生きづらい社会生きる体験や工夫 分かち合う ーTOKO野外おしゃべり会 から
共に学び育つためのTOKO野外おしゃべり会@そうか公園。
毎月のミニおしゃべり会とか教育委員会の話し合いなどは、どうしてもお母ちゃんたちが主となるが、子供本人、そのきょうだい、お父ちゃん達とも出会える機会をというのが第一の目的。
第二の目的は、「障害児の教育問題」と思われていることは、実は全国学力テストに示されるように学力競争がメインテーマになり、ついてゆけない子を「できる子の足を引っ張る子」として「その子に合った教育」という美名で排除してゆくいまの教育全体の問題。
だから、障害がないとされる子ども(きょうだいも)や親ともっと出会おうということ。
そして第三の目的は、「障害があると不幸だ」、「社.会で生きづらい」..とみなが漠然と思っていて、「不幸」かどうかはともかく「生きづらい」というのは本人たちも訴えているのだが、その「生きづらさ」から出発して本人たちが苦悩のがけっぷちで捻り出してきた独自の表現やノウハウを、みんなで実感し分かち合いたいこと。
だから大人の障害者たちやそこに関わる人々の参加もすすめた。
毎月のミニおしゃべり会とか教育委員会の話し合いなどは、どうしてもお母ちゃんたちが主となるが、子供本人、そのきょうだい、お父ちゃん達とも出会える機会をというのが第一の目的。
第二の目的は、「障害児の教育問題」と思われていることは、実は全国学力テストに示されるように学力競争がメインテーマになり、ついてゆけない子を「できる子の足を引っ張る子」として「その子に合った教育」という美名で排除してゆくいまの教育全体の問題。
だから、障害がないとされる子ども(きょうだいも)や親ともっと出会おうということ。
そして第三の目的は、「障害があると不幸だ」、「社.会で生きづらい」..とみなが漠然と思っていて、「不幸」かどうかはともかく「生きづらい」というのは本人たちも訴えているのだが、その「生きづらさ」から出発して本人たちが苦悩のがけっぷちで捻り出してきた独自の表現やノウハウを、みんなで実感し分かち合いたいこと。
だから大人の障害者たちやそこに関わる人々の参加もすすめた。
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