なぜいまここにいるの 2020.7.8 すいごごカフェ 太田洋平さんトーク

117774593_4340092166065929_5048223753623598412_n.jpg

思い返せば、隣にいたのは障害者だった

 私は1979年生まれ。西新井団地で生まれ育った。兄とは5歳離れているが、兄にいつもくっついて遊んでいた。千間台には1981年、自分が2歳の頃に越して来た。しらこばと幼稚園を卒園した後、千間台小学校に入学。1年生の頃、初めて障害者の子と出会った。今村けんたろう君といって、隣の席になり、1年間過ごした。中学校に上がると、けんちゃんは同じ学校にいなかったので、養護学校に行ったんだと思うけど、行方はわからない。
 越谷高校を卒業後、都内の大学に進学。この頃、千間台のカワチ薬品の前に公衆電話があったのだが、車イスの男性にこの番号を打ってくれと話しかけられて。かけたら、すごいお礼を言われた。今思えば昌弘さんだったと思う。大学の頃の出会い。

117817991_2768367563432719_1325420342668928500_n.jpg

人生の流れに乗った先に

 その後、催事場の装飾を手掛けていた父の会社に就職して働いていた。でも、この会社がつぶれちゃうと、父と一緒なので一家が路頭に迷うと思い、医療現場の薬品等の管理を請け負う会社に転職。この頃に結婚し、子供にも恵まれた。その後、商業施設に転職したが、これも子供ができてお金が必要なのでよりよい条件を求めた結果。でも、確かに給料面は良かったが、ブラック企業だったので始発で行って終電で帰る生活が続き、1年後に体がずっと酔っぱらっている感じになってしまった。それで辞めざるをえなくなり、近場で働けるところを探した時に、パタパタとわら細工の両方の求人をハロワで見つけて、受けてみようと思って行ってみた。今でも覚えているのが、問い合わせをした時に、弘一さんが出たこと。すごくわかりやすく話をする人だなってその時は思った。働けそうだと思って受けてみたが、弘一さんが出ていなかったら受けてないと思う。障害福祉に興味があったわけじゃなく、流れで今ここにいる。

117951974_724418195005161_8365161660490792506_n.jpg

「障害者」って特別には思わない

 良くも悪くも障害のある人と障害のあるなしで付き合ってるわけではない。障害の理解が進んでいるとも思っていないし、特別に障害者に接しようとかも思っていない。障害者だから印象に残っているというのもないし。障害のある人だから付き合おうとか思わない。自分は、人がこうだからこう変えるっていうのは無理。そんな器用じゃない。嘘をつかないとか、思っていることを正直に言うことの方が大事だと思って生きている。

118239792_984825128632037_559002558059438166_n.jpg

質疑応答

山下:ハローワークで探した時は障害者と付き合うのはどうかなあって思わなかった?
太田:経験不問って書いてあって、なんの経験もいらないっていうので、いける!と。
山下:特にわらじなんかは給料安いじゃん。今までかなりもらってたのがガクッとなっちゃって、生活大丈夫かなってなかった?
太田:今でも思ってる。転職を考えたりもするけど、でももし職員を去ることになっても、誰かの介助とかバザーをやめるって話にはならないと思う。
 辻:最初の頃に、太田さんが7時に帰れて子供と一緒にご飯が食べられていいなって会報に書いていたのを覚えていて。今5年くらい経ってどうなのかな?
太田:楽しいです。わら細工って1日から10日までは請求業務をやって、10~20日はニュースの発行があって、ほとんど室内でPCに向かう。20~30日に外に出れるけど、日中活動って楽しそう。ぽぽんたとか合宿に行ってみたい。

117949195_637575903555459_4827535775553126956_n.jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント