テーマ:

水と生きた埼玉の人々―その長い試行錯誤の積分を見ている

春日部市の最南部から越谷市の北部を流れる千間堀の夕陽。明治の終わりから大正にかけて(1907~1916)、この千間掘に集まる排水を下流の越谷市増林村で元荒川に落とす工事をめぐって激しい争いがあった。当時全国最大規模と言われた「新方領耕地整理事業」の中のドラマ。  「新方領」は古利根川と元荒川に挟まれた一帯で、いま私の住む春日…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「国家」はこうしてつくられた―富国強兵政府との闘いをたずねる旅

「冬ながら啼かねバならぬほととぎす 雲井の月のさだめなけれバ」 田中正造。この歌を刻んだ碑が向かいにある田中正造生家(栃木県佐野市)の前に立つ連れ合い。  彼女が変形性膝関節症になりかけなので、今日は桐生市の吾妻山という低山に登っての帰り。低山とはいえ桐生市の最高峰で山麓の大川美術館は10年余り前に松本峻介の絵を見に来たことが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「共生の旅団」時代から「地域遠望」時代まで わらじ夏合宿史の試みⅤ

 前回まで、1979年夏合宿について述べてきた。 その後のわらじの会は、夏合宿で討論会をやったことがない。その代わり、よく近場で1泊の「くっちゃべる会」をやるようになった。  ただ、この時の討論会では、まだ抽象的な言葉にとどまっていた「地域」が、2年後のはばたく家活動の登場や、各人のその後の生活の積み重ねによって、具体的な形をとってゆ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「真夏の夜の夢」ー1979年日立・河原子合宿のてんまつ わらじ夏合宿史の試みⅣ

今年の夏合宿(秩父・小鹿野)が明日に迫ってしまった。この夏合宿史の試みを合宿前にまとめようと考えているので、ここからは駆け足にしよう。まずは、会発足後1年半をかけて、さまざまな出会いとすれちがいが重ねられた、その凝縮としての1979年日立・河原子海岸での夏合宿(写真)の結果を述べよう。  この合宿は、会単独としては初め…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

共に!の思い、差別への憤り、もろもろが合宿へ煮詰まっていった1979年夏―わらじ夏合宿史の試みⅢ

さて、1979年、わらじの会2年目の夏合宿。初めての会単独での夏合宿。それまで、毎月毎月、日帰りの小さな旅のような例会、そして冬にも一泊の雪遊びの合宿を、いつも大人数で重ねる中で、各人それぞれに現在の暮らしとこれからの人生を考えてきたと思う。しかし、あらたまって、各々の思いをつきあわせる機会は、不十分でしかなかった。  たとえば、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

夏合宿の原風景―1978年川口とうなす会との合同合宿 わらじ夏合宿史の試み―Ⅱ

1979年、日立・河原子海岸での合宿。浮き輪につかまって引っ張られているのは、故・新坂光子さん。会が発足して二度目の夏合宿だったが、初年度の夏合宿は先輩団体である川口とうなす会と合同で、じっさい川口の人々の企画立案に便乗した感が強いので、この年が会のオリジナリティによる初めての夏合宿といってよかった。  1978年の川口とうなす会…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「地域と障害―しがらみを編みなおす」の中の夏合宿 わらじ夏合宿史の試み―Ⅰ

これは、1979年のわらじの会夏合宿の集合写真。日立・河原子海岸での二泊三日。会発足後2年目。30年余り前の合宿だが、写真を見る限りでは、最近の合宿と区別できない。しかし、その内容において、大きく異なっている。……というか、わらじ三大行事の筆頭に挙げられる夏合宿は、固有の歴史をもって大きく変化してきている。過去32回の夏合宿にフル出場し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more