共に学び・働く―「障害」というしがらみを編み直す

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zoom RSS 現代労働組合研究から障害者等も共働・協同する街を探る飯島さん

<<   作成日時 : 2017/10/19 17:48   >>

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1.越谷のまちづくりと人をつなぐ

 職場参加ビューロー世一緒(よいしょ)でこの4月以来、毎週水曜日の午後に行われている「すいごごカフェ」、10月3日(水)のゲストトークは、飯島信吾さん。世一緒のHPをはじめ、仕事おこし懇談会inこしがや、越谷水辺の市などのHPも飯島さんが立ち上げ、常時更新していただいているインターネット事業団代表。

 越谷水辺の市については、毎月必ずといっていいほど現場に赴き取材してアップしているので、顔見知りになった人も多いはずだ。http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/171010mizubenoiti.html

 その飯島さんとの出会いは、仕事おこし懇談会inこしがや立ち上げのとき。
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 2012年の秋、全国協同集会が埼玉を会場に開かれ、協同労働の協同組合法を実現しようというワーカーズコープ、ワーカーズコレクティブをはじめ、ずっと前から細いけれども長くつきあってきた共同連も社会的事業所を法制化したいという考えからこれに合流するということでNPO法人障害者の職場参加をすすめる会にも声がかかり、全国集会の分科会で筆者がパネリストの一人として参加したことがきっかけ。

 全国集会に向け、越谷でも協同まつりinこしがやをやろうと、ワーカーズコープ、ワーカーズコレクティブ、その他のNPOから呼びかけられ、キッチンとまとがある蒲生・日の出商店街で開催した。
http://yellow-room.at.webry.info/201210/article_6.html
飯島さんとの出会いはその時。下の写真は協同まつりinこしがや実行委員会の懇親会で、右から二人目が飯島さん。このときはまだよく知らなかった。
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その後も、継続して連携していこうと、不定期だが仕事おこし懇談会inこしがやを開いており、飯島さんはほぼ出席している。
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 そして、飯島さんとの関係が密になったのは、NPO法人職場参加をすすめる会として、独立行政法人福祉医療機構から社会福祉振興助成金を得て、「障害者と地域住民による身近な仕事おこし事業」を実施するにあたり、そのホームページ(上の写真)をお願いしたことから。
http://syokubasanka.com/
 「インターネット事業団」という肩書から依頼したのだが、実はその中身はよく知らなかった。このホームページは仕事としてお願いしたのだが、その後飯島さんは、仕事おこし懇談会inこしがやとか、同懇談会が関わり他団体やさまざまな市民と一緒に開催するようになった越谷水辺の市などのホームページを、つぎつぎとボランティアで立ち上げてくれることになった。
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 上は仕事おこし懇談会inこしがやのホームページ。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/shigotookoshi/index.html

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 こちらは越谷水辺の市のホームページ。毎月第2火曜日の開催日に現地取材してホームページを更新している。
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/mizubenoiti/index.html

 こうして飯島さんとのつきあいが重なるにつけ、飯島さんってどんな人なの?と、背景もひっくるめて関心が湧いてくる。
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 そこで、飯島さんが以前から書き綴っているらしい「ある編集者のブログ」をのぞいてみた。
http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/cat22380089/index.html

 「カテゴリー」として列挙されている以下の分野を一見しただけで、あまりにも多岐にわたっているぞと怖気づいて、二、三読んだだけで終わりにしてしまった記憶がある。

 NPOひかりの森
 PC・DTPあれこれ
 「業種別職種別ユニオン運動」研究会
 「水辺の市」
 「現代と協同」研究会
 『回想の川ア忠文』
 ふくし生協(高齢協)
 インフォーマル組織の過去・未来
 ジャーナリスト・柴野徹夫さん
 ベトナム再訪問
 今崎暁巳さん
 労働問題・労働組合
 大企業・総評型労働組合はどうなったのか
 市民にとっての経済
 ……

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 そんな広大な地平を旅する飯島さんが、この越谷の地域や職場の近辺にへばりついて生きている「すいごご」の大半の参加者に、その旅の日々をどうかみ砕いて語ってくれるのか、そこに期待して今回ゲストトークをお願いした。
 
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報酬はコーヒーだけというこのトークに、飯島さんは予めていねいなレジュメを用意して臨んでくれた。以下、そのはじめの部分。

     越谷在住10年の中で
                 インターネット事業団・飯島信吾
                   2017年10月04(水)
1 60歳の手習い

 ❶DTP(PCで単行本・雑誌・新聞のページ編集ソフト)のスキル獲得
   「Adobe InDesign CS5」のアプリ・ソフトの活用
   その前に、「MACのQuarkXPress (クォーク・エクスプレス)3.3」を習得。
   ⇔3冊の追悼文集(単行本)の編集・制作のため
    「さいたま高齢協」の広報ニュース(A4判・8p)
 ❷WEB制作のスキル獲得
   ⇔ホームページ・ビルダー(サイト編集ソフト)でのHPを立ち上げ、編集・制作。

2 なにがこれからできるのか、と思って。
 ❶残された「私の課題」を実現する。
  Windows95以前の「日本の労働問題・労働組合運動」に関するページのUP。
  イ なぜはじめたのか――コンセプト。
  ロ 最近、青年からの「激励」の温かいメール
  ハ 社会政策・労働問題・労働法・協同組合・社会的経済などの「私が出会った」研究者群のUP。
  ニ インフォーマル組織の追及!
ホ 全国金属・食品関連労組・中小労組・地区労などの紹介。
ヘ 大企業労働組合・総評などの歴史UP。
 ➡40個人・団体などのページ。
 ❷越谷エリアの「自主的・自立的まちづくりと人と人をつなぐ」努力をWEBを活用して、UP。
  世一緒のページ
  水辺の市のページ
  ワーカーズコレクティブの事業組織――キッチンとまと、リフォームいと、協同購入・そら。
  仕事おこし懇談会のページ
  視覚障害者・草加虹の会


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 「60歳の手習い」、「残された私の課題を実現する」とあるように、上記は現在の飯島さんが手がけていることの一覧といえる。では、なぜ、どのようにして、そこに至ったのか?そのルーツは何か?

2.労働問題専門誌から生活文化、医療・健康、労協関連出版―編集者の足跡

 飯島さんは、「プロフィール」として、以下のようにまとめている。

▼プロフィール
 1948年2月、東京・浅草生まれ。1970年代初頭から労働旬報社編集部、その後シーアンドシー出版設立。この間、単行本100点以上、生活文化情報誌、医療・健康雑誌、医療・健康新聞、労働者協同組合雑誌など、チームを組んで仕事。現在インターネット事業団主宰。

現代労働組合研究会のサイト、「業種別職種別ユニオン運動」研究会の事務局・HPを制作。


 
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 飯島さんは労働旬報社という歴史のある労働法や労働運動の専門誌で働き、それをベースとしてシーアンドシー出版という生活文化、医療・健康、労働者協同組合といった裾野を広げた仕事に取り組んだ。それが、現在の飯島さんの枠組みの広さや時代状況への鮮明な姿勢につながっているらしい。
 そして、もうひとつ。59歳の時に初めて越谷に引っ越して来て、すぐに1ケ月の緊急入院で、救急車で運ばれる体験をして、「これは60歳の壁が来た」と思い、それまでの仕事を整理し、「残された私の課題」を明確にし、実現しようと歩み始めたこと。

 
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 飯島さんは、すいごごカフェの参加者を意識して、いろいろなエピソードをまじえて語ってくれた。

 編集者をしていた頃、酒呑んでカラオケばっかり行っていた。1970年代は、左右問わず軍歌ばかり歌っていた。(というのも、旬報社時代の著者・執筆者は、大正時代生まれや昭和一桁、昭和10年代初期の人ばかりで、戦後生まれで同時代の著者を「担いだ」のは、飯島さんだけだったから。)

 それが80年代は演歌(石原裕次郎など)、90年代はニューミュージック(アリスなど)をカラオケで歌った。このころはシーアンドシーの仕事で、若い人たちと組んで働いたから。デザイナーは20代、ライターは30代、編集部も30代で。40代の飯島さんとは文化も生まれも違い、労働組合運動など体験したことがない人たちだったという。

 そのころ若い人たちから教わった歌が、因幡晃「わかってください」(1976年)などだった。
 
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 その歌にまつわる話として、「橋のない川」の大作家・住井すゑさんと会えることになり、長大な「橋のない川」を飯島さんがどう読んだかを本人に訊かれ、「おばあちゃんが息子にさとす話がいっぱい入っている。それがこの本の特色ではないか。」と答えたことから、「わたしの童話」という本を労働旬報社から出版できることになった(その後新潮文庫に。上の画像は新潮文庫版。)。大ヒットだった。

 ここには、「橋のない川」に挿入された住井さん作の童話が4つ入り、その他の本で発表した童話を加えてある。

 そこに住井さんが書いた序文のタイトルが「わかってください」だった。飯島さんには、自分がいつも歌っていた因幡晃の「涙で文字がにじんでいたら わかってください」という歌詞との符号が印象的だった。
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 その序文の冒頭は以下。
 「これは私の童話″です。小学生のころから、農繁期には田んぼにはいり、夜まで大人にまじって働いた私の童話″です。ただ一つのたのしみ(生甲斐)は、文字を読むことでした。世に言う習いごと―茶の湯や生け花とは全くの無縁で、ひまをぬすんでは活字をあさりました。これが私の履歴です。」

 そして結びが以下。
 「たかが童話と思わないで下さい。ここに私の哲学があります。それは万人に通じる哲学のはずだと思うのですが、如何でしょうか。」

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その住井すゑさん(上の写真)から、飯島さんはこう言われたそうだ。「労働とは土と火と水が大事だけど、わかってんの?工場ばかり考えてちゃだめよ。」と。すいごごカフェの後で、飯島さんにたしかめたところ、以下のような解説をしてくれた。


 「工場労働者の問題だけ見ていてはダメ、農民の汗と血で作物を作り出す、その労働を取材したことがありますか」という話でした。
 この根本は、住井さんがいくつかの作品で描いた「天皇制と差別」のテーマと「農村での暮らしと貧しさ、その中から人間としての誇りや力が生み出される姿に接したことがあるか」、というきつい助言として当時は受け止めた。
 犬田 卯(いぬた しげる)さんのことをベースに、私たちに話してくれました。住井さんが「プロレタリア文学批判の一つが、農を大事にしない文学だ」、もう一つは「権威的前衛政党批判」をよく聞かされていたので。


犬田 卯(いぬた しげる):農民文学者。1891(明治24)年8月23日、茨城県稲敷郡牛久村字城中(現在牛久市)の農家の長男に生まれる。高等小学校卒業後農業に従事していたが、25歳の時上京、その後博文館に就職、1919(大正8)年に住井すゑと結婚する。やがて小説、評論を発表し始め、農民文芸研究会(のちに農民文芸会)を結成、機関誌『農民』を刊行するなどして、プロレタリア文学運動と一線を画して文学による農民解放を目指す。

『土にひそむ』、『村に闘ふ』、『農民文芸三講』などを刊行。1935(昭和10)年郷里牛久村に帰農して、長編『土』、『村の戦記』『米』などを発表。1957(昭和32)年67歳で没す。(hayashi)


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3.現代労働組合と地域共生・共働・協同

 ところで、2012年に初めて会った頃の飯島さんは、NPO法人障害者の職場参加をすすめる会の理事である松田和子さんが理事長を務めるNPO法人視覚障がい者支援協会ひかりの森の関係者として仕事おこし懇談会に参加していたが、それ以前から労働者協同組合(ワーカーズコープ)とは浅からぬ縁があるということだった。そのことについて、やはりすいごごカフェの後日にたしかめたところ、以下のような答えをもらった。

  私は、1970年代から全日自労の関係書(中西五洲さんの本をはじめ)を5冊ほど編集していました。そのため協同総合研究所づくりも最初からかかわっていました。
 http://e-kyodo.sakura.ne.jp/matuzawa/my-book.html

 その間、1993年から2000年までは、日本労協連理事で、「仕事の発見誌」(1994年から1999年)の編集・制作、国連の「国際高齢者年」(1997年)を迎え、高齢協ための「ドキュメンタリー・テレビ番組」づくりのために「労協連の別室にプロジェクト室」で制作・編集事務局をしていました(制作 全農映、12チャンネル報道小会社)。

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 冒頭の飯島さんのすいごごカフェ向けレジュメにある「最近、青年からの「激励」の温かいメール」については、「ある編集者のブログ」に以下のように書かれている。

ある青年からの激励のメール――ありがとうございます

先日、「現代労働組合研究会のページ」の読者の方から、温かい励ましのメールをいただいた。
 大昔、書籍編集をしていた時代、口伝えのように「1冊の本づくりで大切なことは、三人目の読者をつかむことだ」と大先輩から教えられたことがある。著者にとっての一人目の読者は「妻」(「恋人」)、二人目の読者は編集者、そして市場の中で三人目の読者をつかまないと「商品」とならない、ということだ。
  単行本企画でもっとも議論されることは「売れるか・売れる本になるか」、「読者は誰だ」という議論だった。企画したものの側からいうと「わからない」とひとこと言いたかったが、人文・社会科学書の当時の現状の中で、「なんとか」「その」などと、もぐもぐ言っていたらけられてしまう。
 とにかく三人目の読者の発見がだいじなことだし、「読者の声」は一番ありがたいことだった。
 
さて、連日ある話ではないので、以下のような激励メールは、ビジネスではないが、本当にありがたい。
 「はじめまして。私は○○の私立学校で組合の役員をしている○○○○と申します。私たちの学校も非常にブラックな職場です。2年前から組合活動を本格的に行い、現在、組合員は6倍化しました。その際に、こちらで紹介されている本のいくつかを参考にさせていただきました。本当にありがとうございます。
○○さんがやっている仕事は私にとってとても価値がある仕事です。
これからも頑張ってください。」
  さっそく「紹介した本」などについて、メールでお尋ねしたら、すぐに「父が持っていた『労働組合のロマン』(中西五洲著、1986年2月、私が編集した)」ともう1つは河西さんの、「路面電車を守った労働組合」、そして「組合がダメになっているのは職場活動の弱体化によるものだと思い」、「私鉄の内山光雄さんの本を勉強している」、という。
  「私は今、35ですが、エステ・ユニオンの青木さんは私と同じくらいの方でしょうか。こういう方がいると、励まされます」と返信が来た。
  ますます青年・女性の力で「労働組合運動のルネッサンス」をというよびかけを、「現代労働組合研究会の諸ページ」や「業種別職種別ユニオン運動」研究会のページなどを一つずつ発信していかなければならないと思った。

http://okina1.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-04f6.html
 
 飯島さんが「現代労働組合研究会のページ」で紹介している「総合サポートユニオン」を知った青年が、自分自身も動き始めた。
 「総合サポートユニオン」のホームページには、次のように書かれている。

総合サポートユニオンは、働く人の権利が守られる社会、ブラック企業によって若者が使い潰されることのない社会を目指して結成された労働組合です。
2014年に「ブラック企業対策ユニオン」として発足しましたが、より広い相談を受けるため、2015年春から「総合サポートユニオン」へ名称変更しました。
正社員・非正規雇用や、業種・職種を問わず、全国から相談を受け付けています。一人ひとりの問題を解決しつつ、ブラック企業をなくすことを目指して活動しています。これまで特に、エステ業界やブラックバイトについてはユニオンの支部を結成し、活動に取り組んできました。
働き方でお困りの方や、職場をより良くしていきたいという方、是非お気軽にお問い合わせください。


 飯島さんは、すいごごカフェで、労働組合というのは労働者の陣地をつくるもので、たんに企業内の権力闘争をやるものではないと前から考えていたという。
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そして、現在、総合サポートユニオンのように、企業の外に労働組合を作って攻めていくやり方はとても重要だと述べる。総合サポートセンターのエステユニオンは、エリアの業種の労働条件を一定にする運動に取り組み、たかのゆりと協議し、ブラック企業を変えているという。
 総合サポートユニオンには、ブラック企業ユニオン(ブラック企業支部)、介護・保育ユニオン(介護・保育支部)、
エステ・ユニオン(エステ支部)、ブラックバイトユニオン(ブラックバイト支部)、個別指導塾ユニオン(個別指導塾支部)の各支部があるという。
http://sougou-u.jp/about.html

 これらの支部名を見ていると、これらの業種には非開示や障害者枠で働いている障害者がけっこういるはずだと思う。しかし、一般に障害者の就労支援機関は、就労準備性ピラミッドに固執し、さまざまなハードルを越えられない障害者は就労準備性なしとみなすし、企業に注文付けることは避けるから、ユニオン加入など露ほども考えまい。

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 だが、上記のエステ支部が、新入社員の約半数を高卒者が占めるエステサロン運営会社「TBCグループ」は、今年1月、退社から次の勤務まで9時間以上開ける「インターバル規制」を導入したところ、長時間労働になりがちとされるエステ業界だが、休暇制度の充実などにも取り組んだところ、今年の職場見学会には、昨年を3割上回る高校生が集まり、計画通り約200人を採用できる見込みになったという。(上の画像は読売新聞の該当記事)

業界のブラック体質の改善を業界の自浄作用に期待できない状況はたしかに存在する。エステユニオンが立ち上がったことによって、業界も危機を脱した。

 こうしたことは、障害者が共に働く上での環境調整としても生きるだろう。もちろん、「共に」とはこれまで分けられた来た同士が出会うのだから、かんちがいや迷いをひっくるめてのプロセスなのだが。そこでのスッタモンダを通してこそ、言葉をこえた紐帯も芽生えるだろう。
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 越谷市でも、似た例がある。同市のリサイクルプラザでの缶・びん選別作業(上の写真・越谷市役所ホームページより)は障害者雇用が条件づけられた民間委託になっており、何名かの障害者が働いているが、毎年競争入札で委託業者が交代するため、その業者に雇用される障害者とその他の現場労働者は年々労働条件が切り下げられてきたが、先年ここに自治労の組合ができ、市とも交渉ができるようになり、安定してきたと聞く。
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 すいごごカフェで、飯島さんは、さまざまな地域活動に関わる人たちが、世代別に、活動別に、分け隔てられていて、互いに他者に関心をもてない構造になっていることを指摘した。

 障害者の職場参加をすすめる会やわらじの会の話を労働運動をやっている人たちに話しても、何をやってるんだとピンと来ない。「障害者も街で生きてるからいいんじゃないか」と言っても、以前の私と同じでわからないと。
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 越谷水辺の市のホームページを作ってひんぱんに更新しているが、水辺の市に来る人は高齢者が多く、高齢者はネットにつながらないので反応が乏しい。唯一タンクポップのことを載せると、アクセスが増える(上の写真)。

 飯島さんの思いは、とにかく交じり合って一緒に生きる社会。そのために自主的・自立的なまちづくり。また、他者との連帯(自己実現を求める方はどうぞご自由に)。
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 飯島さんから映画「「人間を取り戻せ!大久保製壜闘争の記録」の上映会を世一緒でやってほしいという提案を受けている。福祉ドレイ工場と言われ、知的障害者を最底辺に、その上に身体障害者、その上に……といった差別構造を作って、リポビタンDなどの壜を製造する会社及び周辺地域へのデモに40年前、筆者もわらじの会の数名とともに参加した。越谷市職員組合のメンバーに誘われて。そのデモもこの映画に記録されている(上の写真)。

 同社は今も存在し、闘いも続いている。

 これからの取り組みにとって、重要な課題と示唆をもらった飯島さんのトークだった。

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