こども体験から現在へ 2020.11.18 すいごごカフェ 石井樹章さんトーク

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優しい空気の中だけで生きてるんじゃなかった

 出身は中野区。昭和43年生まれ。さいたま市見沼区で奥さんと大学生の子供と5匹の猫と暮らしている。仕事は住宅の設計と営業。仕事をしながら、「OMIYAばりあフリー研究会」、埼玉トヨペット(株)でやっている「はあとねっと輪っふる」、埼玉県立小児医療センター内でやっている「お菓子屋マーブル」など、結構いろんな地域活動に首を突っ込んでいる。

 なぜこうした活動をしているか。以前、大規模都市開発を手掛ける設計事務所で、ビルの設計やヘクタール規模の開発の仕事をしていたんだけど、2003年に退職した。そこから自分の設計事務所で仕事をしていくためには、人の生活を見なきゃいけないという思いから、社会福祉士の勉強を始めて、OMIYAばりあフリー研究会(以下、ばり研)やわらじの会と出会ったことが大きなきっかけ。最初に出会ったばり研では、ただ優しい空気感ではなく、言いたいことを言い合っていた。自分がいろいろやってあげなきゃと思っていたけど、必要な時には言うのでほっといてくださいと言われたり、なんじゃこれとなったのを覚えている。そこで、子供の頃に感じた「ただいればいいや」って空気感を思い出した。それは約40年前、小さい頃に接していた「たけしちゃん」と「おっちゃん」との関係の中で経験していた感覚だった。

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何の先入観もなかった頃に一緒に過ごした2人

 「たけしちゃん」は小学校3、4年くらいまで近所にいた子。今で言う重度障害児で、紫外線の中ではいられない病気だったのかな。全身かさぶただらけ、言葉も「うーうー」しか出てこない感じ。でも、不思議なことに病気でかわいそうだなっていう感覚がなく一緒に遊んでいた。小学2、3年になると、「たけしちゃん」を見かけると「化け物がきたー」って言う子供達が出てきたんだけど、本当に関わりたくない人は完全に近寄らないようにしていたから、からかってくる子達は、まだ親しみがあった方なのかなっていうのが結構心に残っている。

 もう1人は、「おっちゃん」。1~6年生でクラスが一緒だった。今で言うと自閉症だったんだと思う。女の子を見ると髪の毛~って触ったりしていた。やる気のある先生だったからか、授業も行事もみんな同じだったし、お前らで決めてって放り投げられるので、どっかに出て行っちゃうと誰が追いかけていくかとか、結構自分達で考えていた。僕は特に意識していないつもりだったんだけど、5年生のキャンプの時の班決め(2人ずつ)でちょうど僕が「おっちゃん」とペアになった時、「おっちゃん」と行かなきゃいけないっていうプレッシャーに負けて、キャンプ当日は仮病で休んでしまったことはよく覚えている。

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分けるんじゃなくて、普通の人付き合いを

 この2人との経験の後は、僕は障害のある人には会わなかった。サラリーマンをやめて、いろんな地域の人と活動するようになって思い出したのが、2人と一緒だった時の感覚。

 もともと人見知りなんだけど、「おっちゃん」達の経験があって、自分で障害は~普通の人は~って線を引かないうちに一緒に過ごしていた、区別を知らない時代の空気感が、いろんな地域活動の中では手がかりになっていて、フラットに接することができていると思う。
 それで、最初にばり研にいた時からその人の「障害」じゃなくて「キャラ」が見えるようになったし、わらじもそうだけど、当事者と支援者という関係じゃなくて、普通の人付き合いをしている。逆に、配慮する感覚が飛んでしまって、言いすぎることも多々あるけど。
自分の息子にも幼稚園児だった頃からいろんな人に会わせているから、障害に関係なく話しに行くんだけど、もっと時が経ってもそういうのが残ってればいいなって思う。

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↓山下事務局長による、石井さんのすいごごカフェメモ(2020.12.11)
https://www.facebook.com/hoiroshi.yamashita/posts/3452138621521420

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