施設・病院と向かい合い地域で生きてきた30数年のまとめ的エピソード集 Ⅰ

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今回はとくに長くなるが、私たちの「地域で共に!」そして「施設、病院から地域へ!」という取り組みの歴史と思想をシリーズで(Ⅰ~Ⅴ)まとめておきたい。なおこれらはここ数ケ月のfacebookに載せた記事のまとめなので、つぎはぎ的な印象を受けるかもしれないがご容赦を!まず最初のエピソードから…。正月に見舞った水谷母の病室の窓から日本初の重症心身障害児施設・島田療育センターが見える。人気がまるで感じられない建物の屋上に今日4人の影が見えた。遠目で定かではないがどうやらその一人は女性で立ち歩きができる脳性麻痺者らしく他3人は家族のよう。

 かってここで職員たちが女性障害者を連れ出したとされて4人が解雇された事件があったことを連想した。見舞いのあと、島田療育センターの正面に回ってみた。小高い敷地にいくつもの病棟などが建ち並ぶ。入口の坂の途中にある駐車場は1983年1月に三井絹子さんら障害者たちが施設を出て暮らしたい斉藤秀子さんの思いを応援すべくテントを張って泊まり込んだという現場(モノクロ写真は荘田智彦著「同行者たちー絶望の福祉はこうしてつくられた 『重症児施設』島田療育園の20年」、千書房;1983より)。
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 当時の斉藤さんの詩―


 「今の私」                   
                 第3病棟 斉藤秀子
自分で違う世界へ行きたい
  なぜか一人知らない世界に流されて
見知らぬ人とめぐりあいたい
自分で歩いて遠くへ行きたい

 解雇された4人は抗議の闘いを組んだが3人はやがて身をひき、残った1人石田圭二さんが1985年5月にそう遠くない場所で「ハンディをもつ人がはたらくお店・リサイクルショップちいろばの家」を開き現在に至ることを今日初めて知った。「ちいろば」の名そのものは前から聞いてはいたのだが。

 あれからやがて30年がすぎようとしている。状況は少しは変わったのか?島田療育センターが2月に予定している公開シンポジウムには脳性麻痺の当事者である熊谷晋一郎氏や先天性多発性関節拘縮症当事者の名も見えているが…

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