靴工場で少年は大人になり世界へ旅立ったーいま世界の転換の時に  2019.11.20すいごごカフェ・浅井武夫さん(㈱ニューオタニ社員)

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中学卒業後19年ゴルフ靴工場で

 小学校4年生のとき蒲生に引っ越してきた。中学は越谷南中の特殊学級。中学を卒業してから小林ゴルフという靴製造会社に勤めた。中学校の実習で知って、障害者枠で入社したのが平成3年3月。本当は4月からだったけど、すぐに入りたくてしょうがなかったので卒業して一週間後すぐに就職した。それから19年間お勤めしてゴルフ靴を作っていた。
 
 かかとをまとめて作る人、機械で削る人、のりで接着する人とか部分部分に一人ずつ工程が分かれていた。
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からだを張って技を覚えた

 初めは工場内でパートのおじさんと一緒に、プライマーを竹ブラシで本底に塗る作業をしていた。作業をしていると、シンナーのにおいと、有機溶剤の油のにおいがして、「なんでこんなにくさい」とは思っていなかったが、マスクを口にしていても体に健康被害がないか少し不安だった。

 ときどき、プライマー有機溶剤の油が目に入ると、目のまわりや目の中が赤くいたくなり、作業中に台所に行って顔のまわりを水で洗ったりした。その時は本当に、自分の顔が赤く、熱く痛くはれたが、病院へ行かなくても目薬をしてなおった。

 また、ハンマーという道具を使って、機械でガチャってやると出る釘を、お客さんが靴を履いた時に足に刺さらない様に打つ仕事もした。釘が曲がっちゃった場合や、どうしても取れない場合はペンチで取って、またつぶす。大工さんの釘はもっと長いけど、靴に使われているのは針というか、画鋲みたいな細さ。

 今は釘を使わない機械がほとんど。あとは皮を伸ばすためにワニで引っ張る。皮はいろんなのがあって、牛皮、鰐皮、カンガルー、豚、ダチョウの皮とか。今はほとんど釘は打たない。ノリでつける靴。
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小錦やジャンボ尾崎の靴も作った

 最後は刷毛を使って掃除して磨いたり、ノリ塗りをする。ウエスを使って汚れを落として。色が落ちた場合は絵の具みたいなのを使ってちょこっと直したり。どうしても傷になっちゃったり色剥げがある場合は作り直し。

 小錦の靴を作ったことがあるが、その時は木型が大きかった。ジャンボ尾崎さんとか、東尾理子さんの靴を作ったことがある。オーダーシューズも作っていたし、お店に出す靴も作っていた。ほとんどは松坂屋、三越、松屋、伊勢丹とかのデパートに出していて、あとはゴルフショップだった。
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いじめた人、世話してくれた人、でも倒産

 僕のことをばかにする人がいて、結構いじめられた。中には手を出してきてお金をくれと言われたこともあった。給料をもらうたび怖くて上司の人に預けてた。そんな中、斉藤さんという上司と19年間ずっと一緒に勤めさせてもらったが、家族の相談に乗ってくれたり、面倒を見てくれた。家が近かったので、残業の行き帰りは車で送迎してくれた。斉藤さんがいなかったら小林ゴルフを勤めあげられなかった。

 時間帯は8時半~5時半だった。入った当時は25人くらいいたが、だんだん景気が悪くなって10人くらいに減った。時間は6時半までだったが、残業が9時半、10時にまで伸びて、一番夜中までやったのは11時半くらいまで。お給料は最初12~3万くらいだったのがだんだん8~10万に。辛く、くやしい思いをした。1,2週間続けて休みなしで、体がだるくなるまで仕事をした。残念ながら倒産した。

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厳しい靴業界だが㈱ニューオタニが生き残れるよう

 今、私は春日部市の豊野工業団地内にある(株)ニューオタニという靴底メーカーで働いている。仕事内容は「リーガル」というメーカーの靴底づくりの作業。毎日午前8時から午後3時まで仕事を教えてもらいながら、私と、会社の仲間の障害者3人と尾谷英一社長と、社長の奥様と、ごきょうだいなど、一緒に働いている。

 このところ景気が悪くなり、浅草内では10数軒、同業者が廃業となり、倒産をして浅草町内では少しずつさびれている。 私が前の会社にいた時から半分ぐらいつぶれたなと思う。靴屋さんとして非常に残念だ。今、働いている会社もいつか同業者のように倒産・廃業になってしまうのか私には分からないが、それでも (株)ニューオタニが生き残ってくれるように、毎日頑張って皆様と一緒に働いている。
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職場、趣味、家族、世一緒

 最初はいろいろできなくて、塗装の吹き付けの先生が毎日来てくれて教えてもらったりした。今でも間違えることがあるが、その時の社長は怖い。不良品ばっかり作っても売り物にもならないし。どの業界でもそうだと思うが、簡単に飯は食えないと実感している。自分なりに私も家族と一緒にこれからも頑張っていきたい。明日も330足作る。

 趣味は卓球バレーで、ニューオタニのチームは強い。もう一つの趣味は社会、歴史が結構好きなので、電車に乗って1人でいろんなところに行く。幕末が結構な趣味(笑) 。

 あとは家族で遊びに行ったりする。今も母と暮らしている。妹の紹介で世一緒を知った。そこから今の仕事場のニューオタニにもつながった。

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