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zoom RSS 「虐待」と「差別」をとらえなおす―法制度の先行で人々の暮らし合いが消されていないか

<<   作成日時 : 2016/09/14 22:16   >>

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今週の土曜に熊谷で障害者差別解消法(および埼玉県共生社会づくり条例)の勉強会をやるので、資料を調べている。そして、さいたま市など条例を先行して整えた自治体の統計で、「障害者虐待・差別統計…」としてまとめられているのを見て、「差別」と「虐待」の関係について考えた。
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 野沢和弘氏のまとめによれば、〈対等がベースか否か〉とある。


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「本来〈対等〉であるべきなのに障害を理由に不合理、不適切な通り扱い」なのか(差別)、「〈保護するー保護される〉関係の中で保護する側の権限・責務の不当な行使」なのか(虐待)と対比されている。

 これを読んでいて、現在のような法整備がなされていたら、つぐみ部屋も橋本一家の住む長屋の暮らしも公権力の介入により、「解消」されていたろうなと感じた。ということは、自立に向かってはばたく家準備会もなければ、生活ホームオエヴィスもどの子も地域の公立高校への運動も生まれなかったろうなと。

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 つぐみ部屋の暮らしは姉妹を栄養失調に追い込み、一年中風呂にも入れず、障害の進行をはやめるまでに追い込んでおり、姉妹はよく市役所へ行き、ケースワーカーだけでなく、部課長も彼女らの話の相手になった。そして「人権擁護委員会へ訴えたら」と勧められたのだが、彼女たちが頑として拒否した。

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おれらはここで生きていきたいんだと。そして泣きながら、せめぎ合いながら街に出て行った果てに、オエヴィスができたのだ。
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 橋本宅でも、父である故己代治さんが、「死んじゃえばいいんだ」と鉄棒で画伯を叩いている現場に居合わせた。もちろん画伯がパニックになり、家中のガラスや家具を壊したり、母の首を絞めたりしたときのことだが。
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 その虐待そのもののるつぼを少しずつ外に向かって広げながら、二つの家族は変わっていった。そうやってあがきながら、さらけ出しながら、街へ出てゆくことが、それまで虐待とも差別とも無縁だと思われていた街のありようを問うていった。
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 わらじの会のふみあとをふりかえってみると、虐待と差別の関係について、簡単に納得してしまってはいかんと、つくづく思った。
 もちろん普遍化するつもりはないが、法制度が先行して人々の愛憎に満ちたぶつかりあいが、「共依存」などと切り捨てられ、「解消」されてしまっては本末転倒だと感じるのだ。

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ここで「虐待」が問われるベースとされる〈保護するー保護される〉関係ということについて考えてみる。上の写真は、1981年、私たちがスウェーデンRBUの障害者達と埼玉で1週間にわたり交流した時に訪問した県立コロニー嵐山郷。1976年開設された巨大な施設。
 
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 「スウェーデンではほとんど見られないプライバシーのない生活に、RBUの青年たちは強いショックを受けた。30年近くのRBUの歴史は、文字通り隔離施設との闘いだったのだから。特に、嵐山コロニーで成人の女子棟に入った時(上の写真)、丸坊主の女性が2,3人いたのには私たちもびっくりした。皮膚病対策と聞き、この人里離れた山の城では、何が起こっても不思議はないと感じた。」(埼玉社会福祉研究会編「ユニーク自立埼玉」 1984;千書房)

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 「医師である総長の『原因不明の病気が発生しているので重度棟は見学できない』という弁解もわざとらしかった。2日後のシンポでベーントは『たいへんネガティブな印象を受けた』と語っていた。」(前掲書)
 ちなみに橋本さんの親たちが荒れる克己さんと共倒れになりかねないと入所を申請していたのは、このコロニー嵐山郷の重度棟であり、1979年3月に入所決定が届いた。すでに克己さんも家族も一緒に街に出て、他の障害者をはじめさまざまな人々と出会い、変わりつつあった。家族は泣きながらその手紙を破り捨てたのだ。
 
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 上の写真は、今年の総合県交渉。埼玉県の回答では、コロニー嵐山郷の入所者数はいま407人。平均入所年数は26年だという。まさに終身収容の施設そのもの。ノーマライゼーションをなぜ進めないのかとの問いには、県は以下のようにひらき直った。
 「他の障害者の施設では十分な対応が出来ない障害支援区分の重い方を受け入れている。両親、兄弟もいない、地域で暮らすことが難しい人もいる。県ではそういう方々のセーフティネットとして嵐山郷の在り方をとらえている。」
 1989年に国が「在宅福祉元年」と唱え、21世紀に入って介護保険、支援費制度、障害者自立支援法と、国の矢継ぎ早の誘導策により、福祉のサービス化、市場化が進められてきた。だが、その流れによって、嵐山郷に象徴される隔離施設は解体はもちろん縮小されることもなく、「セーフティネット」として維持されている。


 むしろ、「施設も地域だ」という言い方に示されるように、さまざまな入所施設が地域の中に増設され、グループホームや通所施設もひっくるめて、地域全体が数多の密室を張り巡らせた巨大な施設と化し始めているのではないか。
 その「地域の施設化」の進行により、高齢者も障害者も子どもも、さまざまな支援サービスの世界に、他の家族は激変する労働現場へと分け隔てられてゆき、分けられた個々の家族が孤立化、密室化が進む。

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 このような地域を見渡すと、「保護する側の権限・責務の不当な行使」を防ぐためとされる虐待防止法自体、こうした地域の施設化、家族が分け隔てられてゆき、密室化が深まってきた状況を変えてゆこうとするのではなく、その結果として虐待に走ることだけを防止する、安全弁として用いられているのではという疑念すら湧いてくるのだ。

上の写真は、現在、埼玉県障害者団体定期刊行物協会代表の障害者・仲沢さんが、1981年に寝たきりのお母さんと二人暮らしの家へ、スウェーデンRBUの障害者たちを招いた情景。RBUの若者は、自分のバスルームくらいのスペースで二人暮らしとは?!とびっくりしていた。文字通り「障老介護」。しかし、川口の街で誰もが共に生きる営みは、こんなかたちもひっくるめて重ねられていったのだ。

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