「オーダーメイドの専門性」 そして「共に生きる関係」 またそれをこえてシャバに

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埼玉障害者市民ネットワーク主催・夜の勉強会「『アルジャーノンに花束を』と同時代に見る施設とノーマラーゼーション」。講師・松永千恵子さん(国際医療福祉大学准教授)。松永さんは埼玉県障害者施策推進協議会委員で、同協議会のワーキングチームで顔見知りの人も何人か。
 冒頭2003年に月刊「ノーマライゼーション」に自らが執筆した書評を読み上げる。初めの一行。「人間の知能指数(IQ)が低いことは悪いことであろうか、もしそれが悪だとしたら、知能指数(IQ)が高いことは良いことで、それは人としての幸せにつながるのだろうか?」

 この問いへの答えは文末に近い所で示されている。「知能だけでは何の意味も持たない、人間的な愛情の値打ちのない知能や教育なんて何の値打ちもないと作者ダニエル・キイスは伝えている。彼は知識を得る教育とともに、人格を育成する道徳教育の必要性を訴えているのだ。さらに、他者の存在、それはつまり社会的弱者の存在を認め、種々の人間が共存する社会であることが本来の社会の姿だとも暗に主張している。この考えは、1950年代当時、アメリカで始まった自立生活支援運動やノーマライゼーションの理念に影響されているだろう。」

 ちなみに、この書評を彼女に依頼したのは、編集委員の一人で文学者、特養に暮して精力的に活動している脳性麻痺者・花田春兆氏とのこと。
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 講演後の討論では、今日の日本の社会状況の下で、本人とのつきあいを踏まえたオーダーメイドの専門性が必要と説く松永さんに対して、会場から「アルジャーノン…」の論旨にあるように、専門家ではなくさまざまな他者の中で生きることが大切なのではとの問いが続いた。

 松永さんの言う「オーダーメイドの専門性」をパーソナルアシスタンスや社会的事業所等までつきつめれば、それらは今日の「サービスに囲まれた生活」「地域の施設化」を解体再編してゆく方向性と納得することもできる。ただ、また同時に、そうした「共に生きる関係」すらも関わりない、けんかしたりだまされたりを含むシャバでごちゃごちゃ生きる関係がますます問われてくる。よくも悪くも個別支援のない通常学級や職場、地域で、いじめられたり、かんちがいされたり、一緒に悪いことをやったりしながら生きるとは、そういうことではないか。そんなことを考えた。終了後の懇親会は、そんな日常の一部だったかも。
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 懇親会では、通常学級で学び育った車イスのMさんの夫・Yさんと初めて出会った。控えめで誠実な印象のYさんは、Mさんの書展の画像を楽しそうに見せてくれた。その書展に何度か見に行ったことから、Mさんとの縁が深まったらしい。状況は異なるにせよ、かってオランダから来たピープルファーストの男性が、自分は施設からグループホームへ、そしてアパートへと地域生活を実現してきたが、どこまで行っても管理されているという思いが消えなかった、その後結婚して、初めて地域で生きている実感を得た、と語ったことを思い浮かべた。
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