筋肉少々帯 戦え!何を!?人生を!

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通常学級で 自分以外は敵だと思った
                 7月10日すいごごカフェ・ゲストトーク 坂西勇輝さん

 全身の筋肉が劣化していくデュシェンヌ型筋ジストロフィーという病気。現在、大袋で一人暮らしをしながら、パタパタに週3回通っている。

 小学6年から車いすに乗るようになり、その前は誰とでも仲良くしていたのに、自分以外は敵だと思うようになった。仲のいい友達もいたが、自分は障害者で相手は健常者なのだと、自分から線引きしてつきあっていた。今思うと恥ずかしい。できないことを介助してほしいと頼めるような関係を作れたらよかったと後悔している。

 学校では支援員だけに介助をしてもらっていた。年上の人と話すのは楽という感じもあった。昇降は給食用エレベーターを使った。特に楽しい記憶もなく卒業した。

 中学に上がるとき、教委に相談したら養護学校を探したらどうかと言われ、母が私に養護学校でもいいかと聞いたので、普通学校がいいと答えた。母から聞いたところによると、知人から勧められ、創価学会に入って公明党の議員さんから教委に話をしてもらったら、手のひらを返したように教委から中学校を見学して学校を決めましょうと連絡がきたという。今思うと「忖度」という行為。中学には給食用のエレベータのほかに人が乗るエレベーターがあった。

 中学では科学部に入り、3年の時は副部長を務め、部内での仲間もでき楽しく活動した。委員会は視聴覚委員会(放送委員会)を3年間続け、校内放送や体育祭の実況などで活動し、放送機材を使うのがとても楽しかった。勉強はあまり成績がいい方ではなく、当時母子家庭で家計が大変な中、高校受験前に母に頼んで塾に行かせてもらった。今でも感謝している。

 高校は岩槻商業で、前に卒業した車いすの先輩が一生懸命やってくれたので、受け入れはよかった。上級生にも車いすの人がいたが後輩にはいなかった。部活は科学部に入ったが、同級生がいなかったのであまり楽しくなかった。高2の冬に動画配信サイトで三味線の演奏を見てかっこいいと思い、三味線を習い始め、文化祭で演奏した。三味線の先生も一緒に弾いてくれて、とても楽しかった。友達はいたが、どこかで線引きをしてつきあっていたので、孤独だった。いまも連絡をとってつきあっている友達もいる。介助をお願いできるような関係になれたらいいなと思っている。
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障害者雇用 だが職場でも家でも追い詰められ

 高3になり、進路選択は就職にした。学校に来ている就職先には障害者雇用をしている会社がなく苦労した。
越谷ハローワーク経由で高校に連絡をくれた会社があり、吉川市にある特別養護老人ホームだった。いい会社だなと思い、就職試験と面接を受け、採用された。施設開所1ケ月前に勤務が始まった。経理事務を担当した。

開所前の1ケ月はよかったが、開所してから会社の対応が豹変した。雇用契約書を交わすとき、1ケ月前から働いていた職員が、募集内容と違うと言い始めた。上の人と話をしたら。文句があるならやめてもらってけっこうと言われたらしく、明日から来ませんと言い、退職届を出してやめてしまった。それも職員たち3人が同時に退職したので、この会社は危険だなと思うようになった。

自分も契約書を交わすことになったが、週休2日と書いてあったのに、休みを週3日にしてくれと言われた。身体的負担が大変だと思うから配慮したという。当時は実家暮らしだったので、週休3日でも何も苦労はなかったので、まあいいかと思ってしまった。2年後に週休2日に戻さないかと言われたときは、いまさら言われても遅いと思った。いろいろなことがあったが、けっきょく4年間その会社で働いた。

ずっと母子家庭で育ってきたが、働き始めた後の19歳の時、母が再婚した。再婚してすぐ相手が豹変し、母がもちあげないときげんが悪くなり、私が否定的なことを言えば怒り、黙っていると会話がないと文句を言うようになった。職場でもストレスを抱え、家にいても安らぐことができず、精神的に追い詰められた。キレないようにがまんするのが耐えられなくなってきて、一人暮らしを決意した。母は、がまんできないならいいよ、やりたいならやればと、軽い感じで背中を押ししてくれた。
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泊り介助を入れて 地域生活を始めた

越谷市障害者生活支援センターぱおに行き、田名部さんに相談に乗ってもらった。不動産屋で物件を探し、内見をしたり、市の制度を確認したりした。その後間が空いてしまい、一度リセットして考えてみようということになり、オエヴィスで一泊二日の宿泊体験を試み、わら細工との関わりもできた。親元を離れて外泊したのはそれが初めてで、自由な反面、生活の基本を自分で決めなくてはいけないから大変だなと思った。

しかし、2回目の宿泊体験で、一人暮らしをやっていけるなと思った。夏合宿へ行ったり、べしみへ行って話したりして、ずっと前から一人暮らししている藤崎稔さんや吉田久美子さん、野島さんの様子も見て、自分もなんとかなるんじゃないかと感じた。

2回目の宿泊体験の終わりに物件を見に行き、今住んでいる家をみつけた。それからは、年金の申請や重度訪問の事業所探し、家のリフォームなど準備を進め、2017年1月に一人暮らしをスタートした。

それまでは母に送迎してもらっていたので、一人暮らししてから通勤に慣れるのが大変だった。特に見通しの悪い道を横断したり、バスに乗るのに慣れるのが大変だった。特に、会社から4,5分のところに横断しなければならないところがあり、会社として一緒に横断してくれる人を出してほしいと打診したのだが、責任が取れないからと断られてしまった。納得がゆかなかった。

また、一人暮らしを始めた後のこと、会社に来てからすぐトイレに行くから準備時間として1時間給料を減らすと言われた。トイレの時は、開所前は周りのスタッフが当然のようにやってくれていた。開所後は忙しいからできないということで、職場の人でなく元会社の人が来て、介助をしてくれる形だった。毎回すぐトイレに行っているわけではないので、納得できなかった。特に許せなかったのが、排せつの介助を頼んだ回数分1時間カウントして、その分の給料を減らすと言われたこと。排せつ行為はコントロールできないものであり、それを勤務時間からカットすると言われて、人としての尊厳を傷つけられた思いだった。

今年の2月に退職し、現在は生活保護を取り、パタパタに週3回通っている。毎日22時から朝まで、また入浴などの介助に入ってもらっている。

日中は平日に1回、日曜に1回くらいの介助。介助者との人間関係は難しい。妥協できる範囲は妥協するとしか言いようがない。介助者の対応がひどくなったと思ったことは何度かある。そうした時、直接感情的に言うんじゃなくて、事業所の上の人に「対応してください」と話す。夜間に入る人は同じ人が何度も入ることになるので、そういう人は何も言わないでもわかってくれることが多い。

野島さんのように、人に対して積極的に、かつサラッと介助をお願できるレベルになりたいと憧れている。越谷市の全身性障害者介護人派遣事業を利用して、学生に介助に入ってもらおうと思っている。「こんな夜更けにバナナかよ」は面白く読んだ。
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