人間として生きるーピープルファースト 2020.6.24 すいごごカフェ 小田島栄一さんトーク

118003626_669732797083767_7818618791519127683_n.jpg

小田島:「ピープルファースト東久留米」を立ち上げて25年。今はピープルファーストのガイドをやっている。ピープルファーストでは、新聞をみんなで印刷したり、いろいろ売って、そのお金を給料にしている。

今回のすいごごカフェへの小田島さんからの事前メッセージ:「あたらくことについて」 きゆりうかたかいのかいいです こいしいがうれればいです やぎいもややざいつくりおかんばてもらいたいです らんぼやいるいやています きゆりがあかればいです。 小田島栄一(ピープルファースト東久留米)

117892006_2406683396300673_1855151293724252819_n.jpg

入所施設が世界だった

小田島:生まれは秋田県横手市。昭和19年生まれで、今76歳。3歳くらいの時、お父さんの仕事の都合で東京の神田に引っ越した。その後母が亡くなって、日野市にある「七生福祉園」に入った。嫌なことばっかり言われて我慢できなくなって逃げたりいろいろやった。それで、牢屋(お仕置き部屋)にぶっこまれた。
 その後、12~18歳の時に有名な山下清がいた「八幡学園」に入った。厳しかった。罰で火のついたお線香を落とさないで持ってろと言われて。そういうのを趣味としてやってるようなところ。山下清本人にも会った。山下清はよく脱走していて、お金がなくなったら戻ってきて絵を描く生活をしていた。

117988749_4147712441965330_5914540793672012067_n.jpg

ピープルファーストとの出会い

 その後、通勤寮の「ゆきわりそう」に入り、その施設にいた時に、そこの職員に日野にあるピープルファーストに入らないかと声をかけられた。ピープルファーストのピの文字も知らなかった。最初の全国大会参加は93年の大阪大会。そこでいろいろわかった。それで、自分で東久留米にも立ち上げたくなって、僕が面倒見るから、と知り合いに頼んで始まった。作った当初は20人いたかな。学生さんが18人くらい。最初はグッドライフの3階を借りたんだけど、車椅子の利用者もいたので自分達で物件を探した。


施設から地域に出て生きることを応援

 最初の活動は全国の東京都が委託している入所施設に行って呼び掛けて、地域で暮らす手伝いをすることにした。俺わからないからいろいろ教えてもらって。今のメンバーも1/3がみんな入所していた経験があるし、最初は自分が出ようって思ったことから始まったんだけど。都は東京は土地が高いからってことで、全国各地に施設を作って、東京都がお金を出して半分運営しているのが50か所くらいあったはず。当時、その中の1つの青森県の「つがるの里」という入所施設では入所者約150人中35人くらいが東京の人だった。そこに出向いて聞いたら、35人全員が施設から出たいと言っていた。最初に僕らが施設に行ったり、体験に来てもらった。その中で本当に施設を出たい人を20人に絞ってもらい、自立生活プログラムをやりたいって言ったのは7人。実際に施設から出られたのは6人だった。しっかりしすぎて、不安になって地域でやっていけるのかと断念された方もいた。

118068296_3174132282635421_5392790674620203831_n.jpg

質疑応答

大坂:運営資金は?
小田島:俺わかんない。お金はやっさんが貸してくれてた。
村松:大きなお金は金融センターから借りて、東久留米の場合は自立生活センターの人とかからお金を借りていた。最初の3、4年はカンパしていた。
吉原:昔はよかったっていう点を教えてください。
小田島:入所していた時と自立した今を比べると、自由に表に出られたり、買い物できたりするのがいい。毎回お金を出してくれとは職員に言いにくくて。自分のお金なのにね。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント