親として支援者として 2021.3.3 すいごごカフェ 阿久津和子さん(相談支援「世一緒」) 前編

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目から鱗! わらじの夏合宿と出会って

 息子の康仁は昭和63年生まれで今32歳。生まれつきダウン症。3か月たってから呼吸困難が起きて、10か月以上慶応病院に入院した。今とは違って30年前は人工呼吸器をつけるとおうちには帰れなかったからね。退院してからも通院と、入退院を何回かした。
 3歳の時、あけぼの学園(越谷市の肢体不自由児通園施設。現在は越谷市児童発達支援センター)を紹介されて通うことになった。でも、当時鷲宮に住んでいて、毎日越谷に通うとなると上の子たちと行動がバラバラになってしまう。やっぱり地域で一緒に暮らしたい、と決心して家族で越谷に越してきた。

 小さなうちから地域の人と知り合うって社会の方が普通なんだろうなと思っている。でも、親だって最初から障害の重い子と外に出るっていうのはハードルが高い。うちが外に出かけるようになったのは、わらじの夏合宿。康仁が小学部の低学年で初めて行った1996年の小淵沢に行った合宿の時から結構行かせていただいて。最初は、目から鱗だった。制限されて生きていかなきゃいけないって思っていたけど、みんな車いすでものびのびと自由にしていて。田舎の駅では「何時に乗るか言ってください」と言われても、「自分がいつの電車に乗るか自由だろ」なんて言ってるのを見てね。車いすの人がすいませんすいませんってやるんじゃなくて、普通の市民として生きていけるんだって、親子で色々出かけていくきっかけになった。海だって船だって田舎の歩道橋だって気合で担いで行って。わらじの夏合宿でとっかかりができて、電車でどこへでも行けると自信がついたし、いろんな経験はわらじだからできたかなと思って、ありがたいなと思っている。近頃はコロナでどこにも行けないし、誰か支援者と一緒じゃないともう旅行は行けないかなと思うんだけど、また行きたい。

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康仁と一緒に生きてきたから、つながったもの

 一昨年から康仁は施設に入っていて土日だけ家に帰ってくる生活だけど、頑張ってると思う。今はそれでバランスが取れていて、本人にはいいのかな。でも家に帰ってくる時はやっぱり本人は嬉しそう。本当は週末に電車に乗って出かけるのが好きなんだけど、今は散歩だけ。だから、楽しかった旅行を思い出したりして踏ん張っている。

 自分の話をすると、康仁が高等部卒業の年に私はヘルパーの資格を取った。3年勤めてから介護福祉士を取り、今度は社会福祉士になろうと思って専門学校の通信に通って取った。ケアマネの資格も取って。それで、仕事を探そうと越谷のハローワークに行く前に世一緒に寄った時に、たまたま山下さんから就労支援センターでのパートはどうかと言われ、26年3月から障害者就労支援センターで働き始めた。でも、27年5月にすすめる会の受託が終了となったので失職。同年7月から今度は生活クラブのNPO法人でケアマネになり、そこから4年8か月働いた。今年の3月にコロナで康仁が帰ってくることになってケアマネが続けられなかったのと、相談支援の仕事に誘われたことが重なって、せんげん台世一緒で相談支援の仕事を始めて今に至る。元々は康仁がいたからこうした仕事をやってきたという感じ。今は常勤でなく、クライアントと私の時間で合わせてできる仕事なので感謝している。

 ある意味、私が平日に自由なことができるのも、子どもが犠牲になってるからっていうのも確か。実際福祉サービスって待遇がいいわけじゃないけど、職員は一生懸命やってくれてる。でも、おうちでの普通の暮らしができるのが本当は一番いいんだと思う。

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後編へ続く→https://yellow-room.at.webry.info/202106/article_6.html

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