こどもの国のオトナ 2020.12.16 すいごごカフェ 関啓子さんトーク

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「分けられたくなかった」という生徒の叫び

 誰もがともに地域に暮らすための活動に37年程関わっている。1975年に初めて教員(臨時)になり、1976年からは新任として小学校の特殊学級の担任に。1979年の養護学校義務化が決まっていたので、それまで就学猶予の対象者だった子が入ってくることになった。
 印象深いのは、当時突然荒れ始めた6年生のS君。ある日、その子が自分が元々いた教室に行こうとしたので、ずりずりひきずった時に初めて「『勉強もしないでこんなことやっているからこの学校にはいられないんだよ』って前の学校の校長先生に2年生の時に言われたんだ。」って泣きながら言い始めた。暴力的になったのは、普通学級から移されたことが心の傷になってたんだと思い知らされた。

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普通学級で出会った子達との思い出

 そんな頃、養護学校義務化を前に、県内の義務化反対の立場の人々とのつながりができ始めた。それでやっぱり「養護学校はあかんねん」だなあって確信した。だから、途中で普通級から特学に移ってくる子の面談をやる時、私は止める方にまわっちゃったりね(笑) でも、あかんねんと思ったからこそ、自分は通常学級で受け入れる側に回った方がいいだろうなと思い、1979年からは普通学級の担任になった。
 
 今なら発達障害と呼ばれるお子さんにもたくさん出会ってきた。トラブルは確かに起きやすいんだけど、周りの問題もある。面白がってかまうやつはいるし。でも、この子はこういうんだからしょうがないなって味方になって支えてくれる友達も必ずいるなと思った。
 学習障害と多動で、すぐ教室からぴゅっと出てっちゃったりするUちゃんという子がいた。クラスの子達は「こいつおもしろいやつなんだぜ」なんて言って認知していた。彼は問題行動がおさまって、高校を普通に受けて、大学も行って就職もした。全部のお子さんがとは言わないけど、ちゃんと育っていく子は育っていくんだなって。早くから個別の対応で分けられてたら、彼なんかは普通の大学に行けなかったんじゃないかなと思う。
 Kちゃんというダウン症の子がいた。一番ちょっかいを出す男の子がいたんだけど、車いす体験とか障害について調べる授業の時に、クラスで「ダウン症っていうのはKのことじゃないの?」って盛り上がりかけたら、その男の子が「違うよ、KはKだよ」って言ったの。理解は知識じゃなくて生活の共有なんだよなって、しみじみ思った。いろんな子がいて当たり前でいいじゃないかって。なんでそれが今まかり通らないんだろう。そういう経験をしないで育っちゃう子が増えて、ますます生きづらくなってっちゃうんだろうなって思う。

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子供たちを丸ごと受け止めてきただけ

 自分の小さい頃を思い返すと、今だったら別枠にされてしまってたであろう肢体不自由な子と遊んでいたし、伯母が聴覚障害者だったけどコミュニケーションしていたし。こういう人達が生活の中に当たり前にいたからこそ、今の感覚ができたんだろうなと思う。
 「障害児」というのは周りが見ているカテゴリーなだけであって、「私は障害児」なんて思っている子はいないわけで。障害があるない関係なく、全然問題ないという子はいないし、どちらかというと障害を持ってない子の方がよっぽど苦労させられたなって。手が出ちゃう子や、お金をすっちゃう子とかとつきあってると、障害を持ってるからってなんなのさって。子供は子供ながらに育っていく。教員として、あるがままを受け止めて、なんとかなるよねって、子供達を信じてゆるくやってきただけ。そんな教師生活を送ってきた。

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