共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

アクセスカウンタ

zoom RSS 団塊世代ーやりたいこと追いかけ、世一緒に着地した直井さん

<<   作成日時 : 2018/10/10 18:49   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像


洲崎で生まれ育った私

 生まれは江戸深川。運河に囲まれた洲崎に遊郭があった。小学校4年生の時に売春禁止法ができてお巡りさんにそこが取り囲まれてなくなった。それまでやさしいおねえさんたちにみかんをもらって遊んでもらった子供時代だった。
 団塊の世代で、生まれてから死ぬまで競争の中。母親が中学の時から私立に行けば競争はないよというので私立大学の付属へ。父親は非常にいい人で子どもを怒ったことがない。子どもたちは徒党を組んでいて、火事などあると全員そろって火事場泥棒をしちゃったりする。「利雪、としおちゃんが警察に連れてかれたけど、あんたは大丈夫だろうね」と母。実は大丈夫じゃない。それでも父は怒らない。なんかあると「利雪、出よう」と言って、喫茶店でコーヒーフロートを食べながら、「母さん困ってるよ」と一言。そんな人だった。
 山下さん達が学生運動やってくれて大学の授業もつぶれたので、卒論もなく4年で卒業した。毎日麻雀をやっていたから警官に追われることもない。学生時代から表参道のマーケティングリサーチの会社でバイトして、卒業後も「お前うちに来い」と言われ、わかりましたと就職したが、どこか違和感があった。当時から自信家だったので、ある日とつぜん辞表を出して辞めた。上司に「何をやるんだ」と訊かれ、「新聞記者」と言ったら大笑いされた。NHKの「事件記者」という番組が大好きで、どこかで新聞記者になれないかとずっと思っていた。職安でも係の人にいつも笑われていた。
画像

事件記者になりたかった

 ある日、サンケイ新聞の臨時採用の募集広告をみつけた。1000人近い人が応募し、試験でどんどん減ってゆくので不安だったが採用された。新聞記者になったら、自分が希望しているところへ行けてよかったねと母がすごく喜んだ。しかし現実は、表向きはサンケイ新聞だが、日刊工業新聞に回された。しかも、立川支局とか城南支局とかを回る仕事で面白くもなんともない。たとえば記者発表で「画期的な歯車が開発された」と言われるのだが、まったくわからない。もらったリーフレットを書き写して記事を作る。しかも、記者には販売部が必ずくっついて企業に行き、販売部数を増やしてくれといった折衝をして回る。1、2年やっていて本社に行ったら、販売部の部長から「お前元気がいいから販売部へ来い」と言われた。いやだと言っても通らないのが企業。つくづく考えて、辞表を出して辞めた。
 辞めた後アドリサーチという会社に4、5年勤めたが、ある日取り立ての連中とヤクザが押しかけてきて、つぶれたのがわかった。経営陣は外から電話してきて、鍵を閉め忘れたから閉めろとか指図する。会社とはそういうもので、自分の意志では動かない。それでもつぶれた会社に残り、会社の更生をどうしようかと話し合う中で、自分は「居残って頑張る」派だった。ある日、某有名美容師がマネージャーをやらないかと連絡してきた。どうせ行く気はなかったので、ボーナスはいらないから月50万円でと吹っ掛けた。翌日電話があり、希望を全部容れるから来いと言う。美容師兼タレントと13の店舗の世話。店を任された美容師が辞めるとお客も連れてゆき経営難になる。その対応も含めて2年やった。
画像

やりたいことをやれるようにと起業

その後、他人に使われているのでは自分がやりたいことができないから、自分で会社を立ち上げようと考えた。最初は3人でデザイン会社を作った。桂由美さんのブライダルのPRを頼まれた。その後JIPという会社名でいろんな営業をやった。
 また、旅行作家なら資格がなくとも有名になれると考え、ブルーガイドブックの老舗である実業之日本社に毎日顔を出し、1年間「何か仕事ありませんか」と声をかけ続けた。「上州、越後、佐渡」というガイドブックを初めて世に出した。自分の住んでいる地域の本屋を回って、こっそり平積みにしてしまったり、自分で本を買って「たいへんよくできた本です」と感想を出すので、社の担当者にそこまでやらなくともと言われた。
徳間書店から何かいい本を書けないかと言われ、車が好きなので「抜け道ガイドブック」を作ったところ大当たりした。その後、山と渓谷社とか主婦と生活社からも話が来た。他人の家の庭を突っ切るとか、駅の駐車場に入って料金を払わずに出られるコースとか、苦情が来ない限りで紹介した。
 その後、桂由美の時にやった企業イメージアップの仕事を、他でもやろうと考えた。サンクスの本社へ行き、加盟店向けの情報誌「コミュニケーション」の発行を手掛けた。店の活性化を図るためのナンバーワン・コンクールをやった。たとえば中華まんの売上げナンバーワン店舗など。いまはサンクスもファミリーマートに吸収されてしまった。吸収合併などされると、新しい会社に行っても関係は復活できない。世の中厳しい。
その後カーコンビニクラブに乗り込み、その広報誌も担当した。しかし、ここも金融大手に吸収されてしまった。
(株)JIPのほかに、「ルームティー」という有限会社を作った。消費者が自由に討論しているのを、業界の人達がマジックミラーで見られるというやりかた。(株)JIPと泣求[ムティーの二本立てで、10年くらいやった。
画像

病気の後、働きながら考えること

そんなさなか、心筋梗塞のおそれがあるというので心電図を撮っている時に、医師の指示でベッドごと救急車で運ばれ緊急入院になった。本人は無症状だったが、退院間近の時、心筋梗塞の発作を起こし、半年間入院した。そうなると二つの会社はどちらも回らなくなり、退院したら無職になった。しばらく草加のハローワーク通いが続き、なんでもいいからという気になった。そのうち「半年の仕事だがやらないか」と紹介されたのが、くらしセンターべしみ。その後、世一緒に来た。
いま世一緒には週2回サポーターとして来ているが、それ以外の日は集配の仕事をしている。今日のタイトルで「非正規労働の現場」と書かれているが、たしかにひどい労働現場。自分たちはある配送会社とアルバイトとして契約している。そこから集配に行くのが仕事。雨でも雪でも正月でも盆でも働く。集配して帰ってきても、本社の車が場所を開けてくれない。彼らからするとこちらは業者。集めてきたのを下ろすことができない。現場でのトラブルは多い。時間内に帰って来ないと、岩槻行きのトラックが出てしまうので、帰りは遅れられない。店で荷物が予定より少なくて探していると、時間がなくなる。それでも時間通り動かないとうるさい。
よくポストの前で「俺もできるかな」と訊かれるが、「できない」と言っちゃう。みんな端末の操作が出来なくて辞める。あとは体質がよくないからやめる。
みなさん、どこでも仕事場があればいいと思うかもしれないが、自分の希望も含めて、よく考えないといけない。人間にとって大切なのは自分らしさだと思う。若いときは書く人になりたかったが、いまは書くよりひっくり返って寝たい。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
団塊世代ーやりたいこと追いかけ、世一緒に着地した直井さん 共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる