共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS ひとびとの精神史の水系から-栗原彬さんをお招きして 2 手紙

<<   作成日時 : 2018/09/09 23:25   >>

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 私が事前に配布したチラシには、こんなことを書いた。
「郊外の分解者たち―わらじの会と埼玉障害者市民ネットワーク」という文章(著者・猪瀬浩平さん)がおさめられた「ひとびとの精神史 第9巻―震災前後2000年以降」(岩波書店、2016年)の編者が栗原彬さん。この本には、ほかに原発被災者,反貧困、沖縄・反戦、若者たちの民主主義、農ある街づくりなど、時代を拓く多くの試みが横並びに語られています。冒頭の文章は、性的マイノリティ、水俣、日常編集と束に。栗原さんは「プロローグ」として、これらの「細流」が伏流水となり、連係し合う瀬をつくって、やがて人類史の海に流れ入るイメージを描いています。

 私たちの運動は、「遅れた埼玉」を逆手に取り、「自立生活」、「分けない(共生)」、「反差別」の諸活動が同じ土俵でせめぎあいつつ、自治体をよきケンカ友達としてやってきました。しかし、近年の市場化の大波により、土俵が拡散し、自治体の独自性もゆらぐ中、あらためて私たちの現在地点を計測し、進路を見定めることが問われています。

 ここ数年、総合県交渉の前のちんどんパレードに参加していただいている栗原さんをガイドに、ひとびとの水系を共にたどり、共に考えましょう。
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 そして、私が事前に栗原さんに送った手紙が以下。

 このたびは、寒さ厳しい時期にもかかわらず、お話しにおいでいただけること、感謝に耐えません。せっかくの機会なので、これからの歩みにとって、大事なきっかけを見いだすための時にしたいと思っています。
 なぜ栗原さんにお願いするのかということと、栗原さんに何について話ししていただきたいかということをずっと考えていました。

まず、なぜ栗原さんなのかということについてですが、私たち自身が、これまでつきあいはあっても一緒に取り組みをするまでには至らなかった市民団体(生活困窮者、高齢者、主婦他)や生協などと、日常的に一緒にやれることを探ろうとしている状況と重なっていることがあります。

 猪瀬浩平くん、見沼福祉農園の縁で、二度、日本ボランティア学会に参加させていただきましたが、そこに集まっていた方々が関わっている活動は、これまでわらじの会や埼玉障害者市民ネットワークでつきあってきた活動の領域をはるかにこえて拡がっていました。そして、それらを含む全国各地のさまざまな地域活動の歴史にもまれながら、その歴史の語り部の一人として栗原さんは生きてこられたのだろうと感じました。
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 かって2012年のボランティア学会北浦和大会を終えたときの感想を記した私のブログの文章を添付いたします。この後半にある「猪瀬良太くんらの『どの子も地域の公立高校へ』の活動に巻き込まれながら、『分けずに一緒に』にこだわってきた。」という部分と、栗原さんのお話とを、さらに交叉しあえたらいいなと思っています。

 ここでいう「分ける」とは、主として「障害の有無」により生活の場を別々にすることを指していますが、1960年ごろまで欧米では大規模な隔離収容が一般化していたのに対し、日本では施設・病院への収容は一部にとどまり、就学免除・猶予や自宅監置が広く行われていました。それは日本の工業化、都市化が、農業や零細町工場等を産業予備軍基地、景気調節弁等として保存しつつ展開されてきたことと関係があると思います。

1960〜70年代に欧米で「ノーマライゼーション」、「メインストリーミング」、「自立生活」の波により隔離収容政からの転換が進められたのに対し、日本では逆に養護学校義務化、大規模施設づくり、精神病院増新設が一挙に進められました。農村に足を置いた労働力を基盤とした日本の資本主義がこれまでの足を切り、太平洋ベルト地帯への人口大移動が進められたことが背景にあります。家族や地域を解体し、核家族化の中で主婦たちもパート労働力として動員してゆく時、子育てや介護等の世話を専門的に行う別の場所が緊急に問われたのでした。この過程では、医学、心理、教育、福祉等の専門家たちが動員され、これまでのように家族でなんとかしようとせず専門的機関に委ねることにより、障害のある本人も家族も「個としての自立」が得られるのだというキャンペーンが繰り広げられました。この流れに抗して、「分けずに一緒に」へのこだわりもまた強められていったのです。

栗原さんが「ひとびとの精神史」第9巻のプロローグに書かれている「五つの転回」に即して、「分けずに一緒に」を考えてみます。
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まず「いのちをつなぐ場所」とは何よりもまず「近所の学校の通常学級」です。そこでの6年間を経て「地域の公立高校」です。ここには入試選抜制度があり、選抜をする教員らの「適格者主義」に阻まれています。しかし、6年間の間にクラスメートたちはほとんどしゃべれない本人の「ことば」を読み取り、〇点でも高校へ一緒に行くのはとうぜんだという気持ちになっているという事例が多くあります。そういう関係に後押しされて、高校生になってゆく道も切り拓かれてきました。その延長で、大学をめざす場合もあります。

私が事務局長を務める「NPO法人障害者の職場参加をすすめる会」の「職場参加」とは、学校を卒えた後の「いのちをつなぐ場所」として、「地域の職場」をという取り組みです。その活動より前、1970、80年代から「いのちをつなぐ場所」として、自前の住まい、ケア、店、作業所などをつくり周りの人たちの手を借りながら生きるという取り組みが続けられてきたのですが、それらがいわば同心円的な関係に限られているのに対し、それだけでなく学校の場合と同じように差別も区別もある地域の中でもと、「職場参加」に取り組んできました。

次に「まなざしの転換」としては、「分けずに一緒に」は地域の学校、職場にいることを通して、ご近所、家庭でもタブーや特別な配慮なしにぶつかりあいながら一緒にいる、そのことにより、国が進めるバラバラに分けて個別に支援することが個としての能力を活かし尊厳を支えるのだという幻想とせめぎあっています。

「ひとびとの公共性」ということでは、学校が地域の日常の生活空間であること、たとえば授業中に教室を飛び出してゆく子がいて、いつまでも帰って来ないので生徒たちも含めて校内を探し回る、ある時は校長室で不在の校長の椅子に座っていることもあり、別の時には外に出て田んぼにいることもある、その子が田んぼの畔で立ちションをしているのを見た男子生徒たちがうらやましくなり一緒に立ちションをして廊下でみんな一緒に立たされる、ということも起きます。
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NPO法人障害者の職場参加をすすめる会では、県立公園の広い花壇整備業務を年間を通して受託し、会に関わる就労準備中やひきこもりの障害者等の仕事にしていますが、時々近隣の障害者施設や精神科病院内デイケアに共同作業参加を呼びかけ、総勢50人近くで花苗を植えたりします。障害者施設は障害の種別・程度により分けられており、生活介護という施設では車で家と施設の間を送迎し、簡単な内職作業をしたり散歩したりの日課で、このように外で作業する経験はほとんどありません。そのため、花壇から少し離れて立って歩いているだけの人も出てきます。いっぽう院内デイケアから来た人や会に関わる就労準備中の人の中には作業に集中し過ぎて後から体調を崩してしまう人もいます。集中し過ぎの人にとっては、作業をせずにふらふらしているように見える人がいることで、肩の力が抜けてマイペースで働けたということがあります。ふらふらしている人は、それが自分なりの参加の仕方で、全体として作業が終わると反省会の場で「がんばりました」と肯定的に自己評価しています。そして、さまざまな施設から一人ずつ出て管理事務所に行く中に、こうしたさまざまな人々が入ってそれぞれの仕方で「業務報告」するわけです。

「難民の生存と尊厳を求める身振りが多様な形で紡ぎ出す『もう一つの連帯』」ということについては、1970年、28歳で近所の小学校に入学した八木下浩一との出会いが、わらじの会がその前身のひとつである「総合養護学校をつくる会」という活動から変態を遂げてゆく契機でした。八木下は東大自主講座に招かれて、学生や研究者にさまざまな影響を与え、川口市に「障害者」の生きる場をつくる会の闘いや全国障害者解放運動連絡会議・代表幹事として養護学校義務化阻止闘争を進めました。就学猶予を強いられたまま大人になった八木下が小学校に入ろうと思ったのは、自分が女性にもてない原因が学校に行ってないからだと悟ったので、という語りはとてもユニークでした。
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八木下が「生きる場」の闘いと並行させて、養護学校や家の奥にいる子どもや大人、障害のある人たちと出会ったことのない子どもや大人もみなひっくるめて、「一緒に街へ出よう」と公共交通機関を用いてあちこちに遊びに出かける月例行事を主とする「川口とうなす会」を立ち上げて2年後、その姉妹団体としてわらじの会が発足したのです。わらじの会発足から10数年後、猪瀬良太ほかの知的障害のある生徒が公立高校の門をたたき、排除にあった時、わらじの会などの大人の障害者(就学免除や養護学校卒業生)が一斉に高校受験をした(就学免除者は受験自体拒否されましたが)ことも、かって八木下が切りひらいた地平を踏まえての行動といえます。

「不在の他者による自己の構成」に関しては、前にボランティア学会誌に「しがらみを編み直す―大袋小学校とわらじの会」という文章を書きました。その一節を引用します。

「一人ひとりを見れば、『こんなエピソードがあったよ』というだけのことだったかもしれない。しかし、それがこんなふうに積み重なってゆくと、『地域』のかたちが見えてくる。

 この同じ街で、同じ小学校に通い、長いか短いかはともかく同じ時を生きてきた間柄だからこそ、一つひとつの『エピソード』が、深い根っこを地中に張っていくのである。学校から切り捨てられ、家の奥に囲い込まれていたかに見えた障害者たちが、街に出て行ったとき、街が彼らとつきあわざるをえなくなったとき、その『根っこ』が存在を主張し始めたのだ。」

 大袋小学校は明治の学制施行当時からの歴史を持ち、わらじの会に関わる市職員組合員も、その組合を弾圧して役員を解雇した市長も、同窓生です。わらじの会の障害者たちの何人かは、半年から数年で就学免除にあったのですが、子ども時代ここで互いに顔を合わせていたり、すれちがっていたり、親世代や知人世代のいろいろな関わり合いをも含めて、同じ生活世界を共有した関係だといえます。

きみ子さんという重度障害者の父親は、恩間新田に現存する薬師堂の前に子どもたちが並び、前を通って第六天へのお参りに向かう人々に喜捨を呼びかけ、その収穫で食事を作り薬師堂で一晩を過ごした体験を語りました。また、成人後、無尽のお金で大山参りの仲間に選ばれ、帰りがけ江ノ島で遊んできたことも。これらの子ども同士、若者同士の関係も、学校を介した関係の網の目と重なり合っています。こうした関係の網の目が多重にあったからこそ、どこの馬の骨かわからない私たちをひきずりこみ、自分たちの土地を活かして、生活ホームオエヴィスやくらしセンターべしみを作らせたのだと思います。

私が書くと、どうしても手前味噌になってしまうのですが、それ以外できないのでごかんべん願うしかありません。
ただ、栗原さんの文章に刺激されて書いたものですが、私の読み違えということもあると思います。そこのところはご指摘ください。

また、私の書いたことを起点として、栗原さんが向かい合ってこられたたくさんの地域でのひとびとの営みにつながることがあれば、ぜひご教示いただきたいと思います。

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職場参加をすすめる会の前代表理事・故鈴木操さんとは、飲みながら天皇制論争をして意見が異なったのですが、こういうことをオープンに語り合える関係っていいよねと言い合ったのが、会を一緒にやるスタートでした。鈴木さんは商工会、法人会、ロータリークラブの役員で、もちろん自民党員です。当時の会の監事は、元市職員組合委員長の市会議員でしたから、その2人と私が一緒に市役所に話しに行ったりすると、市長はじめ幹部はこちらの意図を判断しかねて動揺しており、鈴木さんはその様子を面白がっていました。

安保法制・辺野古・高江、原発再稼働についても、そんな風に考えは異なっても一緒に動きながら語り合い、考え合ってゆく関係を拡げたいと思うのです。

 栗原さんの文章から「乞食行進」のことを知り、埼玉障害者市民ネットワークの「ちんどんパレード」の先駆けとなった1990年4月の「春よ来いパレード」は、浩平くんが書いている1988年の県庁泊まり込み、そして1990年3月の県教育局廊下リレー泊まり込みを経てもなお県立高校の門が開かないのに何も手が打てない状況に対し、社団法人(現在の埼玉障害者自立生活協会)づくりを呼びかける集会とこの記念パレードをもって小さな反攻を試みたのだなあと想い起しました。県庁泊まり込みが縁で、そこに支援に来てくれた教員等が関わっていた反天皇制連絡会議の1989年3月大喪の礼への「ええじゃないか」デモに、画伯や野島さんらと一緒に参加した経験も生きていました。

最後に、冒頭に述べた「つきあいはあっても一緒に取り組みをするまでには至らなかった」団体等と一緒にやれることを、ということについて。私たちがかって何もない中で切り拓いてきた関係が、ここ10数年で制度化され、拡充した半面で、それ自体が人々を分ける役割を担いつつあるという事情もあります。だからこそ、言わず語らずでは通じない関係の中に拡がってゆく必要を痛感しています。その予行演習として、栗原さんのお話を聞き、考えてゆきたいのです。


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