共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 「障害者制度改革」埼玉セミナーPartTを終えて―地域・現場からの発信を

<<   作成日時 : 2010/03/25 22:24   >>

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 写真左は、社団法人埼玉障害者自立生活協会の前理事長(現相談役)・八木下浩一さん。そして、右は、国の障害者制度改革推進会議の委員である尾上浩二さん(DPI日本会議事務局長)。
 さる2月13日に、同法人(坂本さとし理事長)と埼玉障害者市民ネットワーク(野島久美子代表)が,尾上さんを講師に招き、共同開催した「障害者制度改革」埼玉セミナーPartTの休憩時間の風景。

 ちなみに、筆者は同法人の機関誌である「通信」の編集者も務めています。今日は、この「通信」最新号の巻頭記事を、ここでご紹介しておきたいと思います。

 というのは、前回のブログ記事で「地域と障害―しがらみを編みなおす」出版についてふれた、「地域から中央へ、ローカルからグローバルへ発信!」とか、「 超地域限定の活動から、日本の地域福祉、社会福祉を透視」といったことば http://yellow-room.at.webry.info/201003/article_6.html を具体的にした内容が、部分的にではあれ、ここに反映されているからです。


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■ 前代未聞の当事者参加 国政レベルで

 民主党政権になって、初めてほんとうに変わったなと実感できたのが、今年一月から始まった障害者制度改革推進会議(上の写真・共同ニュースより転載)。障害当事者委員が過半数ということだけなら本県の障害者施策推進協議会とそう変わりはないが、この会議の事務局である推進会議担当室を、政策研究集会などで私たちになじみの深いDPIの東さん(内閣府参与になった)や金さんが担っている。

 ちなみに、本県の推進協議会の事務局は、障害福祉推進課であり、ほとんどの自治体が福祉担当部課を障害者計画の事務局にすえている。そのため、どんなに変革の情熱に燃えた担当職員がいても、理念的な章はさておき、具体的な施策部分では、福祉以外の教育、労働、産業、住宅、街づくりなどは、すべてその担当部課に丸投げする形にしかならない。結果として、タテワリの構造をそのまま寄せ集めた、障害者不在の計画にまとめられてしまっているのが実情だ。また、国の中央障害者施策推進協議会は、事務局が内閣府だが、タテワリの寄せ集めという構造には変わりなかった。

 それに対して、この推進会議は、鳩山首相を本部長とする推進本部のエンジンとして位置づけられている。また、その推進本部の設置目的は、「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備を始めとする我が国の障害者に係る制度の集中的な改革を行うため」とされており、あらゆる省庁にまたがって法制度を洗い直し、作り直してゆく任務を課せられている。まさに前代未聞のしくみが、国政レベルでスタートしたのだ。
→国の推進会議の討議内容についてはつぎを参照http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/kaikaku.html#kaigi

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■ 上が変われば 下も変わるのか

 「長いものにはまかれろ」という日本人とくにお役人の習性からすると、上が変われば下も変わるんだよ、という見方も成り立つ。日の丸。君が代などは、まさにその典型。上が、強制ではないと言っても、現場では上の隠された意図を先取りして、強制したりもする。しかし、高校の定員内不合格などは、教育局が「あってはならない」と言っても、毎年出され続け、局も「合否は校長の権限だから」と容認する。

 いっぽう、アメリカ社会などでは、障害者差別を禁止したADA法ができたからといって、みんながそれに従って変わりはしないという。差別を受けたと感じた本人が、裁判に訴えて争い、確定した判決が実効性をもってくる。その積み重ねが「社会が変わる」ということ。

 上と下の関係が、日本と欧米では異なる。その日本で、欧米並みに障害当事者が国政レベルに参画した。このことは大きな意義を持つが、同時に日本社会の欧米化のあらわれともいえよう。それは、上が変わっても、下は変わらない構造が深まることでもあるだろう。

 さらに大きな問題は、国政レベルの当事者参加が、まだ障害者に限定されていることだ。反貧困の湯浅さんが四ヶ月余りで内閣府参与を降りたことに示されるように、議員も含め、単発では市民サイドからの参加を受けいれている新政権も、障害者制度改革推進会議に匹敵するような大胆な国政参加システムは作れていない。

 共に学ぶとは、障害のある生徒が普通のクラスや高校にあたりまえに入ってゆくことであるとともに、その生徒を障害のない生徒や教職員や地域があたりまえのこととして受け止めることでもある。同じように、共に働くとは、障害のある人がその障害の種別・程度にかかわらず、特別な環境を強いられることなく、地域で共に働けるということであるとともに、その人を障害がない労働者や事業主その他の地域の人々が、同僚や従業員として受け入れることでもある。

 つまりは、相互関係ということであり、それを具体化してゆくためにはお互いの共同行為を積み重ねることが必要なのだ。すなわち、「共に」を基本とする社会、権利条約のことばで言えばインクルーシブな社会は、上から作りだすことはできない、行動・体験の積み重ねが不可欠だ。

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■ 地域・現場から 共に 国へ発信を 

 さる2月13日、私たちは「障害者制度改革埼玉セミナー・パートT」(当会と埼玉障害者市民ネットワーク共催)を開催した(上の写真)。講演をお願いした推進会議の委員・尾上さん(DPI事務局長)のことば、「でもそこで勝負が決まるのではなくて、実は地元自治体や何より地域の中で暮らしている障害当事者や支援をしている事業者からの提起があって、地についた制度改革となります。」。

 すでに埼玉の私たちとも浅からぬご縁のある箕面市障害者事業団では、同市での実績を踏まえ、労働と福祉に分け隔てられた障害者の世界をつなげてゆくための「社会的雇用」を、今回の制度改革に盛り込むよう、上京して国会議員や推進会議メンバーに働きかけたという。
 市長も「それなら僕も一緒に連れてって!」と同行(http://blog.kurata.tv/article/34937733.html)したというからすばらしい!
 さらに滋賀県知事も連携した行動を約束したという。

 埼玉セミナーの詳しい内容については、報告を見ていただきたい。大切なことは、権利条約という黒船や国の制度改革に、希望を託して待つだけであってはならないこと。

 埼玉で、地域で共に生きるために、私たちが行政や他団体と議論したり、連携したりしながら取り組んできた、その過程の成果である県単や市単の事業がある。
 すでに支援費制度導入時に、全身性障害者介護人派遣事業は、県では廃止され、いくつかの市で生き残り、その後県でも復活したというジグザグをたどっている。
 東松山市の就学指導委員会廃止も含め、先駆的な取り組みに、他地域でも続けるような柔軟な国の支援策が問われている。箕面を見習い、私たちの動きを準備しよう。

 以上が「通信」NO.148の巻頭記事です。たしかに、この際、上(国)を変えたいのですが、しかし上から権力的に下(地域)を変えるというのは、筆者の30数年の埼玉のくらしの感覚と合わなすぎて、待ったをかけたくもなるという、矛盾した状況の中にいます。
障害者や高齢者にやさしいバリアフリーの街づくりをしますという「錦の御旗」を掲げて、ごちゃごちゃした駅前がきれいになり、長年営々と続けてきた小さなお店が廃業させられたりしてゆくのを、私たちは是と言い切っていいのでしょうか。

 たとえば、わらじの会の二つの生活ホームは、どちらも子殺し寸前まで追い込まれながら、でもわが子が街へ出て付き合いを広げてゆくことにもつきあいながら、矛盾した日常を家庭・地域の中で生きてきた親たちの、迷いや悩みの積み重ねの産物として、建てられたものです。

かって、市の幹部が、家庭での苦しい毎日を、障害者本人から聞いて、心から同情し、まじめに「(家族を)人権擁護委員会に訴えたらどうか」と言いました。そういうまじめさが、怖いと思います。差別禁止法や虐待防止法が、しがらみをひきずりながら、そのしがらみを編みなおし、家庭を、地域をひらいてゆくパワーを、きれいに消滅させてしまうものになってしまったら…。それこそタライの水ごと赤子を流すことになりかねません。

 そんな思いが、巻頭記事にこめられています。

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