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zoom RSS 「童謡百年とバリアフリー社会ー命がけのわがままを」 樋上秀さん

<<   作成日時 : 2019/02/19 21:57   >>

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すいごごカフェの報告が追い付かない。毎回のゲストの語りが、内容としても情感としても豊かすぎて。いやゲストはずっと前から面白い人たちにお願いしてきたのだが、聞き手の側の「語られ方」が、回を重ねるごとに豊かになってきたというか。

 というわけで、やっと1月30日の樋上秀さんのトークの報告。まず、樋上さん本人が当日配ったレジュメを紹介する。

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まえふり20分

童謡100年

樋上は童謡詩人!?厳密には少年詩を書く人

樋上の詩の師匠である日比工とその師匠、梅原猛

日本の童謡は世界文化遺産級

世界に日本だけの童謡の原点である赤い鳥運動は文化的な市民運動の草分け

児童文学雑誌「赤い鳥」創刊1918年7月1日(大正7年)

童話作家、鈴木三重吉の熱意

三大童謡詩人、北原白秋、西條八十、野口雨情

日本歌謡の父、中山晋平  先駆者、山田耕搾

戦後のサトウハチロー「りんごの唄」から始まった。そしてイチロー、ヒガミヒデシ


北原白秋「この道」「からたちの花」「ペチカ」・・・

西條八十「かなりあ」・・・

野口雨情「七つの子」「青い目をしたお人形」「赤い靴」「しやぼん玉」・・・

サトウハチロー「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」・・・


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本編20分

まちづくり

朝の風景の一つとなった福祉車両


車依存社会の日本 欧米、西洋は車多様社会

宇都宮に路面電車新規開業(LRTライトレールトラジット)コンパクトシティをめざして

雷都レールという市民団体の会員である樋上

東京駅にみる 車イス1対につきベビーカー10キヤリーバック100という割合

「こんな夜更けにバナナかよ」の原点は「青い芝」の運動

老いる街で電動車イスのユーザーが増えない理由、それは「わずらわしい!!」につきる

究極のバリアフリーは「スマホ」

そして最高のバリアフリーは「好奇心&冒険心」

日本初の野宿生活という生活保護者に成る夢と。北の町の稚内に住みたいという欲求

スナフキンという生活保護者もあっていい!?


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「朝の富士山」      ヒガミヒデシ

吐く息白く冬の朝トラムに乗り込み外を見る

遠くにくっきり、きりり、富士の山

大きな窓からよく見える

今日はいい事ありそうで少し落ちつきいい気持ち



周りはみんなスマホ観て 一人占めです世界遺産

冬の街なみ いつもの街なみ

だけどもくっきり世界遺産 きりりと澄んで白い富士

誰かにそっと この気持ち スマホではなく伝えれば

朝は一人でなくなるさ 富士も一人でなくなるさ

トラムが運ぶ夢運ぶ 富士山くっきり冬の朝


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 上のレジュメに沿って、樋上さんは「暮らしやすい街って?」というお題を受けて、まず「前振り」として「赤い鳥」から語りはじめ、「本編」では「スナフキン」に言及した。

 樋上さんは語る。

 「樋上は童謡は専門分野。中学校の頃、詩を書き始めた。童謡詩人をめざし、童謡の雑誌に投稿していた。中学生の時、同じ脳性マヒでもっと重度の詩人の日々工(たくみ)を知った。

 彼は和文タイプライターで詩を書いた。3行書くのに、足を使って、5,6時間かかって書いていた。

 その彼の師匠が、この1日に亡くなった哲学者の梅原猛。自分は京都にいた日々工と中学生の時、3年ぐらい文通して、詩を教わっていた。

 印象に残っているのは『樋上くんは、もっと言葉を覚えて、言葉に苦しみなさい』という言葉。いまでも苦しみながら、書いている。」

 「1918年に『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉は、自分の娘に文部省からのおしつけの子どもの歌でなく、心から歌える子どもの歌を作りたいと考え、詩は北原白秋、西城八十などに、曲は山田耕作や中山晋平などに頼んだ。

 さらに童話のほうは、芥川龍之介とか菊池寛をはじめとする有名な作家たちが書いた。

 『赤い鳥』は世界的な市民文化の草分けといえる。

 その後昭和の戦争期には軍歌が歌われたが、戦後サトウハチローが登場する。樋上が童謡を書くきっかけにあった詩人だ。サトウハチローの「リンゴの唄」から戦後は始まったと言われている。

 北原白秋も山田耕作もサトウハチローも、どうしようもない人間だが、童謡を書かせたり、作曲させると、世界的な童謡が生まれた。

 サトウハチローといえば『明かりをつけましょ ぼんぼりに』が春で、秋は『誰かさんが誰かさんが誰かさんがみつけた』。百年たった今でも、春と秋にそれぞれ歌われている。サトウハチローはどうしようもない人間だが、いまだに歌い継がれている。」


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 そして、「本編」の街づくりに入ってゆき、樋上さんは語る。

 「30年前は福祉車両といえばわらじの会の車ぐらいしかなかったが、今はパトカーよりもいたるところで見られる状況になった。

 いまの日本は、福祉車両の激増にも示されるように、車に頼るのが当たり前だが、欧米は車に、鉄道に、路面電車に、バスというようにいろんな公共交通が多様に存在している。日本は20年ぐらい遅れているといわれる。

 その一つに宇都宮に路面電車(LRT…ライトレール・トラフィック)を2022年に開業させようと活動している『雷都レール』という市民団体がある。樋上は20年ぐらい前にその団体の勉強会に行ったりして、会員になっている。

 日本の車社会は『路面電車は時代遅れ』という意識が強く、『ノスタルジックなもの』とみなされやすい。

 最近『こんな夜更けにバナナかよ』という映画がヒットしたが、重度障害者の自立やバリアフリーの原点は、青い芝の会の運動にある。

 いまベビーカーやキャリーバッグを使って移動しやすい社会になっているその原点が青い芝の運動にあることを、一般の人は当然知らないわけだから、この映画をきっかけにその歴史を少しでも知ってもらいたいと原作者がラジオで語っていた。

 電話の発明も、情報を伝え合うのが不便な人のために行われた。それが今のスマートホンにつながっている。

 そして、自分の中では、好奇心と冒険心が、バリアを取り除くいちばんの近道だと思っている。

 北の町の稚内に住みたいという夢とスナフキンのように定住せずに生活保護を受給して暮らしたいという夢がある。

 避難所一泊体験は、小学校で1回、中学校で2回やった。いずれも5,60人が泊り、下は2歳から上は80歳まで。またいろんな障害者が参加した。

 阪神大震災を機にいろんな被災障害者を支援してゆこうという『ゆめ風基金』ができ、そこで『中学生プロジェクト』といって、日中地域にいる人々の中で一番力になるのは中学生じゃないかということで、中学校の体育館で2度やったが、残念ながら中学生は部活で忙しく参加できなかった。校長とPTA会長は参加してくれたが。

 樋上としては、ブラック部活にいそしむのもいいが、せっかく中学の体育館でやったのだから来てほしかった。でも、チラシを中学生が作ってくれたり、見えないところで頑張ってくれた生徒もいた。」

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 樋上さんが「前振り」と「本編」の全体をふりかえって、後日まとめた文章が以下。

歴史をつくったのは良い人ではなく、命がけの我がままをつきつけた人

童謡100,年

街はどう変わったか

暮らしやすくなったのか   生き苦しくなったか


「こんな夜更けにバナナかよ」作者が語る現在のバリアフリーの社会は「青い芝」の運動等の結果が一つの要因。

当たり前だが、バリアフリーの恩恵にあずかっている人は当然に一般の人も含めて当然それを知らないこの本。
今度の映画がきっかけに命をかけて我がままをつきつけた結果バリアフリー社会があるを少し知るのも悪いことではない

学校で戦国、幕末等の歴史を教えるのは大事だがバリアフリーの一つの要因、青い芝の歴史を伝える事も大事では

もちろん映画は楽しく観てほしい 

でも命がけの我がままの歴史を知る一つのきっかけになれば嬉しいと語った。

つき詰めればスマートホンもバリアフリーの極みである

良い人だけが社会を創るのではない 小さな歴史だけど意味ある命がけの我がままがバリアフリー社会を創る

究極の暮らしやすいまちづくりは好奇心&冒険心


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