娑婆も地獄もトラウマもある地球がいとおしい!だからホノルルマラソンへ行きます!-2019.10.2 すいごごカフェ・石井隆司さん

DSCN8118.jpg
物心ついたらポリオ、父はいず母も出て行った

1950年2月東京足立区生まれ。生後ポまもなくポリオに。現在は、世界で99%は撲滅したと言われているけど、2週間くらい前、フィリピンで2人の子に発生した。日本では1960年が一番ポリオが発生した。

ぼくは小さい時から靴を脱いだら歩けない。当時、自分より年上のポリオの人に会ったことがない。世の中に障害を出さないでかくす人が多かった。

5歳で猩紅熱。10歳で草加で交通事故に遭い3日間意識不明に。12年前はがんの末期。心筋梗塞も起こしてニトロを毎日貼っていた。そういう状況で、人生歩んで来た。

物心ついた時には両親が離婚していたので父親を知らない。素晴らしい母は再婚したのはいいんだけど、再婚したと同時に家を出た。子どもを置いて出ていく。子どものことを考えない。その後も一番下の弟が、結婚もせずにいちばん苦労した。つい二日前も殺そうと思ったほど。いま88歳。家から出ないでいて、義理の妹・弟も寄り付かず、寂しいから電話が来る。どうしようもない親といえばそれまでだけど、私を生んでくれたから素晴らしい女性。

なのでおじいちゃんと住んでた。おじいちゃんがタオルを温めて足にあてがって、もんでくれた思い出がすごく残っている。

DSCN8117.jpg
虐待・無関心・いじめ・大事故・切り捨て

その後家に戻って、再婚した父と一緒になった。地獄だった。父親からの暴力。本当の子供じゃないから。子どものころ、家族でご飯を食べた記憶がない。

農家だったけど貧乏だった。小学校に入っても、田んぼの中で遊んでた。学校に行くといじめられるから。でも母親は無関心で、子ども心に家庭の幸せとは何かなと思った。

小学校5年の時、親戚のお兄ちゃんが映画(片岡千恵蔵の地獄の底までつきあうぜ)に連れてってくれるということで足立区から自転車で二人乗りして、草加で事故に遭った。当時、新聞にも載った。観光バスがトラックと正面衝突した。バスの運転手も片足切断。映画を見に行かなければとトラウマになった。

さんざんいじめられていた金子君という子に、裏門で待ち伏せして砂を顔面にかけた。目に入ったものだから先生にさんざん怒られて。でもそれ以上にいじめられたのがくやしくて、やってしまった子供の頃の思い出。

6年生では家が半分になっちゃった。知恵がないと物って簡単に持ってかれてしまう。

学校は、中学1年の1学期までしか行ってない。八潮で母親が再婚した。その実家の物置に住んだ。弟と妹と含めて6人で。

中学を辞める前にマラソン大会があった。走りたいという思いがあったので。100m行ったか行かないかというところで先頭に抜かれた。先生からもう走らなくていいよと言われた。子ども心に、もう人前では走りたくないとトラウマになった。

DSCN8119.jpg
殴られ、かわいがられた丁稚奉公時代

八潮に越してからは、口減らしで、再婚した父親の知りあいのせんべい工場に丁稚奉公。受け入れてくれたせんべい屋さんはすごい。米屋の2階に4人で住み込みで働いた。汚い。今住めって言われたら住めない。先輩は私より年上の20代後半の人ばかり3人。健常者。

今度は家で殴られることはなくなったけども、先輩に手じゃなくて棒で殴られた。おせんべいの生地を作るところにいた。力仕事。できるわけない。でもできないとたたかれる。逃げるところがなく泣きながらやった。

よかったのは食べられたこと。当時、お米屋さんだから精米すると、その粉が2階に来るとかはあったけど、力仕事で訓練されたから今の私がある。そういう中で生かされてきたんだと思います。

給料は、うちのお袋や義理の父親が取りに来ていた。仕事終わると、10mもない歩道橋くらいの距離を毎日走らされる。先輩たちが野球をやっていて、いじめではないけど走らされた。バーベルを作ってくれて持たされたり10何年続いた。なんとか持てるようになった。そういう環境に置かれたから今の私がある。当時いじめだと思ってたけど、今は感謝。

能天気だったんでしょうね。食事は出るし、かわいがられたから。私も先輩たちと一緒に野球をやった。野球で守れるところは、キャッチャー。塁に出られると全部走られちゃうけど。でも野球は好きだった。

13歳からお酒を覚えた。日本酒、ビールとか。やるのは花札とマージャン。そういう10代だった。夕日を見ると涙を流してた。純粋な心を持ってた。
人生はすべてご縁。何事もポリオという病気を背負ってきたのも、猩紅熱も事故も、がんもすべてご縁。そういう両親の子に生まれてよかった。父親の顔は知らないけど。丁稚奉公したせんべい屋では醜い相続争いを見た。

DSCN8120.jpg
地球守る製品の営業帰りに足こぎ車いすと出会う

30代になると、環境問題にすごく関心を持った。なぜこういう自分が生まれてくるのか。汚染を調べていくうちに、大阪まで行った。日本の水道水で一番まずいのは大阪。そういうのを勉強させてもらって、挫折しながら、もう人生これでいいかなと思いながら、ご縁に感謝し、地球環境にやさしい食品等の販売の会社を営んできた。歩くのは苦手だが車を運転できるんで、あちこち営業に回った。

ちょうど環七の帰り道、中野の哲学堂でお茶のんで、中野通りを通った時に気になるお店があって、インスピレーションが起きて、立ち寄った。みなさん何か飲んでいる。寅さんと言われていると言ったら、そこのマスターが中野のトラだよと言う。2日後に夕食会に呼ばれて、心に残るものがあったので参加したら、そこに友野さんという方が来て、足こぎ車椅子を持ってきて、石井さん乗ってみてと言われた。それが2年前の8月26日。半信半疑で乗ってみたら、橋の手前くらいまでスムーズに動いた。感動した。

すぐ購入したいと思ったら、35万する。子ども用はもっと高い。40万。でも、レンタルで借りられる、毎月1万5千円、介護保険を取ったら1500円といわれて、すぐ介護保険の申請をした。すごく思いやりがあって、1か月貸してくれた。11月からレンタルで借りられるようになった。

DSCN8122.jpg
中学以来のマラソンに挑むことになる

何やってるんだろと思いながらも、マラソンにチャレンジした。でも最初は99%断られた。道路事情が悪いからとか。車椅子用のマラソンがあったけど、5キロ10キロ走りたかった。前橋にシティマラソンががあるから直接市役所に行ってスポーツ振興課の担当者に車椅子に乗ってもらったら、「これすごい、これで出てください」って逆に言われた。無料で出してくれた。産経新聞さんが前橋のシティマラソン参加してくれた。当日、真夏日、30度超えた、熱中症の人が16人搬送された。

自分もマラソン甘く見てて、水をかけてくれた人に救われたけど。軽く熱中症になった。6キロ以上スピードが出ない。前橋の5キロは上り坂。5キロ折り返してきた時に2キロ手前で利根川にぶつかる。向かい風との戦い。新聞記者が迎えに来てくれた。25歳の青年が熱中症で倒れた。その青年は半年間入院したという。重症。前橋の市長や皆さんが謝ってるけど。

走っている時に涙が止まらなかった。毎日足を切りたい、死にたいと思っていたのに、その足が動いてくれている。1時間以上休まずに動いてくれた足に感動した。ホノルルマラソンに参加する勇気がわいた。目標を持たないと。人生こんなもんかなと思ってたら止まっちゃう。年を重ねても夢を諦めなければ、心は年を取らない。自分がチャレンジしていくことによって心がワクワクしていかないと。自分にプレッシャーをかけて自分に挑戦していく。
 
いろんな方が応援してくれる流れになってきた。自分だけでお金を出してマラソンするのもいいけど、皆さんと一緒に参加したい。後ろ姿を見せるしかない。そういうことでホノルルマラソンにチャレンジしている。何かにチャレンジしていくというのはすごく大切なこと。

障害もっているお子さんがいるのに、応援団長になって応援してくれる方もいるし、そういうのがすごく嬉しい。よかったら皆さんもTシャツに死ぬなよとでも書いてください。

DSCN8124.jpg
障害を持っている人、持つかもしれない人、その他のみんなと

一番大切なのは、この地球にみんな個性を持って生かされている。危惧しているのは、地球がダメになっちゃう。自分の母体であるものをどんどん傷つけている。障害があっても自立しないと、障害を持った人たちが増えてる、途中障害、40代超えた人は気を付けて。

2人と出会った。仕事に熱中してきて障害者になった人たち。腕は動くけど足は全然動かない。心が痛む。一人でもいいから何かにわくわく、みんながわくわく生きていけば流れが変わってくると思う。皆さんと力を合わせられたら。

私はまだまだ甘い。人生出会い。障害を持っていながら障害を持っている人達の中に入って行かなかった人間です。やっと壁が取れて、心のバリアフリーに。気が小さくて入れなかった。被害者意識はあった。乙武さんが出た頃、いいよなぁ~と思った。石井さんは障害持ってると思われないもんねと。じゃあもうちょっと暗くして…笑 どっちがいいかですよね。

DSCN8127.jpg

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

驚いた

この記事へのコメント