業員全員を集めてくれた。危険な職場なのでとみな否定的ではあったが、拒絶的ではなく、うちの子も障害があって…などとまともに語り合えたことはうれしい。
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 問わず語りに社長はこの道一筋で働き続けてきた人生を伝えてくれた。ここへ来て下請け泣かせの代金でしかも納期が迫った仕事が回って来る。深夜目が覚めたとき、棒持って元請けになぐりこもうかと思いつめ、家族や従業員の顔が浮かんで現実に引き戻されることがときどきあると言う。
 ここにもいろんな人がいて歴史があった。

 こういうことも小さな「共に」である。「共に」のかけらなのだ。

 社長は高齢だが国民年金しか入ってなかったから年金はほとんどないも同然。自分の給料は20万だという。奥さんが事務をやっていて8万。二人で28万。昔科学博物館で働いていた奥さんの退職金を自分は根こそぎ会社に使わせてもらった。

 従業員たちにはきちんとした給料を出さなければ工場が回らない。そこを貫いてきた社長だからみんながここで働き続けている。いちばん若い人でも11年目だという。

 いつお迎えが来るかわからないから旅行にでも行きたいねと口にしても、実際に二人で出かけるひまもない。家内がいちばんかわいそうだと社長は苦笑しながら目をしばたいた。

 筆者らのような飛び込みに近い訪問者に、職場をまるごとひらき、生活をひらいて向かい合ってくれる。従業員みんなと向かい合ったあとだから社長も暮らしを語りやすかったんだろうし、こちらも社長の言葉が存在感を伴って迫ってきた。

 つぎは、少し前のfacebook。

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何年か前の写真。フレンドリー春日部は知的障害の人々のソフトボールチームだが、靴底加工会社ニューオタニの社員をはじめ近隣市で働く者が多い。はじめ市内のみどり住宅のソフトボールチームに尾谷社長が障害のある若い社員らを誘ったのがきっかけで、いまやチームみどりの選手の半数近くが障害者。障害者だけのフレンドリー春日部をつくたのは後のこと。 
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 チームみどりは一部リーグで今季3勝3敗。障害者メンバーがフレンドリー春日部として障害者の試合に出るときはみどりのメンバーが不足してしまうが不戦敗
扱いはせず、ひとつ上の試合にあげてくれるようになっているというのが面白い。

 かって障害のある社員の中に小学校のフェンスに顔を付けて子どもたちをみつめていたり、通りすがりの女性の体を触ったりする者がおり、その孤絶を痛感させられた尾谷さんが自分の所属するチームみどりに誘ったら、つぎつぎと参加が続いたという。
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 町内の盆踊りやふれあい広場で焼き鳥の店を出したり、運動会の荷物運びを手伝ったり、地域で顔なじみになり通勤時にも声をかけられる。イベントを手伝う時「バケツに水8分目入れてきて」と言われると???と迷ってしまうメンバーたちだが、周りもだんだんわかってくれてうまく使ってくれるようになったと尾谷さん。
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 ソフトボールは20年前からだが、当時ニューオタニは社員が26人。うち障害者が8人いた。15年前山一証券破たんの時、靴業界は軒並み倒産しニュー―オタニも廃業を決め社員には退職してもらった。しかし障害者と親たちが無給でもいいから続けてと訴え、障害者4人、高齢者1人と社長夫妻で業務縮小して再スタートした。

 もともと技術水準は高く、高級靴の靴底加工の仕事をしている。給料は最賃+α支給しているが社長夫妻は時給換算で250円。それでも尾谷さんは地域で一緒に働きながらみんなと暮らすのが楽しくて仕方がない。

 
 
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この写真はもう35年も前の「福祉ドレイ工場」といわれた大久保製壜闘争。リポビタンDのビンなどを生産する中堅企業だが過酷な労働を職場内の差別構造をたくみに用いて維持していた。身体障害者は健常者と明確な賃金差別が付けられ、組合にも入れず、深夜労働に従事する健常者たちが眠気をごまかすために身体障害者に首輪を付けて犬の真似をさせたりしたという。さらに経営者の大久保一族は知的障害者の施設を運営しており、そこから仕事ができる知的障害者を雇入れ差別構造の末端に組み込んでいた。そのように職場内で明確に分けられた世界を突き抜け、障害者たちが自らの組合を結成し立ち上がったことに対して、会社側がさまざまな解体攻撃と弾圧を加えたことから闘いが激化した。

 写真の車椅子の男性はわらじの会のメンバー、押しているのは当時の越谷市職員組合の中心メンバーだ。

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この両側の女性ふたりは現在もわらじの会のメンバー(うち一人は市職員)。
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 越谷市職員組合は大久保製壜や大企業の組合のように既得権益を守るために下層労働者を切り捨てたりはせず、現業差別、下請け差別と闘い続けてきた。上の写真はタイトルでわかるように清掃や電話交換手など下請け労働者の組合づくりの話。

 
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このように職場をひらいてきた市職員組合は、やがて自らが対象者としてのみ位置づけてきた地域の障害者たちを同じ街に暮らす仲間としてとらえ直し、家の奥の闇から出て一緒に街に出ようよと動き始めた。その動きが一つの核となり、わらじの会が生まれたのだった。

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初期のわらじの会の「街に出る会」の写真。市職員組合の現業評議会に属する給食調理員さんたちやその家族の姿が見える。

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こうやって街に出始めていった障害者たちは、露天のお客さんや駅の乗客などの手を借り、やがてそれらの人々が活動に加わってきた。

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そしてついにはその職員らが働く市役所の玄関前に勝手に出かけてゆき、並んで署名活動を行うまでの積極性を身につけた障害者たち。


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こうして職場をひらき、家庭を、地域をひらいてきた推進力だった市職員組合は、管理秩序。差別構造を維持したいと望む管理者と緊張関係を強めざるを得なかったが、ついに管理職への暴行という口実で激しい弾圧にさらされた。市職員9名が不当逮捕された。ほとんどがわらじの会で一緒に街に出てきた仲間だった。

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結局市当局によって職員組合3役4名が解雇された。このことによって職場・地域をひらく取り組みが大打撃を受けた。けっきょく10年後に1名が職場復帰できたが、3名は解雇されたままだった。

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しかし市職員組合の自らの労働現場をひらく営みの火は完全には消えなかった。1997〜8年、市立病院組合事務所で福祉施設に通っている重い知的障害の女性の職場実習を受け入れた。当初看護師さんたちは、職場で患者さんに関わって疲れている心身を事務所で休めたいのに、そこに患者さんのような人がいたんでは急速にならないと猛反対していたという。しかし、実際受け入れてみたら、その気持ちが大きく変わってゆく。
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 組合として退職者でめんどうみがいいOさんをパートナーにつけてくれたのもよかった。
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この実習が終わって2年後の2000年に越谷市は市内の福祉施設等の利用者が市役所をはじめとする地域の職場で体験的実習を行う地域適応支援事業を立ち上げる。
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 この地域適応支援事業は現在も継続して実施され、昨年度からは公開の報告交流会も開かれるようになった。しかし、その事業の前史を知る者が少ないのは残念なことだ。見てきたとおり、この事業は障害者とその支援者サイドからの片思いの制度ではなく、職場が自らをさまざまな人がいる地域へ向かってひらいてゆくことにその源があったのだ。

 このように「共に働く」ということは、事業主を含み、労働者を含み、職場の格差・差別の構造を含み、それら同士のせめぎあいと折り合いを含むのだ。だから決して「差別がない状態」などではない。「差別をはらみ、差別と向き合い、あれこれとぶつかりあい悩み合って生きる関係」というべきなのだ。そこから常に出発したい。

(新聞記事は当時の埼玉新聞から、また写真の一部は東映教育映画・大熊照夫監督「街で生きる障害者とともに」より。)

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