雲南ー行田 そして職場参加 6月12日すいごごカフェ 元ムーミンママ・滝沢恵子さんを迎えて

雑多な人々、雑多な出来事が同時に在ることー世一緒の小さな公共

画像

もう40年ぐらい昔、北越谷駅のすぐ近くの裏通りを歩いていたら、道端に桐箱の部品がずらっと並べて干してあった。それが何軒かの他家の前の道端まで、延々と続いていた。
 いま橋本画伯宅の周辺は田園風景の中に町工場が点在しているが、それらの前の道路は工場の延長で、よくトラックが荷を積んだり下ろしたりしていて、フォークリフトが行き交っている。
 そんな風景の延長に、東越谷の職場参加ビューロー・世一緒はある。

画像

 世一緒の出入り口は平日の10:00-16:00は、できるだけ開けっ放しにしている。
 だから、会議を開いていようが、作業をしていようが、古本や野菜を買いたいというお客、5円コピーを取りに来る人、ハローワークの帰りにふらりと立ち寄る人、ご自由にどうぞと書いてある棚のニュース類をもらいに寄る人や道を尋ねる人など、雑多な人々が出入りする。
 世一緒の中は応接室や事務室といった間仕切りがないので、複数の出来事が同時進行していることが多い。

 そして、6月12日(水)午後は、滝沢恵子さんをゲストに迎えて「梅里雪山巡礼の道で考えた」と題してすいごごカフェのトークが始まったところへ、行田市障害者ネットワークのご一行10名が越谷市障害者地域適応支援事業についての情報収集に見えるといった「解剖台の上でのミシンと雨傘の出会い」があった。

画像


2軒のムーミンハウスの記憶から

まず今日の進行役で、滝沢さんの紹介者でもあるたそがれ世一緒管理人・樋上さんから、滝沢さんとのなれそめを。

 1987年、この東越谷に重度障害者職業自立生活協会の店・トムテが回転し、樋上さんが店長となり、それまで両親らと暮らしていた武里団地を離れ、この近くで一人暮らしを始めた。その店のお客さんとして滝沢さんのお連れ合いが来るようになり、その縁でお連れ合いが教員として勤める足立区の小学校で教職員向けにバリアフリーについての研修の講師を務めた。

 樋上さんは当時毎週1日だけ、やはりすいごごゲストになっていただいた植田さん宅へ夕方に出かけ、食費と介助料を出して、家族と夕食を共にさせてもらう、いわば通所型の「夕食介助」を受けており、それを「ムーミンハウス」と呼んでいた。やがて、その「ムーミンハウス」の2軒目として、滝沢さん一家4人の夕食に加わらせてもらうようになった。約3年間続いたという。ちなみに、当時、恵子さんは都立の養護学校の教員だった。

 樋上さんが滝沢家を「ムーミンハウス」として通ったのは90年代半ばで、阪神大震災や地下鉄サリン事件のニュースを滝沢家のTVで見た記憶がある。また樋上さんたちわらじの会の当時の若者は、フリースクールりんごの木の子どもたちとソフトボールを時々やったが、そこに滝沢父が子どもと参加した。また、恵子さんが子ども二人と一緒にわらじの会の夏合宿に参加したこともあった。

 滝沢さんは定年後山に登られているが、樋上さんは全国あちこちに旅をしながら山を見るのが好きなので、今日は滝沢さんに山の魅力について話をお聞きできればと言う。 以下、滝沢さんのトーク。

画像


反転する世界と個

 今日は2015年に梅里雪山の巡礼道で考えたことについてお話ししたい。梅里雪山はカワカブと言い、中国の雲南省チベット族自治州にある。ミャンマー、ベトナムに隣接する地域。この山麓はチベット仏教の聖地で、巡礼が集まって来る場所。

 巡礼道は4000m余りの山腹にあり、梅里雪山をはじめとする雪をいただく険しい山々は6000mを超え、人を寄せ付けない神々の山。その梅里雪山に1991年、日中学術合同登山隊が登り、雪崩で全員遭難した。隊員を派遣した京大山岳会の小林尚礼さんが遺体の捜索作業のために何度も通い、現地の村長さんともなかよくなって、いまはチベットを紹介する活動を続けている。

 私は「雲南」という響きが好きで、前から気になっていて、たまたま知り合った小林さんたちと一緒に巡礼の旅に出かけた。

画像


 2015年の10月29日から13日間の旅だった。行く前に体の調子がよくなかった。2週間前に子宮がん検診お受けたせいかわからないが、27日に出血があり、どうしようかと思ったが翌日産婦人科へ行った。

 出血は止まっていたが、8cmの卵巣嚢腫があるからすぐ検査をしないといけないと言われた。6cmのでも切るのが普通だからと。

 明日から中国の奥地へ行くと言ったら、「どうなっても知りませんからね」とすごく怒られた。友達に状況を話したら「そうやって医者が言うように卵巣嚢腫が爆発することもあるかもしれないけど、天からのメッセージかもしれないね」と言う。「天からのメッセージを受け取るには、空白を作っておかないと受け取れないよ」と言われた。

 さて、シャングリラ空港に降り立ち、バスで4590mの峠を越えるとき、バスがガタガタして大丈夫かなと思って、一番前に座っていた。そんな風におとなしめに出かけた。

 登山口のヨンジュ村に入り、深い森を行く。気もちのいい森だった。紅葉もあり、滝もあり、大きなスケールの中を歩いて行くと、思わず笑いがこみあげてくる。私が感じるというより、からだが感じる。出血はちょっとあったが、気分はハイだった。

画像


 ドケラ峠(4480m)に行くまでは順調だったが、テントに帰ってきたら悪寒と下痢で、全部着込んでも寒くてたまらなくなった。「それは高山病だよ」と言われた。この先どうなるだろうかと、また不安になった。

 翌朝は下まで降りなければならないので、とにかく降りた。その途中で休憩したとき茶屋がありツァンパ(裸麦の粉をバター茶などと混ぜ、粘土状にした主食)をごちそうになったが、私はあまり食べられず、景色を見ながら待っていた。

 その時とつぜん「ああ いま 私がここにいるんだ」というのを強烈に感じた。越谷では「私が何かをするんだ」という感じだったが、ここでは体の調子が悪く「私が何かをする」という感じはもてず、「私が いま ここにいるんだ」という感じを持った。
画像


雲南へ往き 越谷へ還ること

 梅里雪山の山を見に行った日、寒くて焚火をしながら遠くにある梅里雪山をみんなで見ていたときも、「私が 山を見る」というのではなく、「山が、私のところへドーンと飛び込んでくる」というか、主語が私でなく、向こうからくる感じを受けた。心って、あの山が全部入るくらい広いんだなとも感じた。

 その後、旅は順調に進んだ。巡礼の道を歩きながら、このヒマラヤから始まる照葉樹林文化がインドや東南アジア、中国に広がって、沖縄のほうにも伝わって、日本列島に来たんだなあという実感を持った。沖縄のシーサーとか屋根の飾りと似たものがみんな向こうにあった。

 13日間一滴の雨も降られず、越谷に帰ってきた。体は不調だが気分はハイで帰ってきた。

 行く前に調子が悪かったから、びわの葉を持っていけとかいろいろ言われて、大きな荷物で持って行った。越谷駅に着いて、体は下痢が続いていたが、心はハイで、タクシーに乗ろうとしたら、運転手さんがぜんぜん荷物を運んでくれず、頼んだら、「なんだよ。自分で持てないようなかばん持って旅行行ってどうする!」とすごい大きな声で言れ、みんなに見られて恥ずかしい思いをした。
 でも最終的には入れてくれて、家まで送ってくれた。

 でも雲南では、ゆったりとした時間を過ごしてきて、自然と全然切り離されていない暮らしを2週間してきて気づかなかったが、最後の最後に越谷でそう言われて、何がちがうのかなと思った。

 自分では「いま ここ 私」というのを強烈に自覚したことから自分自身の状況も変わった、そんな旅だった。

画像


世界への後ろ向きな旅と障害者

以下は、行田からの来訪者をまじえた滝沢さんとの質疑応答。

Q.その後体は大丈夫なんですか?

A.卵巣の中に脂肪がたまっており悪いものではないが、それを産婦人科の医者が卵巣嚢腫と言ったのだろうと。できれば傷つけたくないと思う、なかよくしてゆこうと思っている。

Q.現地ではトイレはどうやっていましたか。

A.村長の家にはトイレがあったが、民家にはなく、畑の隅のほうに案内され、青空の下で用を足した。ゲストハウスにはトイレはあるがドアはない。公衆トイレはちょろちょろ水が流れていくうえで用を足す。北京のホテルなどはトイレが完備されている。

Q.チベットの障害者と出会いましたか。(行田のCILひこうせん・木村さん)

A.出会わなかった。私は都立の養護学校の教員をしていたが、中国から来た障害のある子で、父が医者で母も職業に就いているが、中国ではちゃんとした教育ができないということで、日本に来て養護学校に通わせているという話を聞いた。なかなか外に出さないという話も聞いた。

 ここで、私からも質問。.「いま ここ 私」という体験について、ふだんは個の自己選択・自己決定で生きていると思っているが、その元になる体が絶不調で自己選択・自己決定どころか生命活動すら不確かという状況にあったところに壮大な風景が繰り広げられたとき、世界に照らされて生かされているんだという実感を得たのだと思う。
 それは障害者の自立生活にもつながると思う。滝沢さんの状況は、中途で障害者になった人のそれと重なる。元気で自分一人の力で生きてきたのにと昔をふりかえってばかりいると病院や施設でしか生きられない。周りの人々、社会、自然の中で、周りとかかわりあいながら生きて行く上で、他者の手を借りるのはあたりまえのことだと発想を変えれば生きやすくなる。
 滝沢さんは、梅里雪山で感じた世界の一部としての自分という感覚がその後も続いていますか?他のみなさんは、障害者の自立生活と滝沢さんの話の関連についてどう思いますか。」

A.梅里雪山での感覚がずっと後まで続いているわけではないです。(滝沢さん)

画像


 長いつきあいの樋上さんは、滝沢さんの山登りを評して「いつも前向きな旅をしている」と言う。

 滝沢さんは、これから〇〇へ行ってくると言って出かけて行き、〇〇へ行ってきたよと帰ってくる。

 それに対して、樋上さん自身の旅は、これまで日本全国回っているが、滝沢さんのように前へ向かってゆく旅ではなく、自分自身の生きてきた道を戻ってゆくような、どちらかといえば後ろ向きな旅だと自ら感じていた。滝沢さんに会うと、「樋上くん、たまには元気な顔をしたほうがいいわよ」と言われたものだ。

 そんな樋上さんだが、今日滝沢さんが語ったことを前にも聞いて、滝沢さんもいろんな思いをしながら旅をしているんだなというのがわかったと言い、「滝沢さんは樋上の後ろ向きな旅をどう思いますか」と問いかけた。

A.樋上さんの感受性というかセンスはすごいなと思っています。ブルーハーツのこととかいっぱい教えられることがありました。大きなものに振り回されるんじゃなくて、自分を大事にして生きてるんじゃないかと思います。私もそうありたいと思っています。(滝沢さん)
 
画像

 ここで今日滝沢さんの助手を務めていた武井さんから、滝沢さんと樋上さんの出会いのきっかけについて質問があった。

A.うちの夫も教員をしていて、小学校で全盲の子を通常学級で1年から6年まで受け持ったりして、そんな話を聞いた障害児の親がうちの子もお願いしたいと来たりして。そんな流れの中で、樋上さんを教員研修に呼ぶことになったんじゃないかと思います。(滝沢さん)

 武井さんは、自分も集中力がなかったり、おっちょこちょいだが、パートで働いている職場で周りに助けてもらいながら、自分もその一部として役に立つことができていると語る。

 こうしたやりとりを聞いていて、行田から来た一人で、元パラリンピックの代表として世界で闘った経験があり、現在は就労移行支援を利用しているという人から、世界はそんなに甘くない、ゴールしないとだめ、がんばるしかないという意見が出された。

 埼玉障害者市民ネットワーク代表で車いすユーザーの野島さんからは、自分もタクシーに乗ろうとして怒られたことがあるが、健常者でもそんな風に言われるんだなあと知り、これって「共に生きている」っていうことなんだなあと思ったと述べられた。
 
画像

 滝沢さんのトークと質疑応答が一区切りついたところで、行田の方々を代表して㈱リンクステーション代表取締役の加村さんから、行田市障がい者ネットワークについて説明があった。

 正式名は「行田市障がい者ネットワーク ハッピー行田」といい、市内の障がい者団体や福祉関係の事業所計11団体で組織されている。働く部会、くらし部会、福祉の店部会という三つの部会をもつ。働く部会は職場見学等、くらし部会はバリアフリーマップ、福祉の店部会は図書館内の店の運営をそれぞれ担っている。同ネットワークが作成、発表した行田の観光バリアフリー・トイレマップについての新聞記事は下記より。

https://www.asahi.com/articles/ASM1042FCM10UTNB00B.html

画像

 今日の参加者は、行田のぞみ園の渡辺さん、行田市身体障害者福祉会の関さん、健翔会の渡辺さん、WISHの山崎さん、橙の徳田さん、ひこうせんの木村さん、いずれも法人、団体を代表する方々とのこと。

 健翔会の渡辺さんが、「越谷で障害のある人たちが働くことがうまくつなげられている事例があれば教えてほしいと思って来た。市役所で働くにはどうしたらいいか、どう進めていけばいいか、参考にしたい。」と今日の目的を述べた。

 行田市福祉課の岡田さんも一緒に来られていて、「ネットワークさんからはいつも叱咤激励を受けている。市役所での職場体験を進める上でのヒントを得たい。」と話していた。

 行田市障がい者計画は、以下のURLから参照。

https://www.city.gyoda.lg.jp/11/02/10/documents/syougaisyakeikaku120405.pdf


 総合県交渉などで以前から一緒に動いてきたひこうせんの木村さんは、行田の障害者施設・団体の横のつながりをベースに越谷の取組を学びたいと語る。

 今日のすいごごカフェに参加していた埼玉障害者市民ネットワーク事務局の大坂さんから、省庁・市役所の雇用水増し問題にみられるような数合わせが横行している中で、重い障害者を含めてさまざまな形で職場に入って一緒に働くことを重ねて行くという「職場参加」はきわめて重要な意味をもっており、世一緒がやっている事業はすごく大事だと思っていると述べられた。

 世一緒ができるきっかけとなった越谷市障害者就労支援事業やさらにその素地を作った越谷市障害者地域適応支援事業などについて、市の広報番組「いきいき越谷」の録画を後日行田に届ける約束をした。

 
画像

 
 職場参加とは、「福祉や医療の対象者」とか、「週20時間未満しか働けないなら一般就労は無理」として分け隔てられてきた人々も含めて、さまざまな縁や手立てを探りながら、雑多な人々が一緒に職場に在る状況を創り出してゆこうという営み。

 言い換えれば、「ここにいるべきでない」とみなされる人はどこにもいない、そんな職場を目指しながら試行錯誤を重ねて行こうということ。

 もちろん現在の社会で、だれに対しても常にひらかれている、そんな職場は成り立ちようがない。だが、滝沢さんが「山が向こうから飛び込んでくる」ことを雲南で体験し、越谷へ戻ってきたらいつもの自己責任の街が待っていたように、個別的、一時的には「共に在る」経験はできる。

 今回行田のみなさんが情報を得るために見えた、越谷市障害者地域適応支援事業(市内の福祉施設等の障害者が職員等の支援を得て市役所や民間の職場で実習を行う事業)は、「障害者が地域に適応する」とともに「職場が地域に適応する」ことをめざしている。まさに「職場が向こうから飛び込んでくる」ことをめざしているのだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック