共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 地に足 踏ん張って 関わり合うこと

<<   作成日時 : 2011/04/27 22:33   >>

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 写真は1週間前の石巻市内。がれきにうずもれた家の片付けに出かけたわらじの会メンバーが見た風景。

 今日は3.11から45日目。筆者の地元・埼玉県春日部市では、駅からまっすぐの藤棚通りで恒例の藤まつりが行われ、わらじの会も店を出した。目の前では太鼓や踊りのパレードがあり、被災地へ出かけてきたメンバーも店を手伝ったり、出会いを懐かしんだりして、暖かな日を過ごした。(下の写真)

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 甚だしいギャップがあるが、被災地からの報告を聞くにつけ、そのギャップの深みの向こうに、筆者は通底するなにかを感じさせられる。
 
 たとえば、家族で避難所へ行ったが、自閉症の子どもがこだわりのある言葉をくりかえす声で、他の人が眠れないからと、家族がいたたまれず、福祉避難所(福祉施設)へ家族で移ったという話。

 たしかに生き死にの瀬戸際にいて、みんな余裕がない。

 では、それまでの日常は余裕があったのか。学校でも、職場でも、地域でも、しだいしだいに競争原理が強められてきていたのではないか。だから、いまは障害のある者を受け入れる余裕がないからと、特別な学校や施設が、地域につくられてきたのではなかったか。

……つい言葉が鎖のようにつながってあふれ出てしまう。ここで断ち切って、この前の続きを載せよう。

 

■居直りと怖さと 

柵ーしがらみーなんだなあ・・・と家族で話していく中で思いました。確かに子供の事や自分たちの安全や安心だけならすぐに飛行機に飛び乗った方がいいと思うのです。でももしそうやって行った先で生きていく時に、なにを目安にして生きていけばよいのかと考えると詰まってしまうのです。

 計画停電の初日には近所の盟友カリと勝手に火の用心で近所を回ってみました。ちょっと拍子木は見当たらないので机の脚を外したどでかい木をバイーーンバイーーーンと鳴らしながら、「火の用心―」と大きな声を出す中でなんというかようやっと詰まりがちだった胸が少し開いたような気がしました。
 
できることをやる。そんななんというかあきらめと少しにやつく心と時たま無性に怖くなる心とがないまぜのままです。昨日もやっとこ動く東武線を武里駅で降り、介助に向かおうと階段を下りると階段の下からサックスと鐘の音が響いていました。わらじの面々のチンドン的街頭カンパが夕暮れの中、計画停電の中、すっとこどっこいに響いていました。(春日部市・吉田弘一・就労支援センター所長)

■角田の大地を耕します

 私は、14日から市内でボランティアセンターが立ち上がり昨日までそこで活動していました。そこで市内にある避難所を何箇所か廻ってみたのですが、各地区ごとでお互いに助け合いながら自発的に炊き出しをおこなったり、水を汲んできてあげたり自発的に助け合いながら生活しているのが印象的でした。角田には地区ごとのコミュニティーがしっかりと保たれており、お互いに助けあう共助の精神が浸透していることを知りました。津波の被害がなかったこともありますが、現にこの震災で角田市では死者が出ておりません。今まで見えてこなかった地域の営みを垣間見て、その土地に地に足をついて暮らしている人たちの力強さを感じることができ、あらためてここに生まれてよかったと感じました。

 そして、震災に遭い改めて農家が持つ強さ、土とともに生きる人の逞しさを知りました。大震災があったにもかかわらず、安心した生活が続けられているのは、明日食べる食料があったからこそだと思います。そして震災2日目の朝に祖父が「今出来る事をやんないといけないべ」と言っていたのが印象に残っています。メディアなどから流れてくる悲惨な情報に流されたり、動じたりすることなく今やるべきことを淡々とこなしていく。その姿勢に心打たれました。そして今日から本格的に種まきへ向けての作業を再開しています。まだ水が来なかったり、ガソリンや燃料が不足しているなど先行きが見えないのは変わりませんが、父や祖父といった偉大なる先輩たちの元で、この
角田の大地と向き合っていきたいと思っています。

  最後に私は土で繋がっていることを信じて、角田の大地を耕します。みんなにまた会えるのを楽しみにしながら、いまは「今やるべきこと」をしっかり見据えながら、そして今まで福祉農園で培ってきたことを活かしながらしっかりやっていこうと思います。(宮城県角田市・面川常義・見沼風の学校スタッフ)

■繋がりの大切さを再認識

 “繋がり”の大切さを改めて感じるところです。僕の家も農家なので、お米をご近所さん、ヘルパーさん、通りがかりの知らない人、かかし座の数名の人たちにもお米の依頼を大量に受けました。
また災害中の介助体制も民間のヘルパーさんに加え、身近の繋がりの中で対応してもらい、僕も救われました。こういう時に自分にどんな繋がりがあって、日々救われているか再認識させられます。(春日部市・山口和宏・MCKコミュニティピース代表)

■それぞれの場で やれることを

 東京に住む娘と電話で話した。節電に協力するために あったかいものを食べないでいるという。
 「ダメだよ。今私たちにできることは 病気にならないこと、事故をおこさないこと。医薬品は 被災地にできるだけたくさん送らなきゃならないし、救助隊はできるだけ被災地に行かなきゃならないんだから。あったかいものをきちんと食べて、病気にならないで、元気にしてなきゃ。」
 「うんわかった。」と 電話を終えた。公務員の彼女は 非常呼び出しを受ける第一番目のグループだそうだ。それぞれの場で やれることをやろうね。

 埼玉アリーナに 村ごと避難してきた人たちが到着したという。一週間ぶりに 埼玉新聞を買ったら、ボランティアが数多く駆けつけてかいがいしく手伝っている様子が 報道されている。ボランティアを否定するわけではないけど、ダークなのらぺんは ちょっとちがわない?と思う。
 アリーナに 落ち着いた人たちは ボランティアされるばかりの日常に きっと疲れてくるに違いない。ダークなのらぺんは 一週間くらいたって、落ち着いたころ、アリーナに 反対に農園ボランティア募集や、のらんどをいっしょにやる人の募集をしに行こうかと思う。それが ただしい共に生きるだよ。(ブログ・のらぺんのページより)

■できるだけたくさんの人に伝える

 たくさんの情報ありがとうございます。私には何もできませんが、せっかくの情報、できるだけたくさんの方に知ってもらおうと、私の関わっている誰もが使える交通システムにする会の会員のメーリングリストへ転送しています。中には自分のブログへ掲載したいという人もいます。次の情報も心待ちにしています。(所沢市・一木昭憲・誰もが使える交通システムにする会代表)         
 
■やはり地域の学校、地域の知り合い 

 地震にあった時は校庭でサッカーをしていた時だった。校庭の真ん中でわが身は安全なのだが、校舎も、家も、大きな木も、周囲の揺れが丸見えという怖さは初めてだった。私は生徒をかばうようにしていたが、実は怖くて生徒にしがみついていたのかも。
 校庭にひびがはいり、校舎のまわりもひびわれて隙間や段差ができていた。近くの実習先に自転車で、生徒がどうしているか見に行ったり、学校にいる生徒を教員の車で送ったり。
生徒を送り終えた時、初めて電車通勤(松原団地〜春日部)の自分はどうやって帰るんだ?と気づき、自転車で2時間かけて帰ればいいやと言っていたら、越谷に住んでいるOさんが送っていくよと申し出てくれたのでほんとうにうれしかった。

 東武伊勢崎線は14日(月)は全く動かず仕事を休んだ。その後徐々に動き出して本数は減っていてもさほど不便ではない。
田舎の電車やバスの本数を考えれば、などと現実に合わないことを思ったりする。動いている交通機関に合わせるしかない。 自転車通勤がふえているのは、仲間がふえたようでうれしい。
東武野田線の春日部から下り方面は一週間ほとんど動かず、電車通学の生徒は登校できなかった。送り迎えできる家庭も少なく(ガソリン不足もあり)、登校時間は動いているが帰りはないとか、停電で電車が止るかもしれないとか、信号が消えて危ないとか。ガソリンスタンド待ちの車で渋滞が起こり、スクールバスは長くは2時間以上遅れた。

 そんなこんなで、22日(火)は休校となった。行き帰りが危ないからもっと早く休校にすべきだったという意見が強かったが、家庭でずっと過ごすのもたいへんだろう。昼間は一人で留守番の母子家庭もある。こんな時、やはり頭に浮かぶのは、“地域の学校”“地域の知り合い”だ。(草加市・竹迫和子・特別支援学校教員)

■長女は首に 義母は一時避難 

 我が家はたいしたことも無く、過ぎたのですが、都営住宅7階の義母のところは、食器が落ちたりで片づけやら、こちらへ一時引き取るやらで大変でした。また、長女も派遣で働いていた会社に、「電車でいけない!」「在宅勤務で」と申し出たところ、即首になりました。
義母は、あの揺れと余震がトラウマになっているようなので、下の娘が暮らしている高知に、長女と共に一時避難させました。高知行きエアーのチケットが取れたのですが、羽田空港は、外国人と子連れの母親でいっぱいだったそうです。
義母はリュウマチの持病があるので、主治医の紹介状付きの 避難です。(入間市・黒古次男・就労支援センター所長)

■大丈夫だから食べるのではなく 

 家に帰るとおいしそうな野菜。隣のおばあちゃんから間引いたコカブをいただきました。おばあちゃんの顔が目に浮
かびます。採りたて野菜は本当においしい。
 現在栃木県の野菜はホウレンソウとカキナが暫定基準値を超えるヨウ素131が検出され出荷停止になっています。残念ながら今の状況においてはこの野菜にも放射性物質がついていることは明らかです。
どうすれば良いか?作った人のことを考えると簡単に捨てることはできません。妻は「食べても大丈夫?」と私に聞きます。「採りたてで美味しそう。でも心配」

・・・いろいろ考えましたが、私はこのコカブを食べようと思います。政府が言うように大丈夫だから食べるのではありません。この食べ物からは逃げられないような気がしたからです。
(栃木県足利市・小沢孝雄・高校教員)

 ■被災地障がい者センターみやぎが誕生 

 東日本大震災で被災した障害者を支援するセンターが仙台市内に誕生しました。名前は「被災地障がい者センターみやぎ」です。「被災地障がい者センターみやぎ」は、ゆめ風基金ネットワークと宮城県内の障がい者団体で構成され、事務局は、「CILたすけっと自立生活センターin仙台市」(公式ブログ: http://blog.canpan.info/tasuketto/ )の中に設置されました。ゆめ風基金からは八幡隆司さんたちが派遣されました。CILたすけっと以外では現在4名。借りたアパートに居住しながら活動をしています。
☆「CILたすけっと自立生活センターin仙台市」
 〒982-0011 仙台市太白区長町1−6−1
 電話・FAX:022-248-6016
メール:cil-tasuketto@k6.dion.ne.jp
 現在の目下の活動は、分散して自宅などで生活している障害者をローリングして見つけ出し、友人などつながりがある人と結びつけること、情報交換できるようにすること、必要としている物資を届けること、です。現地には、「宮城県内の団体が自立した形で救援活動ができるまでとどまる」、「これからの救援活動は見通しが立たないくらい長期になる」「現地で動けるボランティアがいれば受け入れは可能」と八幡さんは話しておられました。
「CILたすけっと」の豊川さんの話では、仙台市内に限っては物資はかなりの程度行き届いており、ガソリンも以前よりは入手しやすくなった、とのことでした。
 行政による大規模な支援も大切ですが、行政の手が届かない、届いていない地域を丁寧にカバーしていけるのは、こうした市民団体、障害者団体であり、そのサポートです。
 八幡さんは、救援・支援活動は数ヶ月ではなく、年〜数年規模の活動になるとのことでした。資金面を含めた継続した支援がこれまでに増して問われていると思われます。
 支援金の送付先は以下をお勧めします。利用してください。また、ゆめ風ネット埼玉の代表である樋上さんに直接お渡ししても結構です。
@郵便振替口座番号:00980-7-40043
  加入者名:ゆめ風基金
  (この口座は暫定的なもので、震災支援専用の口座開設まで使用できますが、次のAB口座は継続して使用可能です。)
A郵便振替口座番号:00110-2-47127
  加入者名:DPI日本会議
 (DPI日本会議はゆめ風基金も加わった障害者団体の連合会です。)
B三菱東京UFJ銀行神田支店
  普通口座:1187475
  名義:ディーピーアイニホンカイギリジミサワサトル
(越谷市・西陰勲・防災避難体験・越谷連絡会議事務担当) 
 
 

 

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