逝きて還るーわらじの会という地域を耕した人々のメモリー 2019.12.4 水谷淳子さん すいごごカフェ・ゲストトーク 

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今日はわらじの会周辺で亡くなった人の話を短い時間でします。
順番に、新坂光子(てるこ)さん。2000年に妹の幸子さんが。私が障害者の人とつきあったスタートが光子さんと幸子さん。そしてきみ子さん(姉妹とは別の家)。
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新坂姉妹は自分でかがんでずりずり動けたんだけど、検査入院を数ケ月してベッドで足を伸ばしっぱなしでいたので、退院後足が曲がらずかがめなくなったため、ずって動けなくなった。姉の光子さんは脊髄小脳変性症がどんどん進行して、褥瘡が毎晩ものすごい痛いと泣いたりして、手術したらということで最後は堀之内病院のICUに入り、みんなが交代で付き添った。
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その後ずっと関わっていたのは原明子さん。明子さんと和久さん夫妻は、いずれも聾学校の教員。娘の有(みち)さん(上の写真)は、常に体位交換や痰の吸引が必要な重度の障害をもって生まれた。重度だからこそ、自宅に近い幼稚園や小・中学校で、近所の子どもたちが一緒にいるところで育てようと考え、その通りにした。明子さんは乳がんでほとんどしゃべれなくなった。家族はいよいよダメだという時に救急車を呼んだ。そうしたら救急隊員が、明子さんの隣に横になっていた重度の娘さんの方を運ぼうとして、違うこっちだって教えた。 いったん救急車に乗ったが、もう呼吸をしてないということで、主治医に連絡したら、もう1回家に戻してくれればそこで死亡診断書を書くからということで。最後まで自宅にいて、娘さんと一緒に寝ていた。
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88年には橋本克己君のお父さん(上の写真右端)が亡くなった。白血病で独協に入院していた。山下さんが付き添っていたりした。
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その翌年は新坂幸子さんという光子さんの妹さん(上の写真右)。やっぱり脊髄小脳変性症が進行していた。そして、乳がんがあるとわかった。かなり大きくなっていたので治療をどうするかの話になったが、何もしないのが一番長生きするのではという判断になった。わらじの会で20人くらいで相談したら、みんなで頑張るかという話になって。訪問看護や社協のヘルパーにも加わってもらって、亡くなるまで1年2カ月、かなりの人がボランティアとして関わった。

自宅で寝ていたら、平野さんから電話があって、幸子さんが本家に帰ると言い張るので、あんちゃんが迎えに来たという。あんちゃんは救急車を呼ぼうとしていたが、今更病院に行っても医療的にはやることがないと説明したら納得してくれた。そして、オエヴィスから50mくらいの本家までの道を、みんなでふとんごとかついで歩いて行った。本家にしばらくいてからまたオエヴィスに戻って、それで看取った。1年半付き合ったので、その時は半分はほっとした。
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その後は糸賀美賀子さんが脳幹出血で亡くなった。千間台のアパートで倒れ、自分でSOSの電話をしてきて、119番にもかけていた。駆けつけると間もなく救急車が来て、かかりつけの市立病院に緊急搬送され、ICUに入院したが、そこで亡くなった。
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2008年には山野内さん(上の写真右)。亡くなる3年前からもんてんに入居していた。ビールを飲んで部屋に戻っていびきが変だという電話をもらって、行ったら息していなかった。独協に運ばれて、救命救急で調べたら心臓肥大がものすごくて。車いすに乗っているから苦しかったはずなんだけど、体を動かさないからあんまりわからなかったんだろうなと思う。
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2010年に橋爪静佳さんが39歳で亡くなった。卵巣がんで、腹水がたまっておなかが膨れていた。いくつか病院を当たったんだけど、知的障害が重いというので、どこも受け入れてくれない。それで住んでいたオエヴィスで往診を受けながら、最終的にそこで亡くなった。びっくりしたのは、痛み止めはあんまり使ってないんだけど、亡くなる10日くらい前まで動けていたこと。その間に、腹水がきれいになくなった。
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新坂きみ子さんは会った当時はものすごく喋ったりしていたんだけど、脊髄小脳変性症が進行して、喋れなくなってきて、食事もだんだんミキサー食になって、たんの吸引も必要になってきた。2013年頃、目も見えなくっていたが、耳だけ聴こえていた。悪口はわかった。活動で外出するのが大好きで、あっち行ったりこっち行ったりして、ずっと普通の生活をしていた。12月にふっと亡くなった。
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その1カ月後に吉田昌弘さん。脳幹出血かな。職場参加をすすめる会の事務局会議でここ(世一緒)に夜来て、その帰り越谷駅から自宅がある一ノ割駅まで電車に乗って降りたとき、既に電動車いすがふらふらしていて、駅員が心配してついて言ったら途中で倒れたということで、救急車で運ばれて入院後亡くなった。
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その年の越谷の花火の時には新井豊さん(上の写真左端)が亡くなった。新井さんは脳性麻痺で動きが激しいので、首から足とか痛みがすごくて食事もとれなくなって、本当に大変だった。独協に転院したが亡くなった。

2013年から2014年に新盆を迎えた人がものすごい多い。私も平野さんも年だから家で看取ることはなくなってきてるんだけど。家で看取るというのはかなり覚悟がいること。
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野島:私はみんな懐かしいです。みんな思い出があって、幸ちゃんもきみちゃんも。(橋爪)しーちゃんが亡くなる前に学生と鬼怒川温泉に行って来て、裸になってゆったりつきあって、何もわかんなかったの。それで鬼怒川から帰ってきて、お腹が腫れてると聞いて、それでおかしいと言って病院に行って。
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 きみ子さんは、谷崎さんと3泊4日行って来たんだよね。それできみちゃんが様子がおかしいというんでもう1泊増やして。私と中山さんは早く帰ってきて、なんとか無事にきみ子さん帰ってきたけど、あの時谷崎さん大変だったんだよね。(上の写真は新坂きみ子さん=右端=の住む生活ホームもんてんを訪れたヨーロッパのピープルファーストの人々)
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谷崎:夜になると熱出すんだよね。その時便利なんだなと思ったのがゴム手袋。伸び縮みするやつに氷水を入れると手の形だからすごいフィットして。
水谷:変温動物だと思っていた。

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山崎:昌弘さんは倒れた当日の事務局会議に来た時に、ミスタードーナツのお菓子を持ってきたら、誰かが珍しい、何か起こるんじゃないのと言っていたらほんとにそうなって。

野島:事務局会議に行く前にも越谷で倒れたんだって?それを、たまたま通りがかった県大卒業の学生さんが見つけて、助け起こしてくれて、それから事務局会議に行ったらしい。帰りは一ノ割でおトイレと言って、駅員さんが、蛇行運転だって気にして見ていたら、転んだらしくって。私もびっくりしたよ。私のほうが年上なのに、順番が違うじゃないかって思った。ショックだったよ。みんな思い出があるよ。オエヴィスの介助に入っていた共栄短大の学生たちは、新井さんが駅まで車で迎えに来てくれて、オエヴィスに送ってくれるのが楽しみだったって言っていた。糸賀さんとは私はよくケンカをしていたしね。さっちゃんもてるこさんもよく昆布を売っていてね。
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山崎:以前、市民プールを作るということで、市として障害者団体に意見を聞きたいというので、こばと館を利用している障害者団体の会議で相談したら、野沢さんはわらじの会で出ますって言ったの。出てくれたんだけど、会議の中で、「どんなことを希望しますか」と訊かれたら、私はプールなんか入りたくないって言ったんだって(笑) 、野沢さんとは思い出がいろいろある。
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内野:静佳さんは、私が知った頃には、挨拶すれば顔を下げる感じで。平野さんが、しーちゃんの頭の中にいろんなことが入ってると言っていたけど、そういうふうには思えなかった。お母さんがヨーロッパ旅行から帰ってくるって日、静佳さんはエンジンの音でわかって、喜んでるのがこちらにもわかった。しーちゃん1人置いてっちゃって悪いわね~って言っていたら、お母さんが帰ってきたら瞬間、しーちゃんがお母さんに怒っちゃって。しーちゃんをずっと置いてけぼりにしたのよって話しをしていて悪かったってお母さんに謝った。お母さんも静佳さんに謝って、そしたら収まった。

萱場:しーちゃんと野沢さんと貴美子さんと昌弘さんと山野内さんは介助にたまに入っていて。食事、入浴で。思い出がすごく深い。
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内野:幸子さんと介助に入っていた前さんという人が東武動物公園に行った時の話。うちの真未も行きたいって言って。そしたら幸子さんがいいよって言ってくれて、連れていってくれた。お世話になってるんだなあという思いで、幸子さんのことは忘れない。幸子さんは私の家にも何度か寄ってくれた。(上の写真:向かって左前・幸子さん、左後・前さん、右・水谷さん)
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山崎:糸賀さんが、駅で改札からホームまで階段を降ろしてくれる人を待っていた時、手伝ってもいいかなと思って言ったら、きっぱり断られたの。落っことされたら嫌だからって、女の人はダメだったみたい。そのきっぱりさが潔かったので印象に残っている。

樋上:糸賀さんが定期的に介助者探しをやっていたが、毎晩入ってくれそうな人に電話をかける。糸賀さんの下請けで樋上がかけることがあって、1回30円でやっていた。1年くらい毎月やっていて、一晩10人くらい。そのうち久しぶりに樋上君から介助を頼まれたけどしょうがないから今回やってあげるわというのも2,3人いてくれて。

水谷:この時代は、夜になるとみんな介助者探しをしていた。みんなえんえんと電話かけていた。
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野島:先に先に決めていかないといけない。1年が早いよ。幸子さんの気持ちがよ~くわかるよ。

水谷:実家にいる時なんか私と平野さんは痛いと言われれば呼ばれて、体勢変えて家に戻るとすぐまた呼ばれて。おしっこだって呼ばれて。待っててっていうともらしちゃうぞって脅されて(笑)。まだ苦労は変わらないの?

野島:変わらない。
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