共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 知らない街への旅路で見直す人と人の暮らし合い―内山豊美さん

<<   作成日時 : 2017/11/02 17:07   >>

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 今年4月から毎週開催しているこのすいごごカフェ・ゲストトークを、筆者が事務局長を務めるNPO法人障害者の職場参加をすすめる会では、定款上の3番めの事業である「障害者の就労・生活支援のための資料収集と情報提供に関する事業」として位置付けている。

「障害者の就労・生活支援のための資料収集と情報提供」というと、障害者や事業所に専門家がアンケート調査をしてその結果を分析し、報告書を発表するような形もある。が、当法人の流儀では定款上のすべての事業を、さまざまな障害者本人がそこに参加して試行錯誤しながら一緒に実施してゆく。

 職場参加は単に目的であるだけでなく、その過程、手段も含んでいる。だから就労支援におけるピアサポートと言い換えることもできる。

 職場参加とは、就労した障害者が他者の手を借りられず自滅したり、支援施設を利用した結果囲い込まれてしまう状況を変え、共に働く職場、就労・自立生活に向けてひらかれた支援施設を創りだしてゆく営みだ。「働くこと」を切り口としながら、そこにとどまらず地域のあちこちで、障害のある人もない人もぶつかりあったり、支え合ったりしながら暮らし合うことにつながってゆく。

 そういうわけで、 このすいごごカフェ・ゲストトークを、定款上にある「障害者の就労・生活支援のための資料収集と情報提供」として、世一緒に関る障害者スタッフやサポーター、そして関心ある他の人々をまじえ、互いの暮らしと思いを共有し、職場参加の街づくりに取り組む上でのステップと考えて続けている。

 さて、11月1日(水)のすいごごカフェ@世一緒は、 内山豊美さん(生活クラブ生協越谷地域協議会・三八支部)による 「いかにして生活クラブへ」。

 味のあるイラストをまじえた「うんとこしょ―共に活きる街の介護人養成講座」のチラシ作者が、四国で生まれ育ち、いかにして生活クラブ越谷にたどりついたか。

 以下の文は筆者の秘書的介助者としてこの夏から働いてもらっているなっちゃん。写真は世一緒サポーターの直井さんによる。



●内山豊美さん「いかにして生活クラブへ」


〜生い立ち、今までについて〜

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知らない人の中で生きたくて東京へ

四国愛媛県宇和島育ち(高校まで)
勉強が嫌いで、絵を描くことと身体を動かすことが好きだったことから
「体育大学か美大に行こう」と考え、東京に憧れがあった為、高3の9月に都内の美術大学に志望を固めたが、落ちてしまった。

親には東京に行くことを反対されていたが、「大阪ならいい」といわれ、大阪の専門に2年間通った。
それでも、テレビの影響もあって東京へのあこがれが捨てきれなかった。
専門学校卒業後、周囲がデザイン事務所等に就職する中、なんとかして東京にいきたいと思っていた。

知り合いに東京に行きたがっている人が居り、都内に出てきた。
デザイン関係の仕事に就くでもなく、どうしたら憧れに近づけるかと考えた末、ひょんなことから「舞台だ!」とひらめいて文学座を受けたが落ちてしまう。
小日向文世が所属していた劇団の舞台を見に行った際に、まだ無名だった小日向さんのただ立っているだけの演技を見て感銘を受け、受けたがそれも落ちてしまう。
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その後は他の劇団に所属をし、劇団通いをしながらアルバイトで生活をした。そこで様々な経験をした。

ある日そんな生活に疲れて、普通の生活がしたくなった。

東大の生協でアルバイトをしていた際に出会った人(今の旦那さん)と知り合って何年かで結婚。
それをきっかけにしっかり働こうと思い、二年くらい文具関係の会社に就職した。

子どもが生まれたら自分で育てたいという気持ちがあり、仕事を辞めて子育てをした。
足立区に住んでいたが子どもが大きくなり、住んでいた場所が手狭になったため、ちょうどマンションの入居募集をしていた三郷に移住を決め、この近辺に住むこととなる。
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〜なぜ生活クラブか〜

それは子育てから始まった

子どもがまだちいさかった頃、住んでいたマンションの友人が生活クラブに入っていて「班つくらない?」といわれ、コミュニティが広がればいいなと思い、参加をしたことがきっかけ。
当時の生活クラブの形態は班単位で構成されており、肉等、班で部位(胸肉、もも肉等)のバランスを考えながら注文をしなければならなかった。その制度があって、周囲からオススメを受けたりする中で、様々な種類の食材に触れ、おいしさに感動した。

生活クラブには委員会があり、地区・支部・ブロックと別れている。
小さい子どもがいたことで、しばらくは委員会には関わりなく過ごしていた。

そうこうしているうちに子どもが自主運営の幼稚園に入った。
下の子がいれば役員をしなくてよかったが、末っ子の時に園の役員を3年間やることになった。
自主運営ということで、子どもを他所に預けて夜遅くまで細かいことまで決めていた。
今思えばそこでの経験があってこそ今のつながりがあると思う。
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その末っの子が小学生になるころに、幼児クラブの代替の先生の募集をしていることを知り、保育のお手伝いに7年携わった。
そうすると生活クラブの方はイベント参加や役員もなおさらむずかしくなり、関われない7年間となった。

幼児クラブのお手伝いを辞めた時に、生活クラブの配送ワーカーズ(それぞれが出資をして皆で経営していくスタイル)を募集していたのでやることになった。

ここから組合活動も並行して始まった。
生活クラブの配送は毎日ではないので、空いているときに支部委員と地区委員を両方やるようになった。

そこから怒涛に、支部代表を2年、成果物委員を2年。
その後埼玉単協の理事をやりませんか?と声がかかって引き受けることになった。
理事の責任の重さに押しつぶされそうにもなったが、理事になったことでいろいろな経験をさせてもらった。
震災があったころだったので、被災地に実際に行かせてもらったり
韓国での生態系についての会議に参加させてもらったりと貴重な経験ができた。

その多くの貴重な経験の中で、自分からアウトプットできないもどかしさを感じていた。

その後は理事を2期つとめた。その後ブロック役員を経て、その頃にこの場の方々と出会うことに繋がった。

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〜始めたきっかけ〜

添加物を食べさせたくない

なぜ始めたのか考えると、子どもにご飯を与えるときに本能的に、「添加物等をこの子に与えたくない」と思うところから段々と「いけないものを排除していかなければならない」と感じた。
添加物を全面的に否定するわけではない。安く美味しいという意見も踏まえ、できるなら取らないほうがいいと思っている。
今の世の中はどうしても効率優先で、添加物を使うと安くおいしくできるのもたしかだが、やっぱりもっと大事にしていかなければいけない事があるという思いが強い。

最近、日曜の朝、TBSの関口宏の番組で「日本のものづくり」についての番組をやっていた。
日本人が職人的に大切にしてきたものが失われつつある、といった内容を観て、大事にしなきゃいけない、なおざりにしていると後でつけが回ってくると改めて学んだ。
食べるものも、環境もよく考えなければと生活クラブで学んだ。生活クラブでは包材一つにしても環境を考えた結果「効率が悪い」。
だが、すべて効率ではなくてちょっと不便でもちょっと見た目が悪くても安心して食べられる、安心して取り入れられるもののほうがいいと思っている。
生活クラブは宗教のようだとよく言われるが、人間本来が持つ大切にしなきゃいけないものだということを(伝えていくのは難しいが)伝えていくことが私たちの今後の役割だと思っている。


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●橋本克己さんのミニ手話講座
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「橋本家の二階でテレビの手話の歌を観て、楽しかったです」


●内山さんのたますだれ
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●質疑応答


ふるさと 宇和島


 日吉:東京に出てきてから波乱万丈でしたね
 内山:大変ではあったが、やりたいようにやっていたので…やらなかったらいまだに
ふつふつとしていたと思う。

 佐藤:松田優作には会えたのですか?
 内山:舞台あいさつで見られたくらい。亡くなったときはショックだった。
今は息子さんが頑張っていますね

 山崎:玉すだれの糸は何を使うの?
 内山:本当は蝋引きの糸だけれど、今はタコ糸で代用している。糸が弱いと感じる

 日吉:場がほぐれる一芸はいいですね
 内山:持ち運びもできてとてもいいですよ!

 日吉:宇和島っていうと牛が…
 内山:闘牛やお城や真珠が有名です。面白い地ですし、機会があったらネットで見てみて
ください。後ろが山で目の前は海という地形です。最近、地元に戻りたいなあと
思います。愛媛に行ったことはありますか?

 山崎:昔行きました。
 内山:愛媛は道後温泉なんかが有名ですよね

 直井:宇和島は二回いっています。一回目は冬で珍しく雪が降った。
 内山:雪と言えば夫が雪男で四月生まれなのに生まれた日に雪が降っていたらしい。
結納の日も1月なのに雪が降ってた。珍しいことなんですよ。
 
 日吉:土地が変わると海の色が南国っぽいですよね。
 内山:色がやっぱり違っていますよね!


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 黒田:宇和島は鯛めし協同組合があるらしいですが、どのくらい有名なのですか?
 内山:鯛めしが二種類あるってことは知ってますが組合は知らないです。
鯛めしは有名ですよね。

 佐藤:四国一周したことがあります。道後温泉も泊まりました。道中が長い記憶がある…
 
あのころの自分といまの自分

 黒田:こっちに来る前と来た後の心境の変化はどうですか

 内山:田舎だったら道を行きかったら知り合いに会っていたが、東京に出てきて
知らない人の中の集団の一人としての自分を客観的におもえるというか
あこがれてたものだった。が、今はただ人込みには酔ってしまうし、
もういいかなってかんじで、道すがら会うとむしろ嬉しかったりします。最初に住んだ
のは世田谷。世田谷線沿線で住んでいた。三軒茶屋に行く用があって30年ぶりに
行ってみたら、住んでいたアパートを探せなかった。交差点もぜんぶかわっていた。
当時はマンションもなかったし…寂しかった。

 日吉:添加物に関して、子どもが小さい頃は気にしていた。生産者を見られれば値段に納得できるけれど、やっぱり自分一人だとどうしても安いものに手が伸びちゃう
 内山:やっぱり実際に生産者の話を聞けるといいですよね。この間ひじきの生産者の話を聞いたら、昆布でもなんでも白いうまみ成分を見てカビだって苦情がきたりもするみたい。今は本当に簡単にだしがとれちゃったりするからね。


 秋元:その玉すだれは用途としては、芸だけなのですか?吊り下げるものとは別ですか?
 内山:そうです。いまTVでやってる「わろてんか」で街の風景として出ていた。仕組みさえ覚えれば何でも作れちゃう。


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