共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS ひとびとの精神史の水系から-栗原彬さんをお招きして 4

<<   作成日時 : 2018/10/23 22:30   >>

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(4)緒方正実さん、川本輝夫さん、埼玉障害者市民ネットワーク2016年度総合県交渉「要望書」から学ぶことー生きづらさ、難民性がひらく可能性

緒方正人さんと親族関係にある緒方正美さん、この方は誠実な人です、この人以上の誠実な人を見たことがありません。それからやはり水俣病患者でリーダーであった川本輝夫さん。杉本栄子さんも含めて、水俣病患者から多くのことを学びました。

それから、埼玉県障害者市民ネットワーク2016年度の総合県交渉の要望書からも学ぶことがあったのでその話もしたいと思います。この要望書を初めて目にしたのはちんどんパレードの前に最終確認の場、その時の要望書の表記でずいぶん揺さぶられることがありました。
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水俣に話を戻して、緒方正美さん(上の写真)は、人間として大切なことを忘れていませんか、このことを言い続けます。行政に対し、チッソに対し。たとえば、ブラブラ表記問題。熊本県が水俣病患者の職業調査をしたことがあります。それを緒方正美さんが、親族の一覧表の職業欄に無職と書き入れている。全ての人について無職と。元は漁師だったかもしれないが水俣病患者なので仕事ができない。それが県にわたり公的文書にカタカナでブラブラと書き換える。これは差別用語であることは言うまでもないでしょ。そのことを正美さんが発見する。公的な文書の中で自分が無職と書いたのに。それで彼は人間として大切なことを忘れていないかと怒り、行政を告発します。
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すると県知事、潮谷義子さん(上の写真)という人で前から知っている人で、この方はものすごく人間的な方でこの方が県知事をやっているおかげでどれだけ患者が救われたか。この方が緒方さんに電話を入れます。申し訳ないと。普通は団体に電話する。しかも県知事ではなくて代理の人から。そうではなく直接県知事が正美さん個人に謝罪を入れる。もちろん団体にも謝罪しますが、一番最初に申し立てた正美さん個人に謝罪を入れる。それから潮谷さん個人が水俣に体を運んで正美さん個人に謝罪する。そしてこういう用語を使わないようにすることを徹底すると言います。

こういう謝罪を受けた正美さんはそれで終わりかというと、謝罪は個人が個人としてすることに打たれます。そのことによって自分は救われたと。県知事の謝罪によって救われたと感謝の文書を送ります。これは今まで聞いたことがありません、患者は告発する側だし、それに対して応答があった、それに感謝するという返しがあった。これは今まで聞いたことがありません。正美さんの人間として大切にしていること、どんな方面に対しても大切にしていく。一種の礼節が行政に対してもやってしまう。すごい人です。

こういう生きづらさ難民性、そういうことが逆に日常に人間として大切なことです、どんなに小さな場面でも大切にする。そのことが大きなことを切り開いていく。いつでも真っ正直にやっていくことの積み重ね。それは水俣病闘争の中では小さなことですが、日常的な場面で人間として大切なことを大切にしていく、その蓄積が水俣病として正美さんが認定される、こういう大きな事を引き起こします。10年以上かかりました、その過程での問題です。これは、生きづらさの中で、あるいは難民性と言っていいと思いますが、それが拓いていく可能性がどう実現されるのか、そのことを身をもって示していると思います。
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川本輝夫さん(上の写真)は水俣病闘争を担ってきた中心人物ですが水俣病患者だけが救われればいいというのではありません。例えばハンセン病患者の個展に協力します。それから、九州に限ってもヒ素中毒、原爆、カネミ油症など受難の場所が九州にはいくつもあります。だから水俣病患者だけが救われればいいんじゃないといつも言うわけです。それから出会いの問題があります。川本さんが長崎に何度も足を運ぶ、実際に他の受難者のところに行く、その地域の風景に立つと自分が立つ風景が見えてくる。そして他の受難者との出会いが生まれてくる。異なる考え方、異なる問題を抱えている者同士がコミュニケーションできる、これを異交通といいますがそれをまさに拓いていった方です。
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それから、埼玉県障害者市民ネットワークの総合県交渉の要望書、全体の作りが行政への問いという形で、しかも論理的に段階を踏んでいるつくりになっています。要望書が何々を要望するというのではなく問いを発する。相手にメッセージを伝えていく。この要望書は本当に感動しました。(上の写真は2018年の総合県交渉)

実際に具体的に書くと、施設への入所者数、退所者数、退所先、地域の受け皿づくりの現状を聞くという段階を踏んだ問い。これはもちろん津久井やまゆり園事件があります。そこでメディアが問題にしているのは、この事件を起こした職員の措置入院の問題だけでした。措置入院して退院が早かったとか退院した後の報告が県警に届いていなかったとか、そういう問題だけ。でもそうじゃないんじゃないか、150人もの人間が押し込められている、施設への収容そのものが根本的問題なんだとそういうことを言っているメディアはどこにもありません。犠牲者の氏名も出さなかった。そういうことも含めてやまゆり園事件の根本の問題を指摘していると思います。要望書という形で表現されています。

いずれも難民性というところから。難民というのは広い意味で使っています。もちろん「シリアからの難民」と使いますが、今ではずいぶん広い意味で使われています。学校難民年金難民。それだけ生きづらさがあるわけです。難民というのはなぜか、福島からの避難民もそうだと言えます。英語で言うとディスプレイストパーソン、本来の居場所から排除されて移されている。これは例えば地域の問題で言えばバナキュラー原地域にいたいのにそこからずらされて、近代化されたコンクリートの居場所に移されているという意味でも、もう一つの生きづらさ、難民性と言えます。

大事なことは、この難民性から存在の表れとしての文化、アート、そして新しい政治が編み出される。文化、アート、新しい政治、担うのは当事者、受難者です。それが身体で担う。上から目線の中央がやる権力的な統治としての政治とは違う。こういうものはみんな難民性生きづらさがあって初めて存在の現れとして拓かれる文化やアートですね。
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こうした難民性から生まれる可能性としてお話するのは、釜ヶ崎のココルームです。人が共に一緒にという場所が開かれているが、夜回りをする。野宿している人たちにおむすびと飲み物を差し入れする。そこでの出来事がある。そこでずいぶん考えることがありました。ココルームで働いていた、原田麻衣さん(上の写真は原田麻衣さんらとココルームの人たちが世一緒を訪れた時のもの)という人と組みになって野宿している人におむすびを差し上げた時に、原田さんが地面に膝をつくんです。それで夜回りに来ました、おむすびはいかがですかと聞く。なぜ跪くかというと姿勢を低くする。それで初めて地面に段ボールを敷いて横になっている人と同じ目線になる。おむすびをわたしが持って行くわけだからそれを手渡します。野宿する人が受け取るんですが、その時に僕がなぜかありがとうと言ってしまいました。自然に出てしまいました。原田さんの低い姿勢、僕もそれに倣ったんですが、そういうコミュニケーション、そういう身体の。釜ヶ崎はそういうレベルの「共に、一緒に」が小さい場面で積み重なっています。

でもそこは正しくないことだったりします。例えば夜回りである野宿の人のところに行くと寝ています。起こすのも悪いから横におむすびを置いていくんですが、それを他の野宿者が持って行ってしまう。それは盗みだから世間知では正しくないことだと。たしかにそうかもしれない。でも持っていかれた人はこういうことを言いました。「お腹がすいている人がたまたまおむすびがそこにあったから持って行った。それでいいじゃないか」と。夜回りをしている人は「持っていかれてしまうならもっと目立たないところに置くからね」というと、「何でそんなことを言うんだ」と、「お腹がすいていたから持って行ったと、それでいいじゃないか」と盗られた人が言うんです。もう一つの「共に、一緒に」のあり方。要するにそういう一方でははてなマークがつくような共に一緒にがいくつも重なっていきます。

結局その上に作られた、まち再生フォーラム、これは野宿している人たちへの緊急の対応と、もう一つ釜ヶ崎の街それ自体の再生、両方を結び付けようという試みです。起点は有村宣さんという漫画家の人で、市の職員なんですね。その人が第2火曜日に毎月場所を設定して誰でもいい、オープンフォーラム。そこで街づくりの骨格を作って行こうという場所。一番の問題点は労働組合と管理宿舎、会えば大げんかになるんですが、野宿の人たちを救う、それから町全体を再生させようと折り合いがついていきます、そしてケア付きのサポートハウスを作ろうという話が出てきます。こういう場所は皆さんがお持ちのとおりですが、そういう場所で初めて異交通が成り立ちます。

異なる人たちが集まりそこに地域を作っていく、受難者が救われていくという事と地域を作っていくという事が重なる場所がある。その基盤になるものは何か、原地域というか根っこ、バナキュラーなもの、そのことを最もよく表していることを最後に話したいと思います。

(5)新坂光子さん、幸子さんから学ぶー不在の他者による自己と世界の構成


新坂光子さん、幸子さんから学ぶこと。もう亡くなりましたがこの方たちが存在した記憶、それが私たちの今を支えています。不在の他者による自己と世界の構成。世間の目からすると「みづれぇから外に出るな」、その結果閉じこもり。そっちばかりが見えてきます。これは確か、行政が見るのもそういうこと。支援者が見るのも。だけど、そこから先が出てくる。それが出てくるには人と人との出会いが必要になってきます。異交通の場がなければ。
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二人の姉妹がわらじの会という場所で初めて自分を開く、自分の言葉で自分の状態を語ることができます。その時には「みづれぇから外に出るな」と言われたことは当然出てくるんですが、同時に山下浩志さんの言い方だと農家の奥に紡ぐ文化。おばあさんが姉妹に針仕事を教える、それから料理の仕方を教える、庭先の畑の耕し方を教える、昔話をする。そういうことが二人の、奥の部屋で編み出された文化と言えます。文化、あるいはアートでしょう。そういう存在の現れ、その人の生存がかかっているような文化でしょう。そういう文化があったから二人が開いたんでしょう。そういうことは私たちが繰り返し思い起こさないと。この人たちの生を支え人間としての幸福もあったでしょう。
そのこと自体が社会的な問題としては不幸に当たるかもしれませんが、小さな場所で直接的な生存にかかわる公共性はものすごく重要です。それはまさにここで生まれた文化が支えた。小さな場所で小さな公共性、これがあったから生きられた。新坂光子さん、幸子さんの存在を繰り返し思い起こすことはものすごく重要。私たちの活動の原点が見えるかもしれません。この姉妹を現在の私たちと地域を絶えず編み直していく時に根っこになるものと考えました。

そう考えていくと、埼玉県の地域の問題に限らない、東北大震災、福島原発災害、不在の受難者がいる、死者が沢山います。その人たちの思いをわたしたちが形に紡ぎ出していくことが必要です。自己と地域と世界の編み直し、死者がいて私たちがそれを記録し繰り返し思い起こす、その中で編み直す。同じことが第二次世界大戦、日中戦争、そこにも不在の受難者がいました。原発も東京大空襲、アジアや欧米でも不在の受難者が構成するのが憲法第9条と言えます。単なる条文ではありません。

不在の受難者が構成する大事な根幹、そこを不在の友を裏切らない、そういうつもりでやっていきたいと私は思います。この新坂さん姉妹の存在から地域と世界を編み直す、そういうときに私たちはまなざしの転換を経験しています。遠近法という言い方、中央から、上から目線で遠くにある障害者、受難者を見る。権力の手近にある所はクローズアップし、遠くにある障害者はみづれぇからという所だけが見えてきます。

でも逆遠近法、当事者を中心にして世界をとらえ直す。そうすると遠くに見えていた障害者が近くに見えてきて世界をとらえ直す。そうすることで初めて地域が見えてきます。原地域バナキュラーにつながっている。はてなマークをいくつも見ることはすべて逆遠近法で見てきたことになります。こういうことが私が学んできた事の一端です。

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