四半世紀を振り返って 2021.6.30 すいごごカフェ 須田涼太さん(埼玉県立大学卒業生)

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血友病と生きてきた

 生まれは野田市。1995年生まれで今25歳。一人っ子。私は生まれた時から、血友病という血が止まりにくい先天性の病気。それに、血友病による関節障害で膝とか肘が曲がらないし、かなり神経を圧迫しているのでずっと痛みがある。小さな頃はほとんど入院生活で、痛みも夜眠ることもできないくらい甚だしいものだった。さらには、当時は血友病がわかる先生が野田市にはいなかったために最先端の治療を受けれず、小学校3年生になってようやく東京の病院で専門の先生による最先端の治療が受けられたけど、その時はもう、なんとか維持することしかできなかった。転機だったのは、高校3年生の時。今まで1回も効かなかった治験がたまたま初めて効いた。それで、そこからがっつりリハビリをやり、今はなんとか杖で歩けるようになった。


人に恵まれて、必死に食らいついた学校生活

 幼少時は地域で噂話は広がるし、見下されたりして辛かった。根気強くコミュニケーションをとってきたので、今では全くないけど。小学校は一般の学校にチャレンジしてみたかったんだけど、いつ死んでしまうかわからないくらいの状態の僕を、「この子を入れてみたい」と、公立小学校の校長が教育委員会に盾突いてまで入れてくれた。入院ばかりで6年間のうち1年間通ったかぐらいだったけど、嬉しかった。

 中学生になると、成長期でさらに骨に負担がかかり、症状が悪化して通学できなくなったので、中学校の思い出はほとんどない。同級生は協力的で助かったけど、いじられる事もあって。自分は性格はアグレッシブなので、やり返したいんだけどやり返せないのがもどかしかった。勉強も必死だったけど、鉛筆を持っただけで手首が出血して、その手首を支えるために他の部分が…と、次々と連鎖反応が起こって全然先に進めなかった。

 高校入学の時には、ある私立の説明会に行ったんだけど、そこの校長にお前なんか人間じゃないくらいのことを言われて罵られて、もう終わりかなってくらいショックだった。でも、そこでまた人との出会いが。中学校の教頭だった人が高校の教頭になって、そこに来ないかと誘ってくれた。人と人とのつながりが高校までの流れ。

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初めての”心”の不調

 大学は、特に断られることもなく受験して受かるか落ちるかだったので、いい時代になったと思った。埼玉県立大学は2014年の後期で受かり、そこからわらじの皆さんと関わり合いになって。新居先生と朝日先生のゼミに入り、就労支援の研究をして、卒論はバリアフリーの価値観の個人差について書いた。

 大学卒業後は障害者就労支援センターで3年間勤めたけど、今は無職。なぜかというと、鬱病になってしまったから。最初は、ものすごい量の鼻血が出たり、おかしいなと。でも、根性論で生きてきたので自分の中ではまだいけると思ってたんだけど、通勤途中に過呼吸になり、友人から最近おかしいぞと言われたのが決め手で病院に行った。今は落ち着いてきたけど、早く働きたい。周りからはまだ落ち着けと言われるけど。でも、血友病で通っている病院の先生に言ったら、「転んだら死んでしまうかもくらいだったんだから、ある意味、鬱病になっていろいろ考える余裕ができたんじゃない?」って言葉でポジティブになれた。県立大学の朝日先生とは、就労支援を勉強していきたいということで今またつながった。はっきり人前で鬱と言ったのは初めて。

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働いていた時の課題をこれからに活かしたい

 自分は、高校2年生から大学の先生方と情報交換を続けていたからスムーズに大学に入れた面があったんだけど、就労相談員として働いている時に、そこが課題かなと思っていた。特別支援学校から就労する方は基本的に3年間は先生が中心で、支援をしていく形。情報交換ができていないと、本人はやる気に満ち溢れていても周りのサポートが足りないとか、せっかく働ける能力、適性があってもうまく活かせないんじゃないかなと。障害者・健常者って分けて考えないで、B型を挟んだっていいんだし、その人ごとにいろんなやり方があっていいと思う。

 特別支援学校の面談の時、ある発達障害の子に目標を聞いた。そしたら、「お父さんお母さんを焼肉に連れていきます!」って。すごくいいじゃんと思った。お金を稼いでも親に全部渡すとか、何のために働いているのかわからないまま働いている人が結構いる。だから、その発言がすごい嬉しかった。いろんな職業があって、みんな何かの役に立っている。特別支援学校の生徒、支援者、学校、親御さんも含めて、そういったところをしっかりと伝えてあげることが必要だったのかなと。道半ばで終わってしまったんだけど。自分自身の反省。

 自分自身このように生きてきて、本当に周りに恵まれてきた。当然ひどいこという人もいたし、辛いこともいっぱいあった。でも、なにくそと思ってやってきて。小さい頃から病院の中で監禁状態だったけど、薬が効いて世界が変わった。それで羽を伸ばしてガンガン仕事をしていたら鬱になっちゃったと。でも、自分自身が障害者であるという立場、以前までは就労相談員として働いていた立場、今実際に仕事を探している立場、この3つの立場を経験してるのは結構貴重かなと思っている。そういうのをこれからに活かしていきたい。

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